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志高く、より良く生きるために

■ 壮年、高齢者のクラス ■
(そうねん、こうれいしゃのくらす)

●自分は人生の「勝ち組」と思っていたが……

 壮年サラリーマンの多くは、人生の終盤戦にかけて、自分は勝ち組だと思って、日々悪戦苦闘し、競争社会の中で奔走しています。しかし、こうした実情を人間一人の人生から観(み)てみますと、結局それは、企業に酷使されたクソみたいな人生に過ぎないことが分かります。
 勝ち組に位置して、勝ち誇ったと言う一局面の人生劇は、実は埒(らち)も無い、一瞬の戯言にしか過ぎません。しかしこれに気付かず、自分を酷使し続けて、自身を駄目にして、過労死や突然死で斃(たお)れていく、多くの企業戦士達をよく見かけます。

 資本主義の競争原理の中で、勝ち組として奔走しても、人間である以上、様々な不満や悔悟の思いが繰り返されます。
 特に家庭においては、企業戦士で有る無しに関わらず、人間としての悩みや問題が次から次へと浮上して、その柵(しがらみ)に絡め取られてしまいます。それを否定し、捨てることは非常に難しい事です。こうした現実の中には、悪妻もいれば、不肖の子供達が育つ場合もあります。そしてこうした事が起因して、あるいは不倫に走るかも知れません。

 そして現実問題として、はっきりしていることは、一般的に言われている、駄目な者、あるいは人間的な感情に忠実に生きたいと欲する者は、結局競争社会では淘汰される運命にあります。
 淘汰された者に栄進はありません。企業戦士としての栄光は、永遠に訪れることはありません。

 こうした事を総合しますと、結局社会人としてのスタートは、「マイナス勘定」から始まって、競争原理に勝てる体質を養い、勝ち続けて行くことが生活設計の勝者のように映ります。
 ところがこれは、煩悩の愚かな面を突出させた、拙(つたな)い野望の一種に過ぎません。

 人生修行の場において、「勝ち」か「敗け」か、自分の人生を一通り振り返ってみますと、企業戦士として働いた足跡の中には、あまり多くの実態はなく、その実は、多くが晩年に集中していることが分かります。そして自分の死ぬ間際、自分は果たしてこれまでの人生が、「一生懸命」であったか否か、その真際で決定されるものなのです。

 現世の社会構造は、紛れもなく競争原理が働く構造になっています。この社会で生きるには、まずライバルを蹴落とし、自分が他より一歩先に出るということが、他人を出し抜くキーワードとなります。人と争い、押し退けて進まねばならない構造になっていますから、時には、他人を葬ることもやむを得ない場合があります。人間関係も複雑で、常に格闘し、先に出る事を目論み、そこには出し抜く為の競争意識が働きます。

 あなたは『韓非子』(韓非の著書。20巻55編。法律・刑罰を以て政治の基礎と説く)を御存じでしょうか。
 『韓非子』の著者・韓非(中国、戦国時代の韓の公子で、法家の大成者。かつて荀子に師事)は言います。
 「この世の中には、三つの真理がある。その一つは、人間の知力を以てしても、成し遂げられないことがある。その二つは、力で持ち上げても、持ち上げられないものがある。その三つは、幾ら強くても、人に勝てない場合がある」と。

 韓非はこれを堯(ぎょう/中国古伝説上の聖王で、舜と並んで中国の理想的帝王とされる)、烏獲(うかく/秦の武王の時代の力士)、孟賁(もうほん/夏育)の三人になぞらえ、堯ほどの知があっても、衆人の助けがなければ大成功は収められないし、烏獲ほどの大力士でも、人の助けがなければ自分の躰は持ち上げることが出来ないし、孟賁ほどの強健な者でも、方法や手段がなければ、いつまでも勝ち続けることは出来ない、と述べ、情勢だけではどうしようもないことがあり、事の道理上、やり遂げられない場合があると指摘しているのです。
 そして資本主義社会を構築する、血の流れない企業と言う生命体は、企業殺人をはじめとして、失脚、追放、左遷、降格・降職などの形で、数限りなく人間を地上から抹殺して行きます。

 だからこそ韓非は、「褒(ほ)めること」「怒らせないこと」は、人の心の襞(ひだ)を広げるのだと言います。
 これを道元(曹洞宗の開祖で鎌倉初期の禅僧)流に言いますと、「説教するには、つまり衆生を説得するには、慈しみの言葉をかけて、決して憎しみの言葉を吐くな」ということになるでしょうか。

 つまり人間は、「道理」で動くのではなく、「感情」で動く、という事を言っているのです。此処にある人間社会の大前提は、説得は、人間が「感情の動物」であるという事を片時も忘れてはならないということをいっているのです。
 そして、物事を正しく知る能力としての知恵は、単なる知識であり、その知識をどう使うかが本当の知恵であると言っています。此処には「説明」と「説得」の違いがあります。

