修行の場としての福智山考 2


●謙虚と畏敬の念

 かつて筆者が、山下先生と同行して福智山に登ったのは、秋口であったと記憶している。大学を卒業した翌年であった。
 季節は九月中旬であり、秋の日は夏と異なり、山では、そう長くはない。日没間際に、山の中は暗くなり、地形は昼間と違って見えるので、懐中電灯などの燈火(あかり)を照らしての山行きは、枝道に迷い込み、正規のコースすら間違う危険もあった。

山々の尾根伝いに歩く山行きの旅。

 こうした時に、福智山系を経由しての二泊三日の山行きを体験した事があった。そしてこれが、山行きでは、山下先生との「最後の山行き」となった。

 それ以前にも、何度も山下先生とは、福智山で何度も山行きを体験した。回数を重ねるごとに、ただ野試合での駆け引きの技だけでなく、山で用いるべく、本物の智慧(ちえ)を教わった。先生は、道場内での稽古が総(すべ)てではないと言っていたからである。その為に、どうしても同行し、その現実を教わる必要があった。

 以前の体験として、沢伝いに歩いていて、突然の驟雨(しゅうう)に降られた事もあった。驟雨に降られれば、今までの渓流の小川は、一挙に大河となり、岩場では滝のようになるのである。

 また、密林の中に首を突っ込むと、どうにもこうにも動くが取れなくなり、苦労して、そこから抜け出るのが「やっと」という思いもした。あるいは石を踏んで、その石を踏み落すと言う事もあった。石を踏み落すと、急斜面ほど、意外な大きな音をたてて落ちて行くものだと、この時に知ったのである。

 木や草や蔓(つる)に縋(すが)って、急斜面を登攀(とうはん)した事もあった。もうこうなれば、足で攀(よ)じ登ると言うより、腕力登攀のような事もした。
 特に正規のルートから外れて、枝道に入り、その先が密林のようになったところでは、水が流れている音がして、更に進むと、先が滝になっている事もあった。

 山の中腹では、こうした処に迷い込むと、夏でも午後四時頃には薄暗くなり、辺りが正しく確認できなくなるのである。その上、大雨や台風などで、数多くの風倒木が放置されたままになっているので、その倒木の上を歩くだけでも、難儀(なんぎ)をし、突然シーソーのようになって傾く事があり、何度も危険な思いをした事があった。筆者はこうした思いをしながら、少しずつ仕込まれていったのである。

天を貫くように伸びた杉は、根の張りが浅い為、台風の強風や大雨で倒れ易い木である。そして、倒れれば風倒木となり、登山者の行く手を阻(はば)んでしまうのである。

 そして、薄暗い中で、大雨や台風で薙(な)ぎ倒された倒木を見ると、倒木の折れた傷口から吹き出した脂(やに)は固着しておらず、それがまるで、赤い血を流している巨人が倒れているような錯覚を齎(もたら)すものであった。

 更に危険だったのは、大雨などで、水嵩(みずかさ)の増した渓谷に、倒木が押し流されて来て、それを跨越(またご)して通過したり、倒木の上を歩いて渓谷を渡ろうとする時など、眼には見えない罠(わな)が至る所に隠されていた。

 倒れて間もない倒木は不安定なままで倒れており、それに少しでも刺戟(しげき)を加えると、突然、枝が跳ね返って来たり、あるいは滑って動き出すと言う事もあった。
 こうした中で悪戦苦闘し、覆(おお)う事の出来ない疲労で、くたくたになった事もあった。そして、山行きは、下る時よりも、登る時の方が楽である事を知ったのである。

 今日でも、登山者の中には、登る時が辛(つら)くて、下る時の方が楽だと思い続けて居る人がいるが、こうした登山者は、山路の正規のルート以外、歩いた事のない人である。
 何かの勘違いなどで、枝道に迷い込み、密林の中に足を踏み入れた場合、動きがとれなくばかりでなく、登って来た処まで引き返さなくなった場合、この下りは、非常に難儀(なんぎ)するものである。「下りが楽」などと、甘い事を云っておれなくなるのである。

