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●断食をすると細胞組織が逆分化する

 断食は古くから宗教的な「行」や、精神修養から始まり、江戸時代に至ると、食養や養生を中心として病気の治療や体質改善と言った、健康や長寿に繋がるような栄養療法となって行きました。
 一般に断食をすると、躰が痩せ始め、栄養失調で衰弱したり、持病を持っている人や、65歳以上の人は体力的に問題があり、更に健康を害すると言われれいますが、これは断食について研究を怠った医学者の暴言に過ぎません。
 断食は、その手段と方法論が間違っていない限り、正しく指導できる人について指導を受ければ、その連例と体力と病気の度合いに応じて指導を行ってくれます。問題は、断食前の補食期間と断食後の補食期間の、普段の食事までに戻す期間と、断食終了後の食生活に問題があるのであって、断食そのものより断食を決行するまでの前後の期間の過ごし方に種々の事故が発生するのです。したがぅて断食に対する正しい認識が必要なのです。
 そこで、正しい断食に対する考え方を述べておきます。
 一般に断食は栄養失調になったり、健康を害するので良くないと言う、食養指導家が少なくありません。断食中に、妄想に取り憑かれたり、精神状態が不安定になるので良くないと言う医療専門家もいます。あるいは断食しても、断食後のリバウンドで、再び元の肥満体に戻るので、断食よりはエステなどの痩身指導の方が安全であると言う人もいます。
 以上のような考えは、断食と言う実際を知らないで評論している暴言に過ぎません。断食を正しく理解すれば、以上のような問題は起らず、自己流の断食に事故や問題点が存在すると言えます。

 さて、断食で「痩せる」という現象が起るのは、筋肉や脂肪がエネルギー源として燃焼され、これを消失する為だと考えられて来ました。しかし断食により痩せると言う現象が起るのは、これまでの体力から栄養喪失が行われているからではないのです。
 千島喜久男医学博士(既に故人で、岐阜大学教授だったが、博士の唱えた「逆分化説」は、医学会では最後まで認められなかった)が唱えた『千島学説』では、カエルや鶏の実験から、脂肪組織を調べた結果、次の事が判明しました。
 それによりますと、断食をすると組織の中に、白血球に似た丸い細胞核が顕われ、これが多数の赤血球に移行する状態が出現したのです。断食すると組織や細胞が、血球に逆分化すると言う学説を立てたのです。そして逆分化の結果、これまで体内に蓄積していた毒素成分や老廃成分が、逆分化されて体外に排泄されるから、「痩せる」という現象が顕れたとしているのです。

 生物の発生の課程で、細胞・組織などが形態的・機能的に特殊化し、喩えば、健康で栄養状態の良い時は、赤血球から総ての体細胞や、生殖細胞が異なった部分に分れることを「分化」と言うのですが、逆分化とは、『千島学説』では細胞が逆分化して、血球に逆戻りすると言う「逆分化」の学説を立てたのです。
 この学説は、健康で栄養状態の偉い時に、躰は肥り、また栄養状態の悪い時や断食などをすると、栄養が断たれるので、病気の時などは、大量の失血が躰を痩せさせるという、従来の医学の定説と真っ向から対立します。
 つまり、今日信じられている現代医学のガンに対する思考も、「分化」としての考え方であり、正常細胞が一端ガン細胞になれば、ガン細胞は活発な細胞分裂を繰り返して増殖し、やがては生体が死滅するという学説を支持しているのが現代医学のガン治療に対する根本的な考え方です。
 現代栄養学に於いても、栄養を摂れば摂るほど健康になって行くと言う、プラスの栄養学でその論理が説かれています。
 しかし、果たしてそうでしょうか。
 「腹八分に医者いらず」という諺(ことわざ)があります。これは栄養を摂れば摂るほど、栄養が身に付き、筋肉や骨や血となって、「益々健康になって行く」と言うプラスの栄養学とは真っ向から対立します。

