内弟子の福智山山麓の「七重の滝(一の滝)」で行われる滝行。(写真は平成21年3月24日の七重の滝での滝行。行者は内弟子見習の曽川竜磨)

 滝行をするには、慎んで、畏(かしこ)み畏み、「滝の神霊」に頭(こうべ)を垂れて許可を願い、周囲の邪気を祓う「真言九字を切る作法」がある。これを無視して、滝などに打たれる愚行をすれば、魂が吸い取られ、命までもを取られてしまう。滝の神霊は「竜神」である。「水神」ともいう。恐ろしい神である。竜神の前では、人知など高が知れている。

 滝の周囲ではマイナスイオンが発生しているが、科学面の良いところばかりを見てはならない。また滝行をすれば、毛細血管のグロミューが開発されるが、人体面の長所ばかりを期待してはいけない。
 滝行とは、単に滝に打たれることを言うのではない。正しい滝行の修法を知らなければならない。御滝場などにいくと、新興宗教の信者等が、声高らかに般若心経などの経典を唱え、滝に打たれている姿を目にするが、あれは間違いだらけの自己流の悪しき滝行である。

 この際、「泥丸(でいがん)」へ直接滝の水を打ち当てると、「天・人・地」の「天」の“神(しん)が狂わされ、また脳の毛細血管が破壊され、毛細管に目詰まりを起し脳障害やアルツハイマー型痴呆症の病因になる。

 滝行は、頸椎(けいつい)部位の唖門(あもん)に受ける「術」を、正しい指導者について学ばないと、命までもを取られてしまう、非常に「危険な荒行」なのである。体力に物を言わせた“滝の水打たれ”は、非常に危険である。
 ゆめゆめ、滝行は滝の水圧に耐えて、それに頑張る肉体的な“筋トレ”などとと思ってはならない。邪心を抱いて、滝行をした者は、再び現世に還って来れない「恐ろしい行」である。恐れを知らない、愚かな人間ほど、安易に命を落とすのである。また、こうした事故も多発している。竜神は恐ろしい神である。「神霊の理(ことわり)」を知らないでする、滝行の愚行に要注意だ!

 また最近では、プロボクサーが「精神を鍛える為」と豪語して、滝行をして事故死(横死)する事故が起っている。滝行をするには体質が重要であり、体力の有無とは無関係なのだ。格闘技の猛者(もさ)と雖(いえど)も、竜神を無視すればとんでもない事になるのである。決して自然をなめてはならないのだ。恐れを知るべきである。水の事故は、竜神を甘く見たところに起こる。滝で死ぬ人、水遊びで川や海で死ぬ人、プールや風呂場で死ぬ人は、竜神を甘く見た人だ。竜神を迷信と決め付けた人だ。「甘く見たツケ」は必ず廻ってくる。

 なお、尚道館では毎回滝行を行っているが、過去44年間に、一度も、こうした事故死者や怪我人は一人も出していない。

 
内弟子の早朝の水行。『クイズ!紳助くん』の“なにわ突撃隊”のメンバーのビデオ撮影の様子。平成21年2月1日の早朝は非常に寒い日だった。 尚道館の道場生と倶(とも)に、帆柱山での野稽古。森閑とした山奥の稽古は、木刀の音だけが響き渡った。『クイズ!紳助くん』のスタッフと倶に。

『クイズ!紳助くん』の動画をご覧になる場合は、各イメージの1から3までをクリックするか、古武道虎の穴に入門」のクリックボタンをクリックしてご覧下さい。


●未来への希望に燃えて

 今の物質至上主義に流される日本人の“体(てい)たらく”を憂い、物質至上主義を憂い、そして亡国を憂う。
 また腐れ切った現代の世の中を憂う。物質的な贅沢に慣れきった現代人は、一体どこに行こうというのか……。

 金や物財に流され、美食や美酒に溺れ、色情などの快楽主義に流れる人間の煩悩(ぼんのう)丸出しの社会を憂う。これでいいのかと……。悪しき個人主義の蔓延(はびこ)る現代、果たしてこれでいいのか……。
 世の中を、何とかよくしよう。不条理や理不尽が横行する世の中を正常に戻し、日本人としての誇りを取り戻そう。それが内弟子修行をする者の使命である。誇りである。サムライとは、かくもありたいものだ。「誇り高く生きよう」それが、わが尚道館・陵武学舎の内弟子門人の心意気である。その目指すところは《サムライ精神》だ。

