耶和良之術 3



●馬上武術と片手斬り抜打

 「抜打」(ぬきうち)は馬上武術の『秘伝』とされている。
 さて、戦場において向こうから騎馬武者が向かって来る場合、これに対して、太刀を抜いて振り上げるようでは、如何にも策がないのである。この時、吾(わが)は太刀を鞘(さや)に納めたまま、平然として進まなければならない。

 向こうから騎馬武者が向かって来る場合、敵か味方かの判断に迷って進んでくる事が多く、吾はこうした騎馬武者に対し、平然と乗馬する事が大事である。そしてある程度は弛緩(しかん/ある程度の余裕とリラックス)しつつ、しかし一方において警戒を怠ってはならない。

 こうした場合、敵か味方かの判断において、敵が吾(われ)を敵と看做(みな)した場合、即座に片手抜打で太刀を抜き、一刀の下(もと)で、斬り据えなければならない。
 しかし緊張した戦場で、完全武装した騎馬武者を一刀の下に切り捨てる事は至難の技であるが、こうした場合にも、敵の弱点を狙って斬り据えれば、敵の戦闘意識を挫(くじ)くか、あるいは馬を斬り据える事が出来る。また手綱(たづな)を斬る事は容易である。その後に、敵をいかようにも自由に料理もできるのである。
 但し、敵も人形のように動きを止め、あるいは木偶坊(でくのぼう)のように自由にはならないものである。

 敵がこちらに近付く時、心の構えは万全と見なければならず、また彼我も万全を怠らないはずである。
 特に小脇に槍をたずさえ、こちらを見定めているような騎馬武者は、腕に覚えのあると見なければならず、平然としてこちらの間合に入ってくるものである。

 更に槍を小脇に抱え、彼我の間が相当離れている場合は、古来より敵の警戒不足が指摘されるが、槍を右手に持っている者は警戒心を怠っていない証拠であり、直ちに、こちらを突く体勢が整っていると言わねばならない。
 そしてこうした場合に、吾(われ)自身が抜打を過信してしまうと、迂闊(うかつ)に敵に近付いてしまう事になり、逆に敵に打ち取られる事になる。

 戦場における駆け引きは常に変化するもので、流動的なものであり、千変万化するものなのである。
 ところがこうした右手に槍を握る騎馬武者も、一つの大きな弱点を抱えている。それは槍を小脇に抱えた「右手そのもの」であり、槍を掴んでいる右手こそ、最大の弱点なのである。

 まず、槍を考えた場合、槍には鐔(つば)がない。更に槍を握る右手の指迄に、鎧(よろい)を被せるわけには行かない。その為、槍の掴み手を流して抜打で斬り据えれば、それだけで敵は戦闘意欲を失うのである。
 馬上からの抜打は、敵の躰を眼掛けて斬り据えても、第一打が躱されれば、次はこちらが次に王手を喰らう事になり、馬上からの抜打はまず、敵の右手だけに絞って攻撃する事が肝心である。そして敵の右手の位置だけを狙って、百発百中の鍛練を行わなければならない。

 かつて馬上からの抜打は『秘伝』と称され、極秘のものであった。極秘故に、敵は「抜打」の事を知らず、知らなければ、敗北は確実に槍を持った騎馬武者となる。

 さて戦場は、いわゆる試合会場と異なり、戦う場が昼間などの日中とは違い、夕暮れ時や、夜間になる事がある。そして暗闇の中では、敵か味方かの確認が難しくなる。こうした時に、確実の役に立つのが「抜打」であり、騎馬武者は片手抜打を充分の稽古する必要があるのである。

 馬上に用いる太刀は、反(そ)りの大きな「馬上刀」(反りの大きな刀で、陣太刀も言う)というものが用いられ、長刀の剣操法は平素から自らの愛馬を傷つけないためにも充分に稽古しておかなければならない。
 馬上刀を抜く場合、左手で鞘を順に持って手の甲を反らして、携裏(けいり)を表に翻(ひるがえ)し、刃を天に向けて抜き放ち、上から叩き付けるように抜くのを抜打という。そうすれば自らの抜いた太刀で、愛馬を傷つける事はない。
 この場合、江戸以降の佩刀(おびがたな)として佩(お)びる刀の剣操法とは逆になり、佩刀では陣太刀の表が「差し裏」となり、逆に陣太刀では佩刀の裏が「差し表」となるのである。