 断食や粗食・小食の実戦に於いて、「腹八分に医者いらず」は、マイナスの栄養療法であり、事実、戦時中あるいは終戦直後は、食料が非常に不足していましたので、多くの国民は常に空きっ腹状態でした。その一方で、この空きっ腹状態は、当時の病院を閑散とさせていました。兎に角、戦前のように、食べ過ぎて、病気になる病人が激減していたのです。この空きっ腹状態の「空腹トレーニング」が、この時代、日本人を病気から守っていたと言う事になります。
 ところが現代はどうでしょうか。
 次々に新しい病院が出来ても、何処も押すな押すなの大繁昌振りで、待合室での「3時間待ち」と言うのは当たり前のようになり、そして診察時間は僅かに「3分」というのが一般化・常識化されています。こうした病院では、医者は人間を診らずに、病気のデータと、そこから得た検査結果ばかりを診て、これを相手にしているのです。
 昨今の現代社会は過食や飽食が原因して、人々は過剰な栄養状態にあり、これは種々の難病・奇病を生み出し、病気は更に細分化されて分類され、複雑な次元へと、病気の難解化が進んでいるのです。この病気の難解化こそ、現代病を完治できない実情を作り出しているのです。現代医学は検査技術が進歩したのに反比例して、その完治度は下降線を辿っています。ガンが不治の病のように思われ、恐怖感を煽り立て、治療後の五年以内の生存率は極めて低いものになっています。

 さて、再び「逆分化」について述べて行きましょう。
 これまで脳と心臓は、生命を維持する重要な機関だから、断食によって、目方は減る事はないと信じられていましたが、千島博士の研究では、断食させたカエルの脳細胞も、血球に逆分化する事が認められました。
 断食をすれば、睾丸や卵巣も著しい変化を起こし、縮小状態になって、性欲が無くなります。この意味で、現代は過食や飽食の時代であり、誰もがグルメを気取り、美食に明け暮れています。

 これが一方で、少年少女の早熟化を早め、動蛋白によって性腺が、男女とも異常刺激されて、結婚をする以前から、ごく当たり前のように婚前交渉に及びます。若年層のセックス愛好者は、スポーツセックス等とも自慢しています。そして「性交」という行為が、以前とは全く異なって思想で崩壊しているのが分かります。
 こうした元凶に至った結果が、更に次の世代に性異常を齎し、中産階級における子弟は、小・中学校で教える性教育(現実は性教育ならぬ、異性の「性器教育」)の犠牲者にっている現実があります。
 こうした少年少女を持つ親達も、学校の授業の現実を知らない親達であり、「性器教育」の行き過ぎを指摘する事も出来ません。あるいは思春期にかかった、我が子の夜遊びや不純異性行為や婚前交渉を、何も咎(とが)めることも無く、自らも異性や同性の浮気相手を求めて、不倫へと趨ります。そして現代の野獣化現象の元凶は、肉食や乳製品などの動蛋白過剰摂取と、食傷を起こすほどの、恵まれ過ぎた飽食にあります。
 これが現代人の心と身体を狂わせているのです。食が狂えば、思考も、行為も、総て狂うと言う現実が、此処にあります。

 再び話を逆分化に戻しましょう。
 千島博士のカエルやマウスを媒体とした実験では、断食をすると、腸粘膜の絨毛(じゅうもう)は後退し、腸壁の筋肉層は薄くなる事を認めています。この時に注目すべき事は、腸内の寄生虫やバクテリアは殆ど消滅し、綺麗になっている事です。これは躰の組織が浄化された事を意味します。
 また、肝臓や膵臓に至っても、あるいは消化器官でも、血液の「逆分化」を示し、膵臓では分泌腺がランゲルハンス島に逆行しているのが発見されました。これは糖尿病や膵臓の腫瘍あるいは肝炎、肝硬変、脂肪肝などに、断食が非常に有効であると言う証拠でもあります。

 しかし医師の中には、断食は肝臓機能を低下させて、危険であると反対する人もいます。反対理由は、血液や尿検査をして、肝臓機能の低下が認められるからです。でもこれは、実際的ではありません。
 断食をすると、肝臓に蓄積されていた老廃物や有害物質が、肝細胞から血球へと逆分化するとき、遊離して血液中に入り、尿として排泄される為、一時期、肝臓機能が低下したように映るだけです。断食あるいは節食を心掛け、玄米穀物を中心にした植物性の食品を食餌法として取り入れて行けば、肝臓の障害はなくなり、肝臓機能は徐々に恢復(かいふく)されます。