 内弟子は将来の道場師範と、それに相応しい将来の職業を目指して、“二年間の修行”に励む。青雲の志と、未来への希望に燃えて邁進する尚道館・陵武学舎。そこでは「人生とは何か」という、人間の根本を指導する。そので本来の《薪水の労をとる》のだ。
  内弟子は入門すると、皆この陵武学舎に入寮し、厳しい「下積み生活」を送る。そして困苦に耐える。その耐えた後に、新たな光が見える。それは未来を展望する「希望の光」だ。

内弟子の本科コースの入門式の模様。内弟子は入門時、みな剃髪をする。修行期間中、娑婆との訣別を告げるために剃髪の後、極寒の中、斎戒沐浴(さいかい‐もくよく)のため「水行」をする。水行に体を清めた後、宗家と師弟関係を確認する盃を貰い、その後、内弟子証書が渡される。
 (写真は平成21年2月22日、尚道館においての曽川竜磨の内弟子入門式の模様)







802−0985
北九州市小倉南区志井6丁目11−13
 ・北九州市モノレール企救丘駅より徒歩5分
 ・JR志井公園駅より徒歩7分

 周辺地図、交通機関に関する詳細はこちらです





曽川和翁 西郷派大東流における身分と流統性
 (宗家・米国イオンド大学教授、哲学博士)




【内弟子制度】
総本部住み込みによる2年間の教伝。
ただし、本人の人格を保障する身許保証人が一名必要です。
*詳細については、直接電話でお問い合わせ下さい。


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 西郷派大東流の《大東流蜘蛛之巣伝》の政治的・軍事的・経済的・人道的思想ならびに人生哲学、西郷派大東流の儀法の修行期間に会得できる、初伝から中伝のもの。また、口伝による秘術の指導を、本人の修得レベルに応じて指導。

内 弟 子 修 行 2 年 間 の カ リ キ ュ ラ ム の 全 貌

第1年次
1.内弟子修行の入門が許されて3ヵ月未満……見習い門人として扱われ、儀法を行う為の基礎体力の養成、基本動作や起居振る舞い礼儀作法、畑作業、剣術の素振り、見取り稽古など。

2.入門が3ヵ月から半年未満……本稽古が許可され、一般門人に交じっての稽古が許される。基本業(剣術ならびに柔術、腕節棍の基本)や山稽古、基本馬術や滝行、呼吸法や静坐法。また日常の作業として買い物や料理など。

3.半年から1年次終了時……剣術・柔術・抜刀術・試刀術・陶物斬り・居合術・居掛之術・腕節棍・杖術・棒術・槍術・手裏剣術・飛礫術・弓術・馬術・その他の行法など。以上は初伝から中伝のもの。刀剣鑑定の基礎など。

第2年次
1.入門後1年以上……実践を中心にしたテーマに取り組む。
 技術的な専門分野(口伝による秘術など)も加味しながら、道場経営やそのマーケティングの調査・ 経理ならびに「貸借対照表」の読み方・組織作り・講話などの話術・企画力や指導力の養成・HPを通じた門人募集や制作など。

2.専門技術を学びながら、刀剣鑑定の眼利き技術や古物商許可申請などを行う。更には将来、「刀剣商」「美術品商」としての生計の道も開く。
 武術家は単に強弱論に固執して、若い時期の“一時的な勝ち”を求めて奔走してはならない。人生を生き抜く為に、理財の才を養い、ある程度、リッチでなければならない。日々の暮らしに困窮しては、折角、身に付けた技も無に帰するだろう。

3.卒業を控えて3ヵ月目には『卒業に際しての課題』が課せられ、“2年間の修行の成果”が試される。この卒業テーマに合格して、あえて卒業ということになる。

 昨今は競技化に走る、柔道・剣道・空手などのスポーツ武道が大流行していますが、これらは、ただ試合に参加して勝つことのみが主体となり、また中心課題は強弱論で、一時的に、若い時だけに、勝つことのみの論理が展開されています。
 その一方で、思想というものが全く抜け落ちています。武道家・格闘技家・武術研究家といわれる連中が、首から下が丈夫で、頭の中身はサッパリという実情は、愛好者の多くが強弱論にこだわっているからです。

