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西郷派大東流と武士道

万物の根源を顕した金銅能作生塔(こんどうのうさしょうとう)。万物は刻々と変化する。陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる。こうした、万物は変化するという万物の複雑な構造を見事に一つの塔にまとめ、その全体像を表現した塔である。
 そして、この宇宙の中には、「人の死」も内包されている。

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■ 死を嗜む道■
(しをたしなむみち)

源頼朝像
細川澄元像

●現実を知るという大事

 現代の世は、知識が横行しているのにも係(かかわ)らず、「物事を知る」という努力をする人は少ない。知識を暗記の専売特許にしてしまって、何ページの何処に何が書かれているか、そうしたことばかりを暗記する知識になっている。

 したがって「知る」ということが、一体どんなことであるか、全く分からない人が多い。本来ならば、身から滲み出る知性を、暗記の対象にしてしまっているからだ。
 知るということは、つまり、人生の裏も表も知り尽くし、よくも悪くも、これを人間らしく、心底、味わうことである。よいことばかりを知って、悪いことに蓋(ふた)をしてはならない。事実は事実として、把握することである。何故ならば、元々万物は「浄穢不二(じょうえ‐ふじ)であるからだ。

 人の世の中は、綺麗なことより穢いものの方が多い。だから、この世を「穢土(えど)」という。汚れに汚れまくっている。穢れたものの上に立つから、この世を「穢土」という。しかし、死生同根ならば、穢土において、また浄穢不二も成り立つ。

 今まで、人生で知り得たことが、事実が事実として浮上するのは、人間の死ぬ間際(まぎわ)である。そして、その時に、自分の歩いた人生が、失敗だったと反芻(はんすう)できる人は、実はその人が、自分の人生を正直に歩いた人である。

 人の死の、その間際を「総決算」という。そこで辻褄(つじつま)を合わせるのだ。その総決算に当たり、現実に自分の歩いた人生は、失敗だったと勇気をもって告白し、此処(ここ)に反省の念をもって、死んでいける人は、人間の尊厳を示して死んでいける人である。
 一方、自分の人生が成功だったと豪語する人は、その死が永遠のものとなる。

 成功者は多くが、人生の実体を「裏」と検(み)て、その卓越した見識により、成功を手に入れた人である。したがって、そこには些(いささ)かの欺瞞(ぎまん)があり、虚構が存在している。この現実を無視して、自分の人生は成功で満ち溢れた人生だったとするのは、実は、人生には「表」がなく、「裏」ばかりだとする、この現実を無視していることになる。

 もし、死ぬ間際、つまらない生き方ばかりをしてきたと、人生の「裏」の現実を見詰めて、これを勇気をもって告白できる人は、人間を、世の中を、現象界を、よく知り得た人といえよう。これこそが、初心と、曇りのない眼を持った、真実、正直な人なのである。

 人間は、その習性から言って、本来は「純な思い」や「純な心」をもって、世渡りを試みるのであるが、実際の世は純粋な青少年が考えるほど、世の中はそんなに美しいものばかりではない。また甘くもないだろう。
 純粋な思いや、それに入れ揚げる気持ちや、人情は分からぬでもないが、それは表立ったことであり、裏側は、人が考えるほどそんなに甘いものではない。現実は辛酸なものである。

 しかし、純なるものへ思い入れることは、決して悪いことではない。また純心を、信条としてこれを象徴するものへ、心を傾倒することも決して悪いことではないだろう。ただ、大事なのは、現象人間界という、この惨憺(さんたん)たる現実を、素直に受諾することである。如何なる現実も、現実として受諾することである。したがって、死も然(しか)り。

 惨憺たるものの一つが、「人の死」である。人の死を、純粋に悲しんで見せ、涙を流すことは悪いことではない。しかし、非存在なる人間は、「死ぬものである」ということを理解することも、端然(たんぜん)と死を見詰める現実の中にはあり、此処から眼を反(そ)らしたり、逃げ回ってはならない。眼を反らしたり、逃げ回ったりとするこうしたことは、現実を誤魔化(ごまか)し、自分を誤魔化したことになる。