 その一方で、胃潰瘍などの胃の病気は、精神的ストレスから来る、自律神経系の失調が主なる病因を作ります。
 更に見逃せないのが、内臓下垂による現代の「どんぶり腹」現象です。胃袋が腰骨まで落込むという現象です。食べるだけ好きな物を食べ、そしてワインなどを呷(あお)り、たらふく食った後に、自分の口に指を突っ込み、吐き出す拒食症の実体である。これが現在急速に殖えています。「痩せの大食い」と言います。食べるだけ食べて、肥らないから“便利で、得をする躰”といいますが、とんでもない間違いです。
 そして、この種の「満腹中枢」が毀(こわ)れた人は、睡眠不足で悩まされ、毎日睡眠薬を飲むと言った、生きながらの屍を演じています。墜落した人生と言えましょう。
 睡眠不足から来る胃自体の機能低下や、過食や間食、偏食などから来るその他の刺激物が病因をなしています。
 断食は水だけでするものであり、胃潰瘍には水断食は適当でないと言われています。
 理由は、胃液による胃粘膜の自家消化の際に精神的緊張が大きすぎるからだと云われています。しかし、こうした弊害は、断食中、果物を摂取する事で、その危険性が解決します。



●断食によって病気が治るメカニズム

 内因性疾患の病因は、主なる症状が「炎症」です。
 炎症は血液の循環が妨げられ、躰の一箇所に血液が集中して停滞し、これが鬱血(うっけつ)を起こす為です。
 肺炎、肋膜炎、腹膜炎などの炎症は、各々の箇所の、肺、肋膜、腹膜に血液が集中し、停滞したまま、その部分で赤血球が血管外へ出て、白血球に変わり、更に、炎症の部分にあるその他の細胞までもを巻き込んで、総ての細胞に「分化」し、これによって炎症が起ります。
 炎症部分の細胞に分化すると、赤く腫れ上がり、シコリが出来、熱を持ち、押さえると痛みが生じます。これが更に進行すれば、その機能は正常に働かなくなります。
 炎症は赤血球や白血球が集中して、鬱血状態を引き起こしたものですから、その血球の量を少なくし、血球を激減させれば、炎症は自然に消滅して行くものなのです。断食や減食をすれば、腸での赤血球の造血が中断されたり減少します。この中断や減少は、細胞組織からの血球への逆分化が始まりますから、特に炎症部分の組織や細胞が血球に戻り始めます。これは炎症が消え、組織や細胞が正常に戻ると言う事を意味します。

 余分な血球が炎症を起こし、これが病因を作る元凶だったのです。組織や細胞での余分な血球が病的に異常になり、それが死んで膿球のうきゅう/化膿・膿血した球形の塊)になり、膿球後の化膿性が炎症と言う病因の疾患だったのです。また、膿球は化膿菌を誘引します。
 化膿をひき起す細菌の総称を「化膿菌」と言います。黄色葡萄球菌や化膿性連鎖球菌が主なるもので、その他にも肺炎双球菌、淋菌、チフス菌、緑膿菌、結核菌などがあり、いずれも化膿を引き起こす細菌です。
 こうした、病的に異常になった血液は、腸で造血する血液や血球を断てば、次は逆分化が始まり、炎症部分の症状が消滅し、各部位に取りついた病気は回復するのです。

