インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 西郷頼母と西郷四郎(六) >>
 
西郷派大東流と武士道

■ 西郷頼母と西郷四郎■
(さいごうたのもとさいごうしろう)

●我に命と力を与えたまえ

 西郷頼母は《大東流蜘蛛之巣(くものす)伝》を構築する際に、密教の秘事に基づき、武神の毘沙門天(びしゃもんてん)と摩利支天(まりしてん)に「我に命と力を与えたまえ」と祈念したと言われる。それは調伏法(ちょうぶくほう)の唸(ねん)の如しであったと言われる。
 人間の命と言うものは、肉体があって精神があれば、その二者が相乗効果を齎(もたら)して、事象を具現すると言うものではない。事象は、その人の念と意識の働きによって起る。いわゆる想念である。

 想念が健全であれば、その念はやがて成就するであろうし、想念が悪想念に汚染されていれば、その意識は決して良い方向に働かない。正流が受けられず、邪念に冒(おか)され易い心身となってしまう。合気行法の愛好者で、精神障害を起こしたり、呼吸法の間違いから精神分裂病になるなどは、こうした悪想念の仕業によって、健康を害して居る場合が少なくない。いわゆる「心の遣い方」の間違いであり、心の遣い方を誤れば、邪念に取り憑(つ)かれて、取り返しのつかない状態に陥れられてしまう。

 こうした愚を冒さない為に西郷頼母は、《大東流蜘蛛之巣伝》の霊的な力を得る為に、初伝の柔術と、それ以外の秘事や秘密を有する秘密を、約束事をもって段階的に稽古出来るように工夫したのであった。
 初伝となる大東流柔術百十八箇条は、肉体稽古が中心の柔術であり、此処(ここ)に霊的な軍法は一切入っていない。しかし「合気」に変わる段階から、徐々に霊的なものが関与して来て、儀法体系が肉体から霊魂へと移行している事が分かる。つまり霊体を遣(つか)う儀法が入り込み、これが肉体へ働きかけると言う特異な技術が存在する。
 これこそが、「敵を四次元空間に沈める」と言う合気であり、霊的解釈の智慧(ちえ)が無くして、合気を得る事は出来ない。

 敵は自分の衣服を握って来て、その手を外す事ができないのは、明らかに心法による働きであり、これには人間の「心」と言うものが既に関与している。あるいは心の迷いや、心で観じた錯覚が現象人間界に作用していると言う事実である。心法を遣えば、術者から合気に掛けれれれば、一本のロープを握る道化師となる。
 ロープを握った者は、実際にはロープも何も存在しないのだが、心の錯覚から棒立ちになり、ロープを握る手を外せば、顛倒してしまうのではないかと言う錯覚を抱く。顛倒するのが厭(いや)ならば、いつまでもロープを握った状態を続けるしかなく、こうして敵の心は、術者の心法の術へと嵌り込む。これこそが、「小能(よ)く大を制す」の西郷頼母の願った「我に命と力を与えたまえ」ではなかったか。
 そして「負けない境地」とは、こうした事を言うのであり、他人と試合で争い、競技で勝ち負けを争奪する次元のものと、西郷頼母の遺(のこ)した《大東流蜘蛛之巣伝》の真の目的とは、他人と争い、無闇(むやみ)に格闘しあう事ではなかったと言う事が分かるであろう。

 負けない境地とは、「負けない事」であり、「勝つ事」ではない。しかし格闘技中継や、相撲中継のテレビ放映になれた現代に日本人は、「何が何でも勝たなければならない」と言う思想を植え付けられてしまっている。何と愚かな事であろうか。
 競技において勝つ必要はなく、何が何でも勝たねばならないと苦汁の選択を迫られるのは、競技者がそれで生活をしている為であり、負ければ自分の家族に贅沢な暮らしがさせられない為に、愚かにも、是が非でも勝たねばならないと言う心境に追い込められ、既に心法に敗れた人間の愚かな現象を見る事ができる。こう言う意味で、力士や格闘者や競技者は番付を下げられれば、哀れで、不憫(ふびん)な一面がある。

 西郷頼母は自分が死して後の、後世の人間の事も考え、《大東流蜘蛛之巣伝》の中に、真に「負けない境地」の諌言を遺したのである。
 では、わが西郷派大東流の「負けない境地」とは何か。
 それは絶対に負けない事である。しかし、これは勝つ事ではない。人間の運命の極限において、必ずしも勝つ必要はない。「負けない事」が大事なのだ。