 ただ、勝てばよい、叩けばよい、投げればよいといった、物理的な制約のみにとらわれ、力で競うことが第一義となっています。
 しかし、本来日本武術の中には、こうしたものを超越し、精神的な領域にその求道者の崇高(すうこう)な精神を認(したた)めたものでした。それは人の道が、心の持ち方と思想によって行動原理になるということを現したものでした。

 わが尚道館・陵武学舎では、物理的な力に頼る格闘技を求める場所ではなく、更にそれより崇高な、心の拠(よ)り所として、生涯に亘る安定した「心の平安」を得る、足がかりとなる修業道場です。

 指導形式は、講話を挟んだ講義形式で、筋トレやハードな猛稽古を主体とするものではありません。強化合宿選手のような、ハード・トレーニングを強いるものではなく、西郷派大東流の儀法と、講義による《大東流蜘蛛之巣伝》の思想ならびに起居振る舞いや礼儀作法が中心です。
 つまり、狭義の武儀を教えるのではなく、人生を生きていく為の思考能力の養成の仕方を教えるのです。
 ただし、“求道の精神”が旺盛な人に限ります。

詳しくは、尚道館HP内の「内弟子入門体験記」をご参照下さい。




実施 審査料2,000円
入門審査は、口頭質疑、合気揚げ等の基本動作、また食事を挟んで人格や品格を審査した上でその合否を議せる。
【註】入門審査を希望する者は、審査日を予約し、審査日の一週間前に関係書類を提出しておくこと。
詳細はページ下の解説をご参照下さい。

入門審査を受検される場合は、一週間前に電話で審査日と時間を予約し、確認をとって下さい。また、入門審査当日には、「履歴書」(写真は貼られている事)「印鑑」(認印で結構です)を持参して下さい。

入門願書はこちらからプリントアウトしてください。
ファイル形式はAcrobat形式(Adobe PDF)です。
ファイルが開けない場合は
こちらからAdobe Readerをダウンロードをして下さい。



500,000円【註】卒業時には80万円相当の御信刀(ごしんとう)を授ける。なお御信刀は、自身が生涯倶(とも)にする刀であり、自分の分身である)

100,000円
(講義受講や西郷派大東流の教授料、食費、宿泊料、水道光熱費、入浴、道場使用料、器具使用料、インターネットならびにメール使用料、自転車・バイク・車の貸し出し、その他の危惧しようの一ヵ月分の経費を一切含みます)

不可


総本部・尚道館
 電話受付時間/午前9時〜午後9時まで
 (それ以外の時間帯はご遠慮下さい)
093−962−7710(代)
093−961−8224(FAX)/24時間可
お問い合わせメール
 
4 日 間 内 弟 子 体 験 入 門 コ ー ス

費用:25,000円(3泊4日・一切の費用を含む) 入門審査料:2,000円
入門審査料は、2回目以降の参加者は不要です。
日程は参加者本位で自由に組むことが出来ます。
馬術希望者は“一鞍”につき8,000円が必要です。

持 参 す る も の
・道衣一切
(合気道衣や柔道衣が適当。肩に継ぎ目のある空手衣は不可)
・西郷派オリジナルTシャツ
(体形に合ったサイズを尚道館で購入する)
・トレッキング用の小型リック
(30〜40リットル程度。購入は登山用品店で)
・トレッキングストック
(I型もの左右2本)
・赤フンドシ(替えを含めて2着) ・その他着替えや洗面具、バスタオルなど
・記録用小型ノート ・地下足袋(2足) ・白緒の雪駄
・軍手と軍足(各2着) ・魔法瓶
(2リットル程度。保冷専用は、高熱湯に耐えられないので不可)
・作務衣(動きやすさなどを含め、“藍染め”が理想的)
トレッキング用リック、ストック、魔法瓶は登山用品店でメーカー品を購入して下さい。