 断食とは、血液の浄化と血球の減少を図る手段であり、その他にも、減食や穀物菜食に心掛ければ、浄血が図られ、過剰な血液や血球を、中断もしくは減少されると言う行為なのです。各消化器病、高血圧や高脂血症、糖尿病、喘息、肝臓病、神経病や化膿性炎症などには、断食が有効であると言う、「千島学説」の理論からも証明されているのです。
 栄養過多や美食は、腸内に、動蛋白の含む有害物質で腸内腐敗を起こします。過食や大喰いは、消化器官を過労させ、疲弊させて、血液を病的に汚染させます。血液の異常が組織や細胞の部位に停滞し、炎症を引き起こし、やがて健康を阻害して多くの病因を作り出します。また、最近では農薬や化学物質の汚染で、こうした汚染物質は一旦体内に取り込まれると、排泄されずに年数とともに蓄積されて行くと言う事が確認され、更に薬なども薬剤性の蓄積が起り、これらは特に、肝臓に蓄積されていきます。

 肝臓にこうした汚染物質が蓄積されますと、慢性の肝障害である肝硬変へと移行します。その結果、肝細胞が壊され、結合組織が増加して、肝臓が硬化縮小する病気が「肝硬変」です。この症状が進行すると、腹水の貯留、脾腫・食道静脈瘤・貧血・黄疸・全身衰弱を来し、しばしば肝臓ガンを伴う病気に進行します。
 また、動蛋白摂取過剰は、脂肪肝として顕われ、肝臓に多量の脂肪が蓄積した事が病因で、肝硬変へと移行する事があります。脂肪肝には、アルコール性・栄養性・糖尿病性・薬剤性などがあり、いずれも過食や多喰いが原因しています。
 更に、肝臓が炎症を起こしますと、肝炎へと進行し、炎症性の疾患が起ります。この炎症性疾患には、細菌・ウイルスの感染や中毒などにより、肝細胞の障害あるいは、肝機能の低下を来す肝臓炎の事で、代表的なものはウイルス肝炎です。

 現代は、人間が便利で豊かで快適な生活を求めた為、そのツケとして、公害汚染や環境汚染が蔓延しました。喩えば、PCBのようなものが、一旦体内に取り込まれると、脂肪の中や神経系に蓄積されて、これが濃縮し始めます。しかし、これ等の中毒も、断食すれば、脂肪が血球へと逆戻りするので、古い血球よりPCBなどの毒性物質は破壊され、腎臓から尿として排泄されます。
 その他にも、筋肉や各種内臓の異常細胞も、断食により、血球に逆分化しますので、組織が若返り、禊(みそぎ)としての大掃除がなされ、病人は病気から解放されて行くのです。


●腸造血説のメカニズム

 現代医学は、血液は骨髓で造られるとしています。これが「骨髄造血説」の根拠となっています。また、現代医学では、生体を構成している細胞は、生物学の教科書にあるように細胞自身が細胞分裂して増殖され、各部位の組織を形成しているとしています。
 しかし「千島学説」では、血液は「腸で造られる」としています。
 赤血球は消化器官である腸で造られると言うのが正しい認識であり、「食べたものは血となり肉となる」と直感した古人の考え方とズバリ符合します。
 問題は、腸で造られるか骨髓で造られるかで、これからの医学認識は大きく変わって行きます。千島学説では、「血液は腸で造られる」とする腸造血説を唱えていますし、現代医学は「血液は骨髓で造られる」という骨髓造血説を唱えています。この両者の考え方の違いは、当然医療にも反映され、治療法も根本的に異なって来ます。

 骨髓造血説を唱えたのは、ノイマンとビッズオセロという二人のユダヤ系科学者で、1868年の事でした。
 二人の学者は、骨中の腔所をみたす柔軟組織をこ「骨髓」と定義し、赤色髄は造血組織で、赤血球・白血球・血小板などがここで形成され、黄色髄は脂肪組織から成るという説を掲げたのです。以降、この説が定説となり、この基準で現代医学が展開されています。
 しかし、この定説に疑いを持ったのが、岐阜大学教授の千島喜久男医学博士でした。
 健康な生体では、骨髓は脂肪が充満していてこれを観察する事が出来ません。したがって造血像も確認できないのです。ただし、大量の失血の後とか、絶食をすると、骨髄中に赤血球が確認されます。
 この特殊な状態に於てのみで、骨髓で血が造られると断言するのは訝(おか)しいと、千島学説は反論を唱えたのです。これは、健康で、栄養状態が非常によい人に、大量失血や絶食と言った病的な状態を適用するのは、科学の常識から言っても不可解です。

