菜根譚(さいこんたん)は「ほどほどに」という宇宙の玄理を教えています。
極端に、いずれかに偏ることより、「中庸」を維持するべきだと教えています。
したがって善悪は、相半ばして中庸が保てるのであって、極端な美徳過剰主義や、親切の過剰押し付けは、返って悪徳にも繋がってしまうという結果を齎すのです。
そして私達は、あらゆる努力を払ってでも、切り離さなければならぬ事柄があります。
それは、肉体から病気を、胃袋から美食を、国家から抗争を、家庭から不和を、あらゆるものから行き過ぎと過剰をという、人類に与えられた課題であり、宇宙の玄理は「中庸」にこそその原点があると教えます。
いずれか一方に傾けば、必ずバランスを取ろうとして、今度は逆方向に力が働いてしまいます。作用と反作用の「拮抗法則」の所以です。
したがって美徳も過剰を極めれば、また裏返しとして、悪徳に趨ります。
極善は、また一方で極悪にも繋がるのです。
宇宙は「中庸」を保とうとする拮抗の仕組から成り立っており、いずれか一方に傾くと、そのバランスを保とうとして、逆方向に力が働いてしまうのです。
人間も宇宙生命体の一種ですから、宇宙と人体は相似形を形作ります。
宇宙を「大いなる宇宙」として見る場合、これは「大極」であり、人間を「小なる宇宙」として見る場合、これは「小極」と言うことが出来ます。この事から、宇宙と人間は「神のイメージ」で出来ている相似形ということが出来ます。
この場合の相似形は、まさに、神の想念であり、また思念であると言えます。
と言う事は、両者は相似形である以上、もともと同じイメージで作られ、宇宙は巨大な人体をなしていると言うことが言えます。
これは仏像などを見れば一目瞭然であり、仏は非常に人間の五体に似通っています。
ここに人体(生体)は、霊体(命体)を持ち、神に型どられた神体を持ち、更には大宇宙そのものの形を持っているのではないか、という命題に突き当たります。
この命題へのキーワードは、宇宙も人体も、「神の形」を有していて、同根から成り立っているのではないか、という「天界人体説」で、ここに「人神合一」の根拠があります。
つまり、人が神であり、神が人であるという、「重なる」思想です。
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