 そして、一切の誤魔化しのない現実を冷徹な眼で観察すれば、そこには「絶望」があるのみである。現実の世は、自分の直ぐ傍(そば)に「大いなる絶望」が横たわっていて、それは人間の卑小であったり、人生は惨憺たるものの連続であるという事実を知ったとき、はじめて人は、人間にしか出来ないスタート・ラインに立って、壮絶な生き方が出来るのである。絶望を舐めてこそ、どん底方立ち直ることが出来、総ては此処から始まるのである。
 この「壮絶」な生き方こそ、換言すれば、「死を嗜む道」なのである。

 

●万物は流転する

 死を嗜むには、壮絶で確(たし)かな、端然と死を見詰める覚悟がいる。この覚悟がなければ、人の死は動物以下のものとなり、その人の死は、まさに「犬死」となる。

 人は、自分の人生が総(すべ)て満足いくものだったと、死ぬ間際に反芻(はんすう)する者はいないだろう。多くの人間は、「現実の人生が失敗であった」という思いを残して死んでいくものである。人生には、善(よ)いことばかりは存在しない。むしろ愉(たの)しかったことより、苦しかったことの方が、圧倒的に多いだろう。

 人と張り合い、鎬(しのぎ)を削(けず)り、競争して、人より一歩さきん出ようと奔走した筈(はず)である。奔走することのあった事実こそ、人生をよきにも、悪るきにも映し出してくれるのである。それを味わうことが「知ること」である。人生を自覚し、この自覚の中にこそ、人間の尊厳を示す「死」が存在しているのである。そして総(そう)じて、そこに示された真理は、人間は、みな思いを残して死んでいく事実である。思いの中に「失敗であった事実」が閉じ込められている。

 人が、思いを残して死んでいくという事実が明白になったとき、どんなに裕福で、贅沢(ぜいたく)を満喫し、人から羨(うらや)まれるような人生を送ったとしても、その人生の側面には惨憺たる悲劇がついて廻っていて、一方、失敗だったと感ずる側面が、もう一方にあり、それを知ってこそ、死生観が超越できるのである。苦楽は、この次元に至って超越できるのである。

 人の一生は、どんなにもがいても、現実の儚(はかな)さから脱げ出すことは出来ない。それは人類共通の無力なる一面である。無力を知ることこそ、儚さを承諾することであり、そこからまた新たな明かりが見えてくる。

 人間は、人間として、死と引き換えに、自分の生命を、何かに賭(か)けるものを持っていなければならない。生命を賭けて、向かうべきものに向かう覚悟がいる。その覚悟さえ確(しっか)りしていれば、その道で、志半(こころざし‐なか)ばで斃(たお)れたとしても、戦い尽くした足跡が認められるのならば、満足がいく一生であったと云える。
 幸福になることではなく、幸福に繋(つな)がる道を歩くことが大事なのだ。この道こそ確かなものはない。

 道半ばに斃れ、思いを残したことは山ほどあっても、戦い尽くし、燃焼しきったという実感が得られれば、それは人生を濃厚に味わったと云えるだろう。結果はどうでもいいのである。勝利者になることではなく、勝利への道を歩く事である。

 人間は、凡夫(ぼんぷ)が偉人を検(み)て、偉人がどれだけ素晴らしいか、凡夫が思うほど、偉人も、どれほどの事もないのである。偉人を素晴らしいと思うのは、紛(まぎ)れもなく幻想である。明らかに作り上げられた幻想である。幻想は「まぼろし」であるから、偉人に抱く期待が、どれほど大きかったとしても、それは「どれほどのこともない」ただのそれだけである。命は、偉人の命が尊くて、凡夫の命が軽いのではない。

 人間はどれほどのことをしても、いつかはその存在は、時の流れと倶(とも)に忘れ去られ、自然に埋没していくものである。そこには何の跡も止めない。

 夜、石段に照らし出された月影も、翌日の朝になれば跡形もなく消えているのである。昨夜見た月掛けが、幻にも等しいのである。過ぎ去りし日の栄光など、何一つ残っていないのである。一切自然に埋没するのである。埋没し、後は決してと止めない。これが現象人間界の真実である。止めないことが真実なのである。万物は刻々と変化するのだ。これが、万物が流転(るてん)するという真実である。