 千島学説では、骨髓造血説が適用される時は、生体が病的であり、大量失血や絶食にあった時に限り、細胞から赤血球に逆分化している状態の像を見ているのであって、健康な人体の像とは逆方向のものを見ていると指摘したのです。これは「異所造血」といって、骨髓以外の所でも血球が造られると言う事を指し、喩えば内臓器官でも血球が造られると言う事が分かっていますが、骨髓造血説の状態は、千島学説の赤血球逆分化説で説明する事が出来ます。血芽球は骨髄中では、当然の事ながら細胞分裂はしません。骨髓造血説ならびに既成学説では、細胞は分裂によって増殖すると言っています。したがって、母体である血芽球は当然の事ながら分裂をしなければならないはずです。ところが、血芽球が分裂をする分裂増は確認する事が出来ません。これこそ、骨髓造血説の矛盾した盲点があるのです。

 生物の世界を調べてみると、下等動物は腔腸や消化器で造血されています。無脊椎動物には骨髓がありませんし、組織や器官も至った単純なので骨髓造血説では説明がつきません。
 これを指摘し、生物現象に突然な飛躍はあり得ないとしたのが、千島博士でした。新傀儡の生物現象を歴史的な観点と、系統発生的な観点の両方から研究し、そこから導き出されたものが「腸造血説」だったのです。
 しかし、生物学会や医学会からは、下等動物の腸造血は、哺乳動物である人間には当てはならないと一蹴され、これが現在に至っています。千島学説の腸造血説の根拠は、赤血球造血は系統発生的にも、個体発生的にも、腸の純毛のある所でなされているとしています。

 生物の進化を進化論的に追求しますと、下等動物では腔腸や消化器で造血しますが、個性発生的な人間の場合は、最初は卵黄嚢の絨毛で「卵黄嚢造血」を行います。次に、卵黄の少ない哺乳動物では、子宮内面の子宮壁にある血管の開放端から出血し、血球モネラ(Monera)から胎盤絨毛が出来て、その絨毛壁細胞から血球が出来ます。
 また妊娠中は、胎児は胎盤の絨毛で親の赤血球を取り、黄嚢絨毛や胎盤絨毛の壁細胞を新生します。絨毛壁細胞が発達し成熟すると、内部には無核の赤血球が十数個で胞子形成をして新生します。その新生に関連して、これが血管となり、臍帯(したい)の静脈から胎児の体内に赤血球が運ばれ、これが胎児の総ての細胞の母体となります。これを「胎盤造血」と言います。
 更に出産後は、母親からの血液補給が断たれるので、新生児は母乳を摂取し、母乳の消化産物から腸粘膜の絨毛を形成して行きます。以後絨毛で造血し、これが腸造血の根拠です。
 千島学説の概要は、初め、卵黄嚢の絨毛で、次に、胎盤絨毛で、更に腸管の絨毛で造血されると説いているのです。腸の絨毛は、植物に例えるならば、根毛に相当し、動物の場合は植物の根に当る部分が、腸の絨毛であると言う事になります。そして、これこそが腸造血説の根拠とする所なのです。

 したがって、断食を行えば、腸での赤血球の造血は、一旦中断されてしまうのです。造血が中断されれば、細胞組織からは血球の「逆分化」が始まります。逆分化が始まれば、炎症を起こしていた箇所は、組織や細胞が血球へ逆戻りする減少を示しますので、炎症は次第に消滅して行きます。
 すなわち、慢性病とは、余分な血球が鬱血(うっけつ)を起こして停滞し、これが病的になって正常細胞が異常細胞に変貌し、血球が死んで膿球になり、炎症と言う現象は、化膿性の疾患であったと言う事が分かります。
 こうした化膿性の疾患を治すには、血液や血球の補給を断てば、炎症部の症状は治まり、恢復(かいふく)に向かうと言う事なのです。
 また、化膿性の疾患を治すのに、現代栄養学が論拠としているプラスの栄養学では、余分な血球の造血を抑える事は出来ず、また病的な異常細胞も分化して、更に増殖し、転移を繰り返すばかりであり、この理論では病気は悪化する事があっても、治ると言う事がないのは一目瞭然です。