 したがって「勝つ事」と、「負けない事」は同じでない。負けない事は、負けない事によって、我が命を繋(つな)ぎ止め、そして生きる原動力である「力」を自他共に共有する事である。
 この、「命」と「力」を、自身に養う事によってのみ、人は力強く、勇敢に、毅然(きぜん)として人生と言う舞台を戦って行く事が出来るのである。「戦う」ことは「闘う」ことではない。また、技の優劣を競って、どちらが強いか勝敗を決する事ではない。ここに強弱論は存在しない。「負けない事」は最後まで負けない事であり、勝つ事だけを目指した思考に終始するものでない。

 例えば、「武士道実践者の心得」として、「病人であっても、健康人のように振る舞え」と言う教えがある。人間は、必ずしも「健康である」と言う事に執着する必要はない。「健康人であるように見える」と言う事が大事なのである。
 狡猾(こうかつ)なハイエナに匹敵する強盗は、武術の心得のある、健康で、強そうな人間を決して相手にしない。あくまでも、病気がちで、貧弱に見え、多少の金品を持ち、襲い易い人間の狙うものである。それは、同じ強盗を働くにしても、苦労して、自分も傷付き、半分犧牲になりながら、強盗を働くより、「楽をして」「安易に襲い易い人間」に目を付けるからである。誰でも楽はしたい。強盗や窃盗の常習犯でも、楽で、易しい所から襲いに掛かる。これが襲う側のハイエナ理論ではないか。

 読者諸氏にしても、例えば学業の試験で、果たして難問から取り組み、時間を無駄に費やしたと言う御人がいるだろうか。
 常識的な考えを持つ人間ならば、まず、簡単な問題から取り組み、徐々に自信を得て、答案用紙の難問へと向かうはずである。敢て、試験開始の初っ端(ぱな)から、難問に取り組み、そでれ時間を費やす御人は居るまい。常道として、正攻法として、最初から奇襲をかける人間は愚の骨頂である。奇襲が奇襲として通用するのは、常道を充分に学び、正攻法を充分に研究した後に、その研究者に齎される勲章であり、常道も、正攻法も知らずして、初っ端から奇襲作戦の展開はあり得ない。そんな安易な奇襲作戦は、展開の開戦を待たずして完敗を見るのは明らかであるからである。

 奇襲とは、常道に通じ、正攻法に通じ、あらゆる事を知り尽した人間のみに許される行為である。常道を知らず、正攻法を知らない者に、奇襲作戦は立案できない。
 織田信長は桶狭間で、今川義元と初戦を無謀な奇襲で攻めたわけではない。楠木正成は千早城で、無謀な攻防戦を繰り広げたわけではない。源義経は鵯越(ひよどりご)えで、無謀な騎馬戦術を用いたわけではない。彼等は常に、常道を学び、正攻法を学び、その応用問題として、奇手を用い、奇襲を用いたに過ぎない。

 これは日本海大海戦当時の、連合艦隊司令長官・東郷平八郎とうごうへいはちろう海軍大将にも言える。バルチック艦隊を追い詰める為の決死の「東郷ターン」は、常道に基づいた、あるいは正攻法に基づいた「T字戦法」が土台になったのではなかったか。
 後に東郷は元帥府に迎えられるが、もし、あの時、日本が日本海大海戦で負けていれば、今日の日本は無かったと言ってよい。恐らく、今日に至ってもロシアの植民地として、極東の島・日本は喰い物にされて居た事であろう。東郷元帥は、日露戦争後、アメリカに招待されたが、彼はアメリカ人記者に対し、次ぎのような質問をされた。そして彼は次の言うに応えている。
 米新聞記者曰(いわ)く、「東郷閣下、もし日本がアメリカと戦う事になったらどうなさいますか」
 この質問に対して、東郷元帥は、「私は戦いません。即座に逃げます」と応えたと言う。
 東郷元帥の「逃げる」と言う発言は、「負けた事」を意味するものではない。「負けない事」なのである。諺(ことわざ)にも「逃げるが勝ち」とある。これは「負けない境地」を現わす言葉だ。