陣太刀の拵


 こうした状態から、差し刀を抜く時は、最初から刀身の刃は上を向いているから馬の背を傷つける事はないが、陣太刀(じんだち)は刃が下を向いているため、馬の背を傷つける事があり、鞘を握る手の甲は裏返しになるという事が各々の抜打の流派の秘伝となっているのである。
 つまり手の甲を裏に返し、一旦抜き放てば、手の甲の裡側(うちがわ)を天に向けたまま、斬り据えるか、些(いささ)かの距離がある場合は、一気に馬を走らせて「逆抜き胴」で切り払えばよいのである。この逆抜き胴は、自らの愛馬も傷つける事がないし、自分の頬(ほほ)を斬り付ける事(抜打を知らない者は、頬を斬るため、陣甲をし、頬当をした)もないのである。


馬上からの逆抜き胴の図
(イラスト/曽川 彩)

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 火急の場合は、初太刀は抜打で応ずべく、また馬上の敵を斬るには双手剣の上段となるが、これは危険があるので要注意しなければならない。更に抜打で注意しなければならない事は、抜打を行い場合、左手の動脈を切断する恐れがあり、こうした事にも注意を要す。



●蜘蛛の掛け綱と馬上抜打

 馬上抜打で、乗馬しての抜打と徒歩の抜打では根本的に異なるので、この事を熟知しておかなければならない。
 まず、乗馬すれば躄(いざり)と同じ状態になり、上半身は自由に動いても、下半身が、乗馬に未熟だと思うようにならないものである。この点が、あず、徒歩の場合と大いに異なり、また乗馬すれば遠心力が働くので、特に抜打薙払いなどは、馬の走る勢いと相乗効果が働き、その遠心力は早さによって数倍から数十倍となる。
 これは今まで使用していた刀の重さが、左右前方斬りの数倍になるという事である。

 馬術の心得の無い者は、こうした刀の重さの変化に疎いが、こうした者の醜態は、刀が手の裡から抜け出してそれを落としてしまう事にある。
 その為に、柄頭(縁の頭)は頭椎形(かぶづちがた)にするのが陣太刀の理想であり、その先にひもを結んでいるのはこうした失態を未然に防ぐためである。

 さて、手から彼方が抜けないようにするには、そこに極意がある。それは尖先(きっさき)が後方の中央に向かった時、そこでしっかりと握りを固める事である。
 即ち、握り締めると同時に、柄頭で吾が腕の手の肚(はら)を強く圧する事なのである。

 西郷派大東流合気武術ではこうした剣の手の裡の握り方を『手之充肚』(てのあてばら/口伝)という。つまり手の裡の握りに関して、一番やかましく言われる注意事項なのである。
 こうした手の裡のしっかりとした握りが必要になるのは、「霞斬り」の場合で、この術を行う場合、大方は手の裡が縮まらないので、腕が伸びきってしまい、刀が手の裡から抜け出すのである。(以下口伝)

 さてこうして手の裡の大事を会得し、馬上抜打が自在になれば、次は『蜘蛛の掛け綱』(くものかけつな)の稽古に入る。これは別名「五の挟み」などと称し、中央の五角形の各々の辺の頭の部分を、円い三角形を置いた形でその線の上を進むもので、こうした乗り方によって敵を撹乱するものである。
 『蜘蛛の掛け綱』とは「輪乗り」のことで、戦闘に必要な輪乗りは出来るだけ小さくなければならず、乗馬において「輪乗り」は武士の表芸とされた。馬術に熟練した武士程、この輪乗りは得意であり、前後左右に小さく乗りこなす武士程、戦場においてはもっとも実力のある武士となる。

 ところが未熟な騎馬侍になると、この「輪乗り」が下手で、「輪乗り」をした瞬間に躰のバランスを崩し、大きな隙をつくる事になる。これは「輪乗り」を意識する余り、「輪乗り」と言う円形を描く行動線の遠心力に吾が躰を奪われ、人馬一体の拮抗(きっこう)を失うのである。

 戦場ではこうした武士を狙って、まず長槍で突き刺し、あるいは馬の行動を狂わせて未熟な武士から料理して行くのである。
 これは西郷派大東流の蜘蛛之巣伝である、『八方分身』によく似ているので、敵の何処を最初に崩せばよいか、重大な手懸りとなろう。
 戦場では、直線を疾走するだけでなく、「輪乗り」を小さく乗りこなす武士程、要注意なのである。