●美食の誘惑に負けず

 現代は飽食の時代にあり、日本国民の多くは食傷に冒されています。誰もがグルメを気取り、美食にチタ鼓を打ち、有り余る豊富な食べ物の洪水に、喰い飽きた観が否めません。どこかにうまい食べ物があると聞けば、万難を排いしても、そこに食べに行こうとします。美味しい物であれば、順番待ちの長蛇の列も厭(いと)いません。そのくせ、食の本当の味を知る人は殆どいません。作為のある料理人のレシピに誤魔化され、濃い味や、脂成分や、化学調味料の味に騙されています。

 単に、目先三尺の原色系の赤・黄・緑の色彩に騙され、舌先三寸の小手先の味に騙されています。味あう側の舌としては、無能であり、自然の食材の味を知らない人がグルメを気取り、何処までも押し掛けて行くのですから困り者です。まさに、こうした食の乱れは異常と言うほかなく、料理人は料理人で、飽食に埋もれて有頂天になり、自惚れの強い人間に成り下がって行きます。
 飽食の時代に多くの国民は、「食」そのものへの慎みを忘れ、乱れに乱れきっています。
 そして行き着く先は、難病・奇病のガンをはじめとする成人病です。

 「肉(じし)喰った報い」は、まさに現代という時代を象徴しています。これは成人病と言う、病気で裏付けされます。また成人病は食傷から起った結末です。それが、現代では「肉喰った報い」となって顕われ、この報いの元凶は「ガン疾患」と言う現代の不治の病です。そして、これは「血の汚れ」を元凶としているのです。
 飽食の時代は、動蛋白過剰摂取から、血液の組成を異状化します。
 血液組成の病的変化は、総ての病気と因果関係を持っています。これは食物の「質」や、食する「量」と密接な関係があり、また運動不足や精神の不安定から、血液組成の異状化が起ります。これらの不安定は、血液循環の障害から起るものでありましょうし、また、躰の病巣や、消化管で生じた細菌や毒素が原因している事もありましょう。

 断食や、粗食・小食は、このような要因を躰の内部から起こさせないように、全身の大掃除と、血液浄化に、大変に役に立つものなのです。断食をある日程数、行うと、断食者の血色が良くなるのは、血液の組成や循環が良くなったと言う証拠であり、これは今まで、体内に残留物として残っていた病素や病毒が一掃されたと言う事を意味しているのです。
 いま考えて見ますと、戦中、戦後の食べ物の乏しい時代を経て、終戦直後の日本人の食生活への欲望は、「十分に食べる事」が、まず第一義だったと思います。つまり「腹一杯、沢山食べる」と言う事が、贅沢(ぜいたく)の象徴だったのです。これが次の時代に突入すると、高度経済成長を経て、「美味しい物を食べる」という贅沢が、次の時代を支配するようになりました。
 こうして時代は下り、「沢山食べる事」と、「美味しい物を食べる事」が叶い、これらが満足できる時代に移ると、今度は、お金を沢山だしても、兎に角、「美味しい物を、好きなだけ、生きているうちに美食できるか」という意識に変わって行きます。
 現に、「美味しい物」と聞けば、千里の道も何の其ので、臍繰(へそく)りをありったけ身に着けて、何処へでも出かけて行きます。そこが北の果てであろうと、南の果てであろうと、日本国内はもとより、中国やアメリカやヨーロッパまでもを股にかけて、「美味しい物を、食べたいだけ食べて、贅沢を満喫する」という時代に至りました。そして、こうした意識下の現実の中で、成人病が多発しているのです。