 しかし、単に逃げ足が速いだけではどうにもならない。「逃げる為」には覚悟がいり、また、「負けない為」には、度胸がいる。度胸は物に動じない心境を言うが、ある事態が生じて、これに腹を据える事は中々容易な事ではない。決死の覚悟を必要とする。
 この度胸を物語ったエピソードに、かつて山下芳衛先師から、次ぎのような話を聞いた事がある。
 第二次世界大戦中の中国大陸戦線において、あるい日本軍の小隊が、精鋭の中国共産党八路軍(はちろぐん/日中戦争期に華北で活動した中国共産党軍の事で、国共合作成立に伴い、1937年8月華北にあった軍が、国民革命軍第八路軍と改称し、華中の新四軍とともに抗日戦の最前線で戦った毛沢東指揮下の精鋭部隊である。これは1947年に人民解放軍と改称)に包囲された事があった。

 この時、敵軍に包囲をされたと悟った日本陸軍の小隊長は、部下全員に車座になって、静坐することを命じた。全員が死を悟った瞬間、最後の覚悟の証(あかし)として、部下達に『般若心経』(はんにゃしんぎょう)を読経する事を命じた。そして小隊全員は、一心に『般若心経』を唱え、読経の輪を作った。そうすると、不思議な事に敵兵は、いつの間にか居なくなってしまったのである。これは『般若心経』の読経が功を奏したという事ではない。また『般若心経』の威力等ではない。

 八路軍の指揮官の、賢明さが評価されるべきである。八路軍の指揮官は、日本兵全員が死を悟っている事を感じ、決死の覚悟で戦うであろうと察知したに違いない。死に物狂いで戦う相手は、実に手こずるものである。手こずりは、やがて味方の損害も大きくし、深手を追うのである。死に物狂いで戦いを挑んで来る人間程、厄介なものはない。また、例え勝っても、味方に大きな損害が出る事は明らかであり、八路軍の指揮官は自他共に大きな損害が出る事を懸念したのである。実に賢明な選択である。

 死ぬ気になっている人間は、自分の命を最初から無いものと踏んで掛かる為、底力を出して突進して来る。こうした場合、一撃必殺の蹴りや突きも役には立たない。死を覚悟した相手は、敵側から見れば実に遣(や)り難い相手であり、一度戦えば、決して自分も無傷では済まされず、何等かの損害が発生するはずである。勝ったとしても、自分も同じように傷付くのだ。

 こうした犧牲と損害を避けて、八路軍の指揮官は兵を退いたものと思われる。この指揮官は、むしろ戦わずして兵を退いた事が賢明であたと言えよう。そして、指揮官の「敵を知る」と言う次元の高さは、評価に値するものである。
 捨身懸命の日本兵と戦わなかった事は、まさに自他共に「負けない境地」を悟った、見識者のすることであり、「負けない事」は此処に由来するのである。これは決して、暴力を用いる事なく抵抗する運動を展開したトルストイやガンジーなどが主唱した、無抵抗主義や非暴力運動や無抵抗運動に準ずるものではない。

 むしろ「負けない境地」であり、一戦交えれば多くの犠牲者が出る事は充分に予測されるからである。暴力を用いることなく抵抗する運動や思想は、進歩的文化人の虚言である。
 我々日本人は、太平洋戦争の敗北によって、日本列島を焦土に化せられた理由から、戦争恐怖症になり、愚かな無抵抗主義や非暴力主義を信じ込む結果を招いたが、実はこれ等の主義は虚構である。無抵抗の人間ほど襲い易く、非暴力を貫く人間ほど奪い易いからである。事実で無い事を、あたかも事実のように仕組み、この作りごとを、「権威」で信用させるというのが進歩的文化人と言う人種の正体である。彼等は巧に二枚舌を使い分ける。そして聡明でない、一般大衆をこの二枚舌でまんまと巻取ってしまうのである。

 例えば、あなたが強盗に襲われた場合、強盗の言い成りになって、全く抵抗せず、素直に、強盗に金品を差し出すだろうか。あるいは無抵抗で非暴力を貫こうとする、あなたに感動して、何も奪わず、強盗は直ちにその場を立ち去るだろうか。

 多くの日本人は先の大戦の反省から、平和主義に入れ揚げ、「もう戦争はこりごりだ」と言う話を祖父母や祖父から聞かされ、戦争放棄の道を選択した。戦後の義務教育の小中学校では、相手が襲って来たら、全く抵抗せず、「欲しいと言うものは、何もかも差し出しなさい」と教えられて来た。しかし、こうした愚行は何を招いただろうか。襲う相手を思い上がらせ、つけあがらせただけではなかっただろうか。

