さて、「持てる者」と「持たざる者」の格差は、美食主義に反映され始めています。
この現実を考えますと、前者は「美味」と言う感覚を、舌先三寸で感知し、舌触りの良い、味覚を満足させるための、柔らかい食品を好み、咀嚼回数の少ない美食に向かう食生活様式があり、一方後者は、食生活にも汲々とした生活環境から、どうしても大量生産可能なインスタント食品や食品添加物配合の安価な食品にてを出さざるを得なくなります。あるいは食費に余裕が無く、欠乏の中に飢えに苦しむという現実が生まれます。総じて、「喰える者」と「喰えざる者」の非情な格差です。
だがこうした現実の中で、両者を比べた場合、それぞれに一長一短があります。
喩えば、前者は食材にこだわったとしても、食べ過ぎで病気を煩い、後者は極貧であれば、喰えないことで現代病からの因縁を遁(のが)れる事が出来ます。単に、こうした現実に、素直に従っていれば、事は総て荒立つことはありません。
ところが、水準クラスに位置する後者が「借金をしてまで、金持の一部を模倣しよう」と企てた場合、悲劇はここから始まります。
背伸びをし、見栄を張り、実力以上の徒労と多忙に明け暮れた場合、後者は生活費を、「借金のための借金で、堂々巡りをし、借金地獄への片道切符」を手に入れるよいうことになります。
そして後者の場合、悲劇を悲劇として更に拡大するのは、「貸借対照表」や「損益計算書」の見方を知らず、「資産」と「借金」の違いが区別できないことです。
大ローンで購入したマンションや建売住宅を、自己所有のマイホームと勘違いし、あるいは資産と思ったり、ローンで買った車や高額家電製品を、マイカーや自分の物と思い込むところに、そもそもの間違いがあります。こうした金銭哲学に疎いところが、サラクレ地獄への一本道に、自らを追い込む結果となるのです。
ローン支払のために、支払分が足らなくなって、支払のための借金をして、これが雪達磨式に膨れ上ってしまうということになりかねません。
もはやこうなると、「喰える者」と「喰えざる者」の格差位では済まされなくなります。
一億中流の意識の裏には、こうした悲しい現実が横たわっているのです。 |
|