 一方、例えば、パリのマキシムのローストビーフも、お金さえ出せば食べられる実情にありながら、これを敢(あえ)て食べず、「食べない事の贅沢」あるいは「美食に誘惑されない贅沢」というものも、あっていいのだろうと思います。食傷の時代だからこそ、尚さらでしょうか。
 「食べ過ぎの害」とは良く言われますが、こうした医学的な健康概念の観点からは勿論の事ですが、もっと精神的な思考で、一種の趣味的なアングルから、「食べない事の贅沢」あるいは「美食に誘惑されない贅沢」というものも、あっていいのではないかと思います。
 飽食に明け暮れる日本では、お金さえ出せば何でも手に入ります。したがって、逆に「食べない贅沢」と言うものがあってもいいと思うんです。あるいは「食べない事こそ贅沢」と言う思想があってもいいと思います。この贅沢こそ、何と「優雅」ではありませんか。
 傍(かたわら)が、美食にガッツき、溺れている最中でも、食べない事に徹し、これを優雅に見守る。精神的にも乏しい時代であるからこそ、精神的には腹一杯食べ、他人が腹一体食べている樣子を見て、これで満足すると言う考え方があってもいいのではないかと思います。

 美味しい物を横眼に見つつ、この誘惑に負けず、例えば、玄米粥(げんまい‐がゆ)一椀に梅干一つを、一時間でも二時間でも、ゆっくり味合い、油でぎらつく中国料理などの誘惑にも負けないと言うのは、果たしてどちらが気高く、優雅であるか、こうした現実下にも、「誘惑に勝つ」と言う価値観の相違が現れます。
 物質文明に汚染され、文明と言う時代の、食傷に冒された緩慢な俗界の肉体と、これを跳ね返すだけの精神的敏捷性を養成した意志の堅固さとは、果たして、どちらが長寿に貢献するのか。あるいは現代の奇病・難病と称される成人病に抗(あらが)う力を持っているのか。是非これを考えて見て下さい。

 飽食の時代、一日三食では飽き足らず、四食も五食も食べ過ぎの傾向にある時代だからこそ、大食漢に陥る愚から離れて、少し自分の胃腸や、その他の器官を休ませてやった方がいいのではないかと思います。
 かつて、「断食の門」というのは、不治の病の人が訪れた「狭き門」でした。
 この事は聖書も語っているではありませんか。「狭き門より入れ」と。

 「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その路(みち)は広く、これより入る者は多し。命に至る門は狭く、その路は細く、これを見い出す者は少なし」(「マタイ伝」7の13~14)
 生命に生き抜く門は、「狭く」「入り難く」また「苦しく」「痛い」ものなのです。その上に、「醜く」もあり、一見端目には禁欲と苦海の行(ぎょう)を彷佛(ほうふつ)とさせます。ところが、この門こそ、真実の門であり、その先に「幸福の天地」が開けているのです。
 病気と言う、苦難の黒幕が曳(ひ)かれたとき、その奥には、一時の目と舌を惑わす美食など存在せず、永遠に変貌しない幸福の舞台が用意されているのです。
 断食も、一見聞けば「苦難の黒幕」を思わせます。しかし、この幕を曳き終わった時、その先には、豁然(かつぜん)と幸福の天地が開けているのです。
 「門を叩け、さらば開かれん」(「マタイ伝」7の9)これはイエスの言葉であり、また哲学的な真理ではなかったのでしょうか。



●断食後の粗食・小食の実践

 「病気」とは、苦難の門であり、また一方、幸福に至る門でもあります。苦難の先には、幸福が待ち構えています。しかし、苦難を苦難として捕らえる所に悲劇があり、現代の不幸が存在します。苦難があるからこそ、その先に幸福があるのであって、苦難の先に苦難が待ち構えているのではありません。
 「病気をせずに、楽しく暮らし、人生を幸福に生きたい」というのは、万人の願いであり、希望であります。しかし、果たして何人の人が、これを実現出来たでしょうか。
 世の中の成功者と云われる人は、日々精進し、自分をその成功者として、客観的に映し出し、自分自身を励まし、努力を重ねて、自分を信じ、まっしぐらに進んで来た人である事は間違いないことですが、こうした成功を遂げ、身に余る財産を手にした人でも、やはり苦難は付き纏(まと)い、多かれ少なかれ、何等かの悩みを抱えています。