体験入門の一日のメニュー
午前6時:
 起床・掃除・「内弟子四ヵ条」斉唱・基本動作・礼法としての起居振る舞い・朝礼(国旗掲揚)・道場内基礎稽古・休憩を挟んでの玄米スープの朝食・道場内稽古など。
正午:
 昼食・山稽古・滝行・水上稽古・礼儀作法・畑作業・買い物や食事の作り方指導・終礼など。
午後6時:
 入浴・夕食・静坐法ならびに呼吸法・一日の反省など。【註】一般部の稽古があるときは、それに参加)
午後11時:消灯【註】消灯以降、呼吸法や夜座をする者は自由)

昼食ならびに夕食は、以上のような“一汁一菜の玄米穀物菜食・小魚介類“の食事が中心です。つまり徹底した「粗食」です。
 粗食とは「貧しい食生活」を言うのではありません。日本の大自然の豊かな風土の中から生まれた「素晴らしき食生活」のことを言うのです。
 飽食の時代である今こそ、「粗食」を見直し、古来よりの伝統であった日本人本来の「粗食」に帰るべきでしょう。

 なお、尚道館・陵武学舎では腰骨を痛め、かつ人体生理上の作用である「異化作用」「同化作用」を妨げない為に、朝食は摂りません。
 朝食の代わりに、エネルギーの豊富な「玄米スープ」が朝食の役目を果たします。これを機に、玄米の素晴らしい効用を知っていただきたいのです。白米ばかりの、動蛋白併用摂取では、体内に病気の根源を溜め込むことになり、これがやがて種々の“成人病”や“生活習慣病”を起す病因となります。

平成21年1月31日〜2月3日の期間、吉本興業の“なにわ突撃隊”のメンバーである、お笑い芸人の“南條庄祐(26歳)くん”と“ネオ・ゴメス河田(22歳)くん”が「4日間内弟子体験コース」に挑戦しました。内弟子修行のナビゲータは島田まさしくん。早朝の大寒稽古の「水行」には、3人揃って挑戦。

 南条くんの入門動機は“魂を入れ替えるため”であり、河田くんの動機は“根性をつけるため” でした。二人とも、総本部尚道館内弟子寮・陵武学舎に入寮し、見事“4日間の内弟子体験修行”をクリアーしました。

 
早朝の大寒稽古の水行の模様。
2月1日の早朝の気温は3度。

 この模様は、準全国ネット・大阪ABC放送の『クイズ!紳助くん』で、“なにわ突撃隊・虎の穴に挑戦”で放送され、関西地区は3月2日に無事放送を終了しました。

 彼等の「やる気」の触発されて、“われ”と思わん方は、一度「4日間・内弟子体験入門コース」に挑戦してみませんか。

 
内弟子の仕事の一つとして畑作業がある。「一日な作(な)さざれば、一日喰らわず」と云う言葉通り、畑作業は内弟子の大事な仕事である。 畑作業は植物の苗の頃から育て上げ、その成長度合を知ると同時に、大自然の天地の恵みを知る季節感の感覚を養うことが含まれている。



●陵武学舎の内弟子制度について

勝てばよい、叩けばよい、投げればよいといった強弱論では人望が生まれない。肝心なのは、人としての道であり、その武術に思想が伴わねば、それは「文武両道」といえない。尚道館・陵武学舎では、文武両道の「友文尚武」をモットーとする。
  総本部・尚道館陵武学舎では「内弟子制度」により、広く内弟子を募集し、将来、道場開設などを職業にしたり、その本格的な指導者として、我が西郷派大東流を後世に伝える人々を求めている。

 志があれば、その熱意によって入門が許可される。
 この場合、特別な体力測定や厳しい基準を設けた入門審査(ただし、体重は75kg未満で、身長にも制限があり、詳しくは「内弟子入門体験記」を参照のこと)などはなく、宗家が直接、その人の将来の展望を訊き、その意に添えば入門が許される。

 指導内容は個人教伝の部と同等で、修業年数は2ヵ年。ここを卒業した人は各道場や支部に派遣し、また新たに各都道府県で道場が開設でき、将来、わが流派の幹部要員を、内弟子修行を通じて養成する。