 韓非はこうした中に、更に付け加えて、「相手が説得に応じて行動を起こしたとしても、戦国時代のような社会では、その後からドンデン返しのような場合が多く、たとえ説得は成功しても、一瞬にして消えることまで考えておくべきだ」と言います。こうした、淡々として繰り広げられる、平時の日常性の中にこそ、本当の恐怖があると言います。
 人間は、危急の際には、何を仕出(しで)かすか分からないほど、恐ろしいドンデン返しの繰り返しを連続させ、予想外の事をやってのける動物であるからです。

 また『韓非子』の中には「亡徴」(ぼうちょう)なる一篇(いっぺん)があり、如何に栄華を競っても、それはやがて滅亡するとする「徴」(しるし)を著わした一節を記しています。
 東洋のマキャベリーとでも言うべき、韓非の手による『韓非子』(全部が全部、韓非のものであるとは言い難いが)は、「滅びる兆(きざし)」を集大成した法家思想の精粋を極めたものでした。そして「何が滅びるか?」と言うと、国が滅亡すると言うのです。今風に言えば、企業体のような無機生物でしょうか。これが滅びると言うのです。韓非の言を企業体に置き換えて、当て嵌めれば明白です。

 韓非曰(いわ)く、「おおよそ君子を頂く国で、国土が小さいのに、家臣の屋敷が大きく、君主の権限が軽いのに、家臣の方が重い、かかる国は、亡ぶべきなり」と。
 これはどこか、今日の日本資本主義の、資本主義のルールを無視した、日本の企業に似てないでしょうか。

 資本主義の競争社会は競争原理に従って、個人が自身のエゴイズムの煩悩を満開にさせて奔走する社会ですが、これは裏から見れば打算社会であり、打算を覗かせた考え方で動くと言う法則があります。
 したがって素人考えでは、強者だけ集めて、能力を発揮させれば、効率的な、強い行動ができるのではないかと考えがちですが、強者を集めても、使いこなせなければ戦力は強化されません。
 むしろ強者も弱者も集めて、その総合的な能力をフル活用し、相互に組み合わせることによって組織の戦力は強まります。

 戦国期の日本史から窺(うかが)いますと、織田信長は、普段でも甲冑(かっちゅう)を身に着けて生活をする非日常生活の中で、腕の立つ剣客ばかりを集めることをしませんでした。
 むしろ、腕の立たない、弱者らの雑兵(ぞうひょう)を集め、彼等に鉄砲を持たせて訓練し、組織を編成して天下取りを行ったのです。

 また近代では、高杉晋作が、百姓、町人、下級武士からなる、武芸には素人の階級層を訓練して、奇兵隊を組織し、攘夷論の急先鋒を買って出て、俗論党を破って藩論を倒幕に統一し、明治維新に向けての第一歩を踏み出しました。洋式練兵を行った奇兵隊は、戦場の至る処で幕府軍を撃ち破って行きます。

 実際、経営を成功させる為には、部下の各々の持ち味や長所を生かして、組織強化に繋げる事に他ならないのです。しかしこの競争原理の働く、社会では、部下を全面的に信用しようと思ってはいけないのです。部下に全幅の信頼を得ようとか、心から愛されようなどと思ってはいけないのです。要するに部下の甘えを許さず、やるべきことはやらせ、持ち味や長所を引き出すような厳しい上司でなければ、このシステムは機能しないのです。

 競争社会では、人間不信に徹し、その統率を怠らないことこそ、勝ち組に残れる唯一の方法だったのです。
 ところが、こうした奔走した人生も、終盤戦に至り、自分の踏み進んで来た跡を振り返れば、他愛のないクソのような跡しか残っていません。
 以上を振り返ってみますと、企業体の中での職場と言う場所は、一種の共同体のようなところだったかも知れませんが、ここに人間としての「まこと」はなく、競争原理の働く給料を得る為の組織にしか過ぎなかったのです。

 これを更に『韓非子』流になぞらえれば、
 「群臣が学問を好み、重臣の子弟は弁術を玩弄し、商人は他国に財を貯え、庶民の信頼心強き国、そのような国は、亡ぶべきなり」とあります。
 こうした「亡ぶべきなり」の国は、どこか今の日本の姿に酷似していないでしょうか。

 また巷間(こうかん)では、婦女子の間で「占い」が大流行です。
 これに対して韓非は言います。
 「時日の吉凶を占い、鬼神を尊崇し、卜筮(ぼくぜい)を信じ、祭祀を好む君主のいる国は、亡ぶべきなり」と。