 では、この「悩み」は一体何処から派生するのでしょうか。
 自分の希望が叶い、自分の目標を成就した人でも、実際道徳の規範となる原理および不摂生を重ねて、「趣味が仕事」などと豪語した人は、自覚症状の無いまま、路(みち)を外して生きている場合が少なくありません。そして一度路を外すと、元に戻れないと言う状態になっていて、再び元の軌道に乗れずに苦慮している人が少なくありません。
 多くの人は、成功者を羨(ねた)み、金持ちを羨望の目で眺めます。しかし庶民から見て、一見羨望の眼差しで尊敬される人でも、何等かの不幸の影をちらつかせているものなのです。美食や食道楽は、こうした影に忍び寄って来るのです。
 食べ物にこだわり、美食にこだわり、レシピや旨味にこだわるようになると、食は「生きる為に命の糧」から、「楽しむ為の食道楽」へと成り下がります。
 食への慎みや食を乱さないと言う行為は、もともと人間の純情さや素直さからはじまったものでした。最初は、何のこだわりもなく、不平も、不満も、不足もなかったのです。澄み切った純なる気持ちで、食に接し、これに有り難く感謝を捧げていました。ところが、世の中が、文明の利器の恩恵に預かるようになると、こうした純情や素直さは薄らいで行き、澄み切った、張りのある心までもを失い始めました。病気の影は、こうした心に隙間を縫って忍び込んで来るのです。

 病気に煩わされず、晴れ晴れとした気分で毎日を送っている人が、果たして何人いるでしょうか。現代では、自分では健康であると自負しながら、実は不定愁訴を招き寄せている人が少なくありません。つい、酒に溺れ、タバコの味を覚え、これらは悪いと思いながらも意志薄弱の根性が直らず、此処から抜けだせずに苦しんでいる人が少なくありません。挙句の果てに、胃腸病に罹(かか)り、潰瘍と言う診断を受けたり、あるいはガンと言う診断が下されます。こうした現代の落とし穴から、早急に抜け出す手段を講じなければなりません。
 その意味で、「断食」は最も良い方法であり、また断食する事で、精神統一にも役立つのです。この精神統一の成就が叶った時、人は不思議な力を身に付けます。怪我をしても、治りが早く、軽い躰で敏捷性が良くなり、しかも頭がスッキリして思考力が高まり、頭脳明晰と言った体験を得る事です。
 飽食に明け暮れる時代、是非「食べない贅沢」を味わってみては如何でしょうか。


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<送信する前に>
 食の乱れやそこから起こる病気や怪我、災害や交通事故、事件や災難、裁判沙汰や争い事、不倫や離婚など、不運・不幸などの根源の裏には、現代人の食事法の誤りが上げられます。
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 なお、二回目以降については、《癒しの杜の会》にご入会ください。ご入会後は、各指導・実践項目に従い、月三回までの実践上においてのご質問・ご相談が可能です。
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困った時、精神的にピンチに追い詰められた時の相談相手としてご利用下さい。

【指導・実践及び指導に関する質問項目】
1.霊導法(精神障害からの解放)
2.霊的食養道(新たな次世代の体躯)
3.ミニ断食(難病を癒し、強健な体質へ)
4.食養道と開運法(動蛋白から穀物菜食にすれば、
 行き詰まっていた窮地が改善される)

5.体質改善法(堅固な意志と暑さ寒さに左右されな
 い体質造り)

6.不運・不幸現象解消法(食への慎みを忘れ、これ
 を乱すと、《兇いメグリ》として再び自分へ不運
 不幸が巡り来る)

7.人生哲学の探究(自分を瞶め、成長させる意志の
 力を養成する)

8.結婚に関する血統・霊統相談(結婚は血と霊が大
 きく関わっている)

9.生活経済相談(経済的な困窮は、貸借対照表と損益計算書の見方を知らない事から起こる。経済的不自由からの解法)
10.その他、講演依頼

 入会者の特典として、主宰である会長直々の面談、講演依頼や講演誘致なども可能となっておりますので、継続的に食養道を中心とした開運を実践したい方は、ご入会をご検討下さいませ。

 入会に関する詳細はこちらをご参照下さい。