 日本人は、太平洋戦争の敗戦後、アメリカの思想教育が徹底したお陰で、平和教育と言う虚言に踊らされ、平和主義に入れ揚げ、また無抵抗主義が最良の思想だと教え込まれた。
 特に思想教育では、日教組に平和教育の禍根を植え付け、小中学校の戦後の新教育の中で、平和主義こそ人類の最良の思想だと言う思い込みを植え付けた。また無抵抗主義こそ、世界で最良な考え方だと植え付けたのである。しかし、これは相手に些(いささ)かの良心が残っている場合に考えられる事である。
 民族を迫害したり、民族に弾圧を加える等の行為は、もともと相手に良心の欠片(かけら)もない場合に起り、無抵抗主義や非暴力主義を弾圧される側が貫いた場合、一方的に食われるのは目に見えているのである。

 第二次世界大戦中、ユダヤ人はナチス・ドイツに対して無抵抗主義を貫き、無法な暴力を振るうナチスの突撃隊や親衛隊に非暴力を貫いていたら、ヒトラーはユダヤ人の虐殺を中止していたであろうか?
 むしろ逆に、ユダヤ人虐殺に加速の歯車を強めたのではあるまいか。

 また、先の大戦後も、カンボジアにおいてポルポト派の大量虐殺が起り、更にはユーゴスラビアにおいて「民族浄化」と称する排撃政策が取られ、大量のユーゴスラビア人が虐殺された。こうした虐殺の裏には、無責任な机上の空論の有識者の発言があり、「暴力に対して、非暴力で迎え撃つ」と言う思い上がりが、最悪の悲劇を招いたではなかったか。
 無抵抗主義の何たるかも知らない、あるいは非暴力に隠された意図を見抜く事も出来なかった一般大衆は、有識者の言を過信して、迫害側の弾圧に無慙(むざん)に屈して行った。そして現実として、かえって無抵抗主義や非暴力主義は、敵をつけ上がらせるばかりの結果を招いたのだった。

 戦後教育の中で、こうした大量虐殺事件は日本人には報道されなかった。マスコミや挙(こぞ)って、こうした実情を伏せ続け、進歩的文化人や有識者の言に従って、平和教育と言う思考に市民権を取り、無抵抗主義や非暴力主義は、非常に良い事だと宣伝を続けた。
 今日では、戦争に関する事や、平和主義に関する事は、完全に情報がコントロールされ、日本人向けのニュースでは「非暴力を貫いた結果、そこの国民はどうなったか」という報道はされなくなった。
 また、一般日本人大衆も、こうした情報を得ようとすれば、得る事が出来るのだが、こうした情報よりは、Jリーグはどのチームが勝ったか、プロ野球はどのチームが勝ったか、アメリカンリーグは、日本人選手として誰が最多殊勲選手として活躍しているかが大事であり、大衆と言うものは、権威筋の進歩的文化人や有識者の言には耳を傾けるが、どれが正しくて、どれが間違っているか、こうした事まで積極的に調べようとしない。また、そこまで賢くない。

 自分だけがよければそれで良い。自分だけ幸せであれば、それで良いと言う悪しき個人主義に汚染され、我田引水的な日常生活を楽しんでいるのである。こうした国民感情の中に、未来を見渡す将来の指針や展望は見受けられない。自分の家族だけが幸せであり、自分の家の冷蔵庫が満杯の食べ物で充たされていれば、それで文句は無いのである。これにて、天下は泰平なのである。ここに、日本人の将来を暗欝(あんうつ)にする翳(かげ)りがある。

 そして、子供が学校で無抵抗主義や非暴力主義を、平和教育の中で学んで来れば、これに異論を唱える親は殆ど居なくなった。その結果、無抵抗主義こそ、人類最良の善で、武力に訴え、国防は悪だと言う思想が無意識の儘、自覚症状も無しに根付いてしまった。そして世論もマスコミ等を通じて、大多数の国民が無抵抗主義や非暴力主義の支持者として、国民の間に、巧に醸成されていくのである。

 こうした、無抵抗主義、非暴力主義は日教組を始めとして、日本共産党が積極的に押し進めた政治政策であった。憲法第九条の「戦争放棄」が、未(いま)だに珍重されている実情は、こうした政治政策が功を奏しているからである。また野党に限らず、政府自民党の中にも、選挙の票取りを考えて、無抵抗主義や非暴力主義は、非常に良い事だと宣伝する代議士まで現れる始末である。
 他国に攻められ、先祖の墓の上を敵軍の戦車が踏み荒らし、自分の家族は殺され、あるいは家財を略奪され、婦女子は強姦された後に殺されると言った現実が直面した場合、果たしてこれで良いのか、こうした未来の予想まで的確に掴んでいる有識者は殆ど皆無と言ってよいであろう。
 また、国民の多くも金銭至上主義に陥り、全体の事より個人生活が大事であり、自分だけが良ければそれで良いという考え方を抱いている。ここにデモクラシーと言う、悪しき個人主義のエゴイズムが横たわっているのである。

