霊肉共に揺るぎない人生を生きる
 現代人は「歓喜」を忘れてしまった人種の観が否めません。
 だからこそ、心に歓喜を取り戻し、生かされていることの因縁について、素直に感謝する「まごころ」を養う必要があります。
 歓喜すれば、対人関係にも、またその他の動物に対しても「まごころ」が生まれます。「まごころ」が生まれれば、今まで不治の病と思われていた病気も治り、不摂生に明け暮れた肉体も、建て直す事が出来ます。

 そして日本古来の食体系と食餌法は、穀物菜食であり、また一日二食が原則でありました。
 これは「朝餉」(あさげ)「夕餉」(いうげ)と言う言葉か示す通り、一日二食主義は紛れもない日本民族の食生活の実態だったのです。

 さて、朝餉という時刻は、おおかたが「朝食」を意味するものであると誤解するようですが、朝餉の時刻は、古来の「時の報せ」(24時間時計)から解釈すると、今で言う午前十一時から遅くとも正午迄の間で、夕餉は午後五時から遅くとも午後七時迄の間でした。そして食間は各々を隔てて、六時間以上であるということが定義づけられていました。

 基礎医学にある通り、一日二十四時間のうち、人体は、相半ばして「異化作用」と「同化作用」により、それぞれの役割が異なり、絶え間ない生命活動を行っています。
 したがって一日三食というのは、明らかに食べ過ぎです。

 医学的に見て、食間は六時間の隔てが必要とする常識から考えて、仮に、朝六時半頃から七時にかけて食事をし、昼食は正午から午後一時、そして夕食は午後七時頃とすると、食間六時間以上という原則はこれだけで違反すれすれであり、こうしたことが生活習慣病として、後遺症を残さないとは言い切れません。

 そして朝食を摂らなかったのは、睡眠中に同化作用が完了し、眼が覚めたら不要物を排泄して身軽にするという作業が課せられているためで、この排泄タイムに食事をするのは大きな間違いなのです。
 その日のうちのエネルギーは、昨日の食事の同化作用で作られており、目覚めれば排泄後の活動が待っています。これが異化作用によって得た活動エネルギーの源です。

 また日本古来の「直会」(なおらい/神事で、神に捧げた神饌を降ろして頂く食宴。だから食べる前には、手を合わせて「頂きます」と言う)という心得も、今日では薄れ、ゆったりと、感謝の気持ちを込めて食事を摂ることすら気忙しくなってしまいました。
 ここに現代人の憂鬱があり、心身相関病と生活習慣病の要因があるのではないでしょうか。

 こうした急ぎ過ぎる時間のテンポを緩めて、本来の日本人の生活に戻るべきではないでしょうか。
 ゆったりとした気持ちを持てば、そこには自然と食事時間が長くなり、同時に食の味も解るようになり、そして感謝の気持ちが生まれ、食べ急ぐ習慣は改まって、よく噛み、食材その物の、旬の味を楽しむ心が生まれます。

 そうなれば自ずと、満腹中枢にも指令がよく行き渡るようになって、節食に心掛ける習慣がつき、食べる量も減って、従来の半分の食糧で済むようになります。その結果、少食になり、粗食になって、食べ過ぎの習慣は改まるようになるのです。
 こうした一連の流れの中に、開運の秘訣があります。

 開運の条件としては、

・従来の食が半分に減れば、それは開運の兆しである。

・無意識のうちにグルメから離れ、粗食・少食で満足で来る軽い体躯が出来上がれば、それは開運の兆しである。

・食べ急ぐ、早食いの習慣が、ゆったりとしたスローテンポになれば、それは開運の兆しである。

・自然食品に心掛け、無添加食材に意識するようになれば、それは開運の兆しである。

・肉体以外に、霊体があると感じることが出来れば、それは開運の兆しである。

・四つ足動物が、人間と同じ性の延長線上にあると感ずることが出来、食肉や乳製品を食べなくなれば、それは開運の兆しである。

・玄米菜食に心掛け、大地の恵と、大自然への感謝と、歓喜の気持ちを素直に抱くことが出来れば、それは開運の兆しである。

・噛めば噛む程、「神になる」(上顎が「火」、下顎が「水」、合わせて「火水」)という咀嚼法を心掛け、それが習慣として長く継続できれば、それは開運の兆しである。

・直感が鋭くなって、勘(見通し)が養われることの自覚現象が現われれば、それは開運の兆しである。

・飽食を脇目で見ながら、悠々として動ぜず、食べない贅沢が満喫できれば、それは開運の兆しである。

・外側の見掛けの姿より、裡側の内容物に関心を抱き、そこに眼が届くようになれば、それは開運の兆しである。
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