 そして人は、生という本質を、「死」に反映させてこそ、「生」の本当の姿が見えてくるものであり、そこから永遠に向かって、歩むべき方向も暗示されているのである。

一休宗純像

 一休宗純(いっきゅう‐そうじゅん)は、活殺自在の禅者であったことは、誰もが知るところである。また一方で、風狂として知られ、天衣無縫(てんい‐むほう)の生き態(ざま)は、人を人と思わない反骨振りと、やんちゃ振りと、これらが一つになり、一休自身の赤裸々な人間性を作り上げていたといえる。一休は、俗の世界に居ながらも、俗に染まらず、飄々(ひょうひょう)と天然を貫いた人物といえよう。

 また、こうした人間性の発端(ほったん)に、一休の出生が大いに関わっていた。一休宗純は、応永元年(1394)京都に生まれた。母は南朝方の貴族の出で、藤氏(とうし)の流れを汲み、この母が後小松天皇の寵愛(ちょうあい)を受け、私生児として生まれたのが一休であった。

 そして母親の遺言には、次のようにあった。
 「御身(おんみ)、よき出家(しゅっけ)になりたまい、仏性(ぶっしょう)の見(けん)をみがき、そのまなこより、我ら地獄に落ちるか、不断添うか添わざるか見たもうべし。……」
 出家したからといって、説法のみに捉われて汲々(きゅうきゅう)としてはならないことを戒めている。そして母の言を墨守し、それを生涯貫いている。またこれが、一休の天衣無縫の生き方に反映されることになる。

 87歳で世を去るまで、その生涯は説法に捉われず猛烈な毒舌を吐き散らす生き方をするが、一見、破戒僧に見える一休の言は、五大(地水火風空)の真理を透徹した生き態だった。
 「現今、そこいらの贋(にせ)知識は木剣と変わらない。鞘(さや)に納めておけば、いかにも真剣のように見えるが、いさ抜いて出たら、ただの棒切れだ。人を殺すことも出来んのに、どうして人を活かすことが出来ようか」と喝破(かっぱ)した。

 つまり、心に死を充て生きていない者は、生きていても、ただ家畜のように生きるだけで、本当に生きていないのだということを明言しているのである。本当に生きていない者に、本当の死など訪れるはずがない。死の荘厳など、起り得よう筈(はず)がないのだ。

 一休が死んだのは、文明13年(1481)といわれる。
 一休は死を間際にして、「借用申す昨月昨日、返済申す今月今日、借り置きし五つのものを四つかえし、本来空(くう)にいまぞもとずく」と吾(わ)が自画像を賞賛したという。

 人は、この世に借り物としての肉体を借用して生まれてくる。肉体は本来自分のものでない。したがって、自分勝手に粗末にすることは許されない。生活習慣病などを患(わずら)って、高血圧症や糖尿病などの成人病になるのはもっての外である。食生活を誤らず、肉体は大事に遣う必要がある。そして、肉と霊が分離するとき、肉は地に返していかなければならない。

 ために一休は言う。「この世に生まれた日に借用してきたものを今月今日、返済申す」と。
 そして、「但し、地水火風空の五大のうち、地水火風は娑婆の土へとお返し申すが、残りの空(くう)だけは本来のところに帰るまでのこと」と。
 一休は、総ては空に回帰し、万物は流転することを知っていたのである。また、それ故に死も、循環しなければならず、死して、永遠の死であってはならないと説くのである。

 

●非存在としての人間

 人間の生と死は、「存在感」による。存在感が薄れると、生存の為の因縁が弱くなる。生きる因縁が薄れ、徐々に存在感が弱くなり、同時に、生きる因縁を失っていく。死んでいく多くは、「生」としての存在感が失われたからだ。
 その為に本来の「非存在なる姿」に戻っていく。無慙(むざん)な横死(おうし)や事故死で、命を失う人は、生きる因縁を失ったからだ。

 病気一つ取り上げても、そこには存在感が深く関わっている。病気に罹(かか)っても直ぐ治る人は、存在を求められるから生還するのであって、逆に生還できなくて徐々に悪化していき、最後は死に至るというプロセスを辿る人は、要するに、その人自身の存在する意味が失われたからである。
 存在する意味が失われた時に、人は死ぬ。

 例えば、高血圧症などで心臓障害や脳障害を起し、斃(たお)れて死んでいく人や、仮に命をとりとめても植物状態になったり、その後の余生が悲惨な状態になる人は、つまり存在の意味が失われたからだ。
 存在の意味が失われば、人間としての機能が果たせなくなる。