 日本と言う国が再び焦土と化し、生命や財産が奪われ、国土が消滅して、何が無抵抗主義や非暴力主義であろうか。こうした予測が出来ずして、無抵抗主義を唱えたり、非暴力主義を唱えるのを愚衆政治と言うのである。今日の日本は愚衆政治の汚染の真っ只中にあるのである。
 「世界人類は平和でありますように」の立て札が、日本中の至る所に立っているが、これは「世界を一つ」と考えるユダヤ政策に賛同する統一教会のスローガンである。人類が平等であり、平和であるのはタテマエであり、世界中の至る所には、人種差別や民族差別が公然として存在している。

 また、日米安保条約において、アメリカが日本を助けるのは、世界戦略とアメリカの僅か2.5%のユダヤ人(正しくは白人の肌を持つユダヤ人の事で、血縁的にはアブラハムの血統を受け継いだスファラディ−・ユダヤ人と何等関係なく、単にユダヤ教の教義を信仰するアシュケナジー・ユダヤ人の事で、一般にユダヤ人と言う場合、ユダヤ教に改宗した人を指す)の意図があり、これが軍産複合体に働き、更にはアメリカ議会に、何等かの影響力を持つユダヤ政策からである。こうした、ひと握りのユダヤ人エリートは、アメリカ東部のエスタブリッシュメント(establishment)といわれ、既成勢力として扱われている。

 彼等はアメリカ国内において大富豪として君臨し、国家や市民社会のさまざまな次元で意志決定や政策形成に影響力を及ぼす既成の権力機構、権威的組織、体制、勢力、また既成秩序などを所有して、アメリカ政府とアメリカ国民をコントロールしている。そして彼等の意図は、日本人を「黄害」として扱い、また中国を「黄禍」として警戒し、中国と言う巨大国家に世界が征服されるのを阻止する為に、日本を防波堤にしていると言う現実がある。日米安保条約を見直した場合、日本は、彼等の為の捨て石であり、単なる防波堤に過ぎないと言う画策が浮かび上がって来る。

 日本はまだまだ防波堤として希少価値があり、日本が防波堤になる事こそが、アメリカが今もなお、日本をその傘下に取り込んでいる明白な根拠である。アメリカ東部の大富豪であるエスタブリッシュメント達は、決して日本人が好きだからではなく、日本列島と言う土地の持っている位置が政治的かつ軍事的に重要なのであり、むしろ日本など、どのような悲惨な運命を辿ろうと、知った事ではないと言うのがホンネのようだ。
 ただ、アメリカの困る事は、朝鮮半島が朝鮮民主主義共和国の支配する事態になり、隣接する日本列島が重大な危機に遭遇すれば、自分達の利害が損害を被る事に懸念を抱き、今日もなお、日米安保条約を継続させれいると言うのが実情である。

 日本人一般大衆は、欧米人や大陸人の狡猾な意図や画策を見抜く程、賢くない。賢くないからこそ、戦後教育の中で平和主義を直ぐに受け入れ、無抵抗主義や非暴力主義を正義の論理として入れ上げてきた。しかし無抵抗主義や非暴力主義こそ、危険な思想はない。
 非暴力主義を「非暴力・不服従主義」と言うそうだが、ガンジーの無抵抗主義が戦後日本人に押し付けられたのは、日本に武装させない為の占領軍(GHQ/General Headquarters/占領軍総司令部)の軍政政策であった。太平洋戦争の戦勝国として、日本を占領した連合軍総司令部は日本占領政策を押し進め、戦後改革を行った。その改革の一つが平和教育であり、無抵抗主義と非暴力主義の思想を、日本人に培養する事だったのである。