 更に、政治家や官僚の世界では、
 「官職が重臣の推挙で自由になり、金銭で爵禄(しゃくろく)が買える国、それは、亡ぶべきなり」と。

 「果てしなき貪欲をもって、利益のある所のみに近付き、損得のみを考える、かかる君主のいる国は、亡ぶべきなり」

 「その浅薄な性格を他人に見すかされ、すぐに真相を洩らし、周密な配慮に欠け、群臣の語を左右に喋り散らしてしまう君主の国は、亡ぶべきなり」

 「強情で人と和す事なく、いつも諌言に逆らって負けず嫌い、国歌の事などお構え無しで、己のみを軽々しく信じている君主の国は、亡ぶべきなり」

 「刑罰は淫乱、法規に忠実なく、弁舌巧みなる者を愛し、その実行力を考えず、見てくれの華麗に溺れて、その実効性を顧みない君主の国は、亡ぶべきなり」

 「心たるんで、何事も為(なし)遂げることなく、優柔にして不断、物の好悪も選択できず、きっちりと大地に立つ所なき君主を頂く国は、亡ぶべきなり」

 「宮殿楼閣池苑の贅沢を好み、車や衣裳、道具の類に凝り、民衆を疲弊させて貨財を浪費する、かかる君主の国は、亡ぶべきなり」

 「法令や禁制を無視し、謀略を好み、国内を放置して、他国の援助を頼りにしている君主の国は、亡ぶべきなり」

 このように巷(ちまた)には「亡ぶべきなり」の要素が満ち溢れ、世の中の構成要素は、一見、義理と信義を重んじて動いているように見えますが、その根底に流れるものの行動を見てみますと、それは常に、実利を伴った信義であると言えましょう。

 現世の世の流れは、実際は人情に機微(きび)に流れず、実際上の利益を考えて信義を守っているに過ぎません。
 資本主義社会の現実は「契約社会」であり、契約によって己が信用を履行します。それは割り符の一片である誓書が、如何に重要であるかを思い知らせるものですが、実はそれがまた、如何に頼り無いものであるか、歴史を振り返れば、明白です。
 秀吉が病床の枕許(まくらもと)で、家康をはじめとする幕閣・諸侯に乱発した誓書がいい例です。
 政治組織の中枢が揺らいでいては、病床の秀吉が、跡継ぎの秀頼を思って、幕閣から、幾ら忠誠を誓う約束書を何枚書かせたところで、それは反故(ほご)同然だったのです。

 人間は生まれたその日から、「滅び」に向かって人生を突っ走っています。一瞬の瞬(またた)きの中で、栄華を極めようとも、「栄枯盛衰の法則」により、やがては何人と雖(いえど)も、滅ぶ運命にあります。
 しかしそれは肉体が滅ぶのであって、意識(心)が、あるいは魂が滅ぶのではありません。魂は永遠であり、それは人類の歴史の中で生き続けます。生き続ける魂は、浄化されてはじめて無垢(むく)になり、永遠の輝きを増します。
 実は、勝ち組と思って奔走した足跡は、魂的の浄化から考えれば、ただの錯綜したクソみたいな足跡に過ぎなかったのです。人間はこうした資本主義の柵の輪から逃れて、はじめて無垢な魂が蘇るのです。

●西郷派合気は年齢に関係なく修得できる

 昨今は、肉体を使う派手な格闘技や西洋スポーツが大流行しています。
 しかしこうしたものは、えてして派手なアクションを見せつける観戦スポーツであり、自分が身体を動かして、実際に体験するには、あまりにも肉体を酷使し、長い目で見ると、怪我ばかりして、長寿を約束するようなものではありません。しかも中年以降の年齢の人には、非常に不向きです。

 また激しい動きは、力(りき)みを生じさせますから、心臓に負担を掛け、心臓肥大症を招くばかりでなく、食生活が、肉や乳製品(牛乳、バター、チーズ、ヨーグルト)に偏(かたよ)ったものを選択してしまいがちになります。
 当然そこには、レシピとして白砂糖をはじめとして、香辛料や化学調味料(現在はうま味調味料と言う化学合成食品の一つ。天然の旨み成分を化学的にまたは酵素を用いて処理して得た調味料。また、それらの2〜3種を混合したもの。グルタミン酸ナトリウム・イノシン酸ナトリウム・グアニル酸ナトリウムの類で、発ガン性の要素を含む)が必要となり、それに魅了される事になります。
 そして晩年の行き着く先は、「ガン」をはじめとした、高血圧や糖尿病、高脂血症といった病名の世界です。

 人生の晩年に差し掛かって、過激な運動や、短距離マラソンあるいはランニング、テニスと言ったものは心臓に負担を掛け、内臓機能の老化を早めますので、高齢者には適当とは言えません。
 むしろ身体を破壊し、やがては自滅するようなものであり、七十や八十になっても稽古できないものであると言う事は、誰の目から見ても明白です。

 ところが西郷派合気は年齢に関係なく、無理なく実践する事が出来ます。人生の終盤戦こそ、その気迫はラストスパートでなければなりません。ゴール直前での最後の気力を出し切って、人生に有終の美を飾らなければなりません。
 人の人生は誇り高くあるべきです。どんなに困窮していても、その精神的気構えは、精神的貴族であり、精神的上級武士(かつて会津藩では、五百石以上の上級武士に限り、大東流の前身である会津御留流が指導された)でなければなりません。誇り高く生きようと御考えの方は、是非一度、西郷派大東流合気武術の門を叩いてみて下さい。


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