 人間が生きているということは、他に抗(あらが)って自分の存在意義を示すのであるから、抵抗力が薄いということは、自分の存在意義が薄いということになる。他に及ぼす影響力が薄いともいえるのである。時代が、その人を必要としなくらるとき、その人の影響力は薄くなる。そして影響力が完全に消えたとき、それは人の死である。
 したがって、他に抗(あらが)って生きるという意味さえ失われなければ、その人はこの世に生きる因縁を繋ぎ止める。此処に、「よく生きる」という原点がある。また、よく生きる人は、よく死ぬことも出来る。よく生きた人は、その人の死に、力があるのである。

 更に特記すべき事は、病気などで斃(たお)れていく人の多くは、死について殆ど何も考えていないということである。こうした人が抱いている病気への概念は、病気になったら医者に治してもらうとか、病院に行ってとか、薬で治すとかの、漠然とした病気に対する概念がある。したがって、治らない。また、現代病の多くは病院や医者で治らなくなってきている。例えば、ガン以外にも、脳梗塞なども今日では完治しない現代病であろう。現代病は、自らが引き寄せた悪想念の結果であるといえよう。

 つまり、こうした人が抱いている病気の概念と、死の概念は一致しない為であり、したがって病気に取り殺されていく。病気で死ぬ人は、その多くが死に対する概念を持たず、その人の日常は殆ど無防備である。故に病気で死ぬといえる。悪想念の招いた結果からであった。

 しかし、人間は本来は病気で死なないのが普通である。人の死は、寿命が尽きたから死ぬのであって、病気では死なないものである。その為に、普段から死の概念が抜け落ちている人は、本来は病気で死なない筈(はず)の人間が、「病気で死ぬ」という想念を、自らで引き寄せたともいえる。所謂(いわゆる)、悪想念である。
 悪想念を引き寄せる人は、病気に罹り易い。また、罹っても直ぐに治らない。病気は長引く。こうした人に共通していることは、背骨が通っていないことである。また体格的にも、「胸板」が薄い。猫背で、背骨が折り曲がっている。溌剌(はつらつ)さがない。年より老けて見えるなどがこれである。人間的に、植物人間の一歩手前といえよう。したがって、自らで死病を引き寄せる。悪想念の結果からだった。

 さて、死の概念について、近いうちに急に死ぬことがない人でも、本来ならば誰でも死に対して何らかの考え方を持っているものである。
 ところが昨今は、死に対しての概念が抜け落ちていて、自分だけは、死とは無縁の存在であるというような錯覚を抱く人が多くなってきている。つまり、自分は死とは無縁で、今直ぐには死なないと思いこんでいる人が多いことだ。自分の死は遠い未来のことと思い込んでいることである。こうした人は、ある日、突然襲ってくる事故死や事件死に巻き込まれ易い。その死相は、所謂(おうし)「横死」である。
 横死ほど無慙(むざん)な死に方はない。

万物は同根の生命の一雫(ひとしずく)といえる。百歳の寿命のものも、三十歳の寿命のものも、本来は自らに課せられた寿命を全うすることにある。千年生きる千年過ぎが八百年で斃れれば、早死にである。一方、一日の命のカゲロウが、一日を全うして命を絶やせば、それは寿命において長寿を全うしたことになる。

 これは戦後教育の最大の見落としであり、戦後世代は死に対して、自分が死ぬという、「死の哲学」を学ばなかった為だ。ただ、死から逃げ回り、病気を怕(こわ)がり、多くは無神論者になり、神仏不在の日常生活を送っている。したがって、どうしても死に馴(な)れ親しめない。自分の死を思うことが出来ない。
 誰もが、いつかは死ぬということを漠然と意識しながらも、実は死を実感として感得していない。それは、自分は死とは無縁と思っている為だ。

 その為に、突然死に直面すると、死に対する覚悟はない為に、死と対面し、大慌てをしなければならなくなる。そして、こうした大慌ての死は、死そのものが悲惨となる。
 この悲惨が「横死」の死相を招く。横死に直面する人は、死の直前に現れた死相が無慙な表情となっている。無念を抱え込んだ死である。これは普段から死に馴れ親しむ努力を怠った結果であるといえる。

 此処に、死に対して、「死ぬ力」が必要であることが分かるであろう。無慙な横死をする人は、普段から死を考えずに、死ぬ力が不足しているのである。故に、こうした死生観からは、永遠の死しか生まれてこない。


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