 そもそも、インドを長い間、弾圧し続けた国はイギリスであった。今も昔も、イギリスではインド人やアジアの有色人種を人間と思わないところがある。日本人も猿同然であり、人間とは思っていなかった。
 こうした事は、戦前や戦中のアメリカの教科書には多く登場し、アメリカ国民の多くもそう思い込み続けて来た。アメリカ国民は太平洋戦争当時、「日本人はジャングルの中でも足をとを立てずに歩き、何日も食料を食べなくても肉体を維持する事が出来、実に狡猾く、背後から近付いて人殺しを平気で行う。まるで人間の形をした黄色いサルである。このサルは害を齎す。したがって駆除しなければならない」という日本兵の宣伝がなされていた。そして黄害を叩く為に、ルーズベルトやトルーマンはアメリカの青年を戦場へと駆り立てたのではなかったか。

 太平洋戦争当時、戦場ではナパーム弾が用いられ、火炎放射器が用いられ、残虐な戦闘が繰り広げられた。広島と長崎に於ては人類初の原始爆弾投下と言う、非人道的な大虐殺が決行された。黄害を駆除する為である。
 子供や老人、婦女子に至るまで戦闘員と看做され、灼熱の人工太陽の下で多くが焼き殺された。欧米人の意識の中には、日本人など猿同然であり、どう酷使しようが、殺そうが、何の痛痒(つうよう)も感じなかったのである。

 これまで通り、無抵抗非暴力を貫いていたら、日本人には益々災難が降り掛かるであろう。
 しかし国民の多くは、この災難が全く感知できないのである。無抵抗主義や非暴力主義を維持していれば、自分は絶対に安全と信じ込んでいるのである。

 例えばもし、自分が強盗に襲われたとして、無抵抗な自分に感激して、強盗は何も奪わずに引き揚げるだろうか。そんな話は一度も聞いた事がない。
 一方、激しく抵抗すれば、強盗に傷つけられる危険性はあるが、逆に強盗を断念させ、何も奪われずに済んだと言う事例の方が圧倒的に多いのである。無抵抗主義、非暴力主義は敵を思い上がらせ、つけあがらせる、最悪な事態を招くだけである。

 《大東流蜘蛛之巣伝》の中には、西郷頼母の遺(のこ)した「戦い方」と「教訓」が遺されている。それは山本常朝(やまもとつねとも)の示した『葉隠』の教えと酷似する。《大東流蜘蛛之巣伝》の戦い方も、『葉隠』の精神も共通点が多い。
 例えば、病人であっても健康人のように振る舞えとある。これはまさに、西郷頼母の教える「負けない境地」と共通するものがある。
 健康である事よりも、健康人のように見える事が大事であり、喩(たと)え病気を抱えていても、病人だとは悟られず、健康人のように振る舞えば良いのである。健康そうに見えれば、外圧を加えられる事はなく、また襲う側も、健康で体力があり、何等かの武技を身に付けていると察すれば、それだけで二の足を踏むのである。したがって健康そうに見え、強そうに見えれば、襲う側は容易に手を出して来ないのでる。また、病人であっても健康人に見えれば、「自分に手を出せば、タダで済まないぞ」という無言の威圧を加える事が出来る。これこそが「争わない理」であり、戦わずして勝つ事である。

 しかし、健康人でありながら病人を装って、哀れみや同情を請うような事をしたらどうなるであろうか。間違いなく、襲って来るであろう。鉾先は一斉に集中するであろう。
 病人に対して襲撃を躊躇(ちゅうちょ)する場合は、襲う側に些(いささ)かの良心が残っている場合だけである。しかし、普通はこうした事はあり得ない。襲う側は、最良のカモと思うだろう。襲う相手が傷付いて弱っていたり、身体障害者であったり、病人であれば、意図も簡単に金品を奪う事が出来るからである。したがって「百年兵を練る」備えを武士道実践者として嗜(たしな)まねばならないのである。

 《大東流蜘蛛之巣伝》は、「さまざまな武技に励み、その長所を巧みに取り入れ、それを真似して自分の物にせよ」とある。大東流も、元々は他流の長所の寄せ集めであり、その長所を生かした武術が大東流だったのである。そして古人の智慧が、数百年単位で集積され、秘密の儀法として存在するのが大東流の特徴である。

 また、この智慧は「負けない境地」を標榜(ひょうぼう)するものであるから、多くの秘密が取り入れられ、秘事や秘伝がついて廻る事は当然である。そして秘伝は霊的神性にまで及び、霊的な能力が備わっていなければ、これを修得する事は出来ないようになっている。大東流は、肉体の領域の範疇(はんちゅう)を超えた、玄妙(げんみょう)なる霊体の意識が働かなければ、遣えないようになっているのである。


戻る << 西郷頼母と西郷四郎(六) >> 次へ
 
TopPage
   
    
トップ リンク お問い合わせ