 これまで多くの若者が、わが西郷派大東流宗家の許(もと)に参集したが、ここを卒業した人は、現在のところ、一人も居ない。
 これは非常に残念なことであるが、わが西郷派大東流の修行に耐えた最高年月の人は“1年2ヵ月”であり、また、口だけで意気巻いて入門し、僅か“半日”で逃げ出した人も居る。
 ある意味で、それだけ肉体的にも精神的にも今までに経験したことのないような負荷がかかり、しかし一方で、日常を非日常と置き換えて、あるいは平時を戦時に置き換えて、緊張ある日々の実践体験が体感できるわけだ。

 現代人は、文明の利器と、恩恵に預かって、安穏とした日々を送っている。冷暖房の利いたエアコン設備が完備された生活空間に安穏とし、「文明という贅肉」を身にまとい、豊かさと、便利さと、快適さを求め、それに享受する事が「文明」と信じたわけであるが、この文明も、もはや「文迷」でしかなく、迷いの中で、「一寸先は闇」の生活を強いられている。

 日本古来よりの精神領域は蔑ろにされ、科学万能主義あるいは物質至上主義に押し流されている。しかし物質文明の恩恵に預かり、「甘え」を享受する生活では、窮地に立たされた場合、何一つ役に立たないのだ。
 したがって、非常時にも耐えうる強靭な精神と、不屈な、毅然とした態度が必要になる。こうした態度で人生に臨む人達を、わが尚道館・陵武学舎では育成しているのである。



故・安岡正篤先生の色紙「一掴一掌血、一棒一條痕」。
●文武両道を目指す

 武術家は、“強いだけ”では駄目である。心が伴わないと駄目である。殺伐とした、「強(こわ)持ての乱暴者」では、人心を失う。

 かつては、日本は「武士道の国」と、世界から尊敬を受けていた。
  ところが今日に至り、こうした、節度ある、貧困とは無関係な大人?の痴漢行為や、国家意識が稀薄になった日本人は、侮蔑の目で見られる国民性を背負い込んでしまった。そして、礼儀知らずを増長させて、日本人といえば、エコノミック・アニマルと揶揄され、蔑(さげす)まれる対象でしかない存在になってしまった。
  果たして、こうした日本人の現実に、明るい未来はあるのだろうか。
 それも、これも物質主義の恩恵に預かって、精神を蔑(ないがし)ろにした実情から始まったことでった。

 人は、心の存在を忘れ、本能のままに欲望をむき出しにして、人生を奔走している。しかしこの奔走は、「滅び」に向かっての奔走でしかない。

 そして一見、科学万能主義の見えた、文明社会は、実は文明に名を借りた「文迷」でしかなかったのだ。
  多くの現代人は、見通しの不透明な社会システムの中で、等しく迷い続けている。こうした現実社会にあって、尚道館の「内弟子制度」は画期的なシステムであり、この指導理念とを通じて、将来日本を担うべき人材を輩出しようというのが、わが尚道館・陵武学舎の意欲ある試みである。
 “耐えることを学ぶ精神”は、崇高なものである。
  今の苦しみや辛い現実に耐え、これを忍ぶことにより、人間は一周りも二周りも大きくなっていく。風雪に耐え、それを忍んだ所に、人間としての年輪が刻まれ、この年輪が、人生を見誤らない「見通し」となっていくのである。
内弟子の稽古三昧を行う、総本部尚道館玄関。
 わが尚道館・陵武学舎においての一日の日程は、午前5時30分起床、洗面後、道場内外や風呂場の掃除。畑への水汲みや農作物の世話。玄米ジュースや野菜ジュースの朝食。午前7時より正午まで自主的な道場稽古。あるいは午前10時より昼食の弁当を持って、午後3時まで野外での剣術並びに手裏剣などの飛び道具の稽古【註】毎日ではなく定期的)。更には、定期的な宗家先生の講義が行われる。

 わが内弟子制度の基本は単なる筋トレや猛稽古だけに終始することなく、講義プラス西郷派大東流の儀法が中心となるため、一般に、安易に考えられる「強化合宿方式の選手の修養」ではない。
 一口で言えば、文武両道を目指し、講義の中に、武の道を見出すというものであり、肉体のみを酷使するものではない。
 つまり、「サムライ」になるべく、人材を育成するのである。