 高度を稼(かせ)いで、幾分明るいところに出ようとして、密林を直登する場合、下りるよりは、登る方が遥かに楽なのである。しかし、こうした直登も、勘(かん)に狂いがあり、方向感覚を失っている場合は、登っても、明るい処には出られない事があった。
 そしてその先は決まって、尾根伝いに逃げると言うものではなく、迷った挙句に陥った判断ミスと判明するのである。

 こうした時、山下先生は、その場に立ち止まり焦る事なく、暗がりの中で眼を慣らし、夜目(よめ)が利くようになってから動き出せと教わった。観察眼を働かせる事で、今まで見落としていたものや、聞き逃していたものが分かって来ると言うのである。判断ミスをした場合、焦って動き廻れば、ますます深みに嵌(は)り込むという事であった。

 特に筆者は単独行の時、こうした判断ミスを度々仕出かし、何処に動いても、どうにもこうにもならない状態に遭遇したことがあった。こんな時、耳を澄(す)ませば、たいていは渓流の音がするものである。足下の暗狭(あんきょう)を流れる渓流の音は、かなりハッキリ聞こえるものなのである。

 そして、その音を頼りに降下すると、その先は確かに渓流が流れていて、渓流伝いに下ると、その先が滝になっていたと言う事がよくあった。こうなれば、ザイルを持っての登攀技術(ロッククライミング)が必要になるし、また、ザイルを持っての山行きではなかっただけに、ここから再び登らねばならない事が多々あった。

 こうして山場では、間違いを経験しつつ、自然を観察して「勘」を養って行くのである。
 筆者はこの時、本当に命を張って生き残るとは、こうした事を云うのではないかと思った事がある。命を張った真剣勝負であったからである。

 日本列島は福知山山系に限らず、山で遭難し、渓流伝いに下るという、外国の山での有効な手段が、日本では殆ど役には立たないのである。渓流の先が滝になっている事が多いからである。

 こうした時、再び尾根まで登り、そこから正規のルートに辿り着く道を探し出さねばならなかった。そしてこうした尾根探しの路程は、二倍の疲れを生じさせ、一度、渓流の音に向かって降りる時に、手強(てごわ)い目に遭(あ)っているので、精神的な疲れも大きくなる。まさに全力を振り絞って登った時には、身も心も疲れ果て、疲労困憊(ひろうこんぱい)と云う状態で、一歩も動けなくなった事があった。

 人間の肉体に懸(かか)る、「疲労の負荷」と言うものは、山地と平地では全く違う。一度疲労に襲われたら、その先はバッタリと倒れてしまい、急激に終局がやって来るのである。下手をすれば、そのまま行き斃(だお)れになる。そうした、一歩も進めない疲労に襲われ、この遭難で「最早(もはや)これまで」と腹を括(くく)った事もあった。

 更に、人間の耳による感覚の違いを「風の音」に聴いた事があった。
 山の天気は、季節によって非常に変わり易くなるものである。今まで強い風が吹いていたかと思うと、急に静かになったりする。樹木の騒がしさがバッタリと途絶える。これまでの騒がしさが、一瞬にして豹変(ひょうへん)し、静寂に包まれると、逆に不安になるものである。

險しい山路を下ると、そこには風の音がし、そして渓流の流れがある。

 風の音がしている時と、そうでない時の違いは、近くに渓流が流れているか、否かに懸(かか)る場合が多い。樹海のような密林に迷い込むと、風の音が、はたと途絶えてしまうが、同じ密林でも、風の音がある場合は、その下が渓流になっている。

 コースを間違い、密林の枝道に入った時、辺りが樹木で鬱蒼(うっそう)としていても、近くに渓流が流れている場合は意外に多いのだ。
 沢には、そこを吹き抜ける風があるので、必ず「沢風」が吹いているものである。この沢風を頼りに、足を進めると、その先には渓流が出現する事が多かった。

 そして、風の音は、風の音がしている時よりも、風の音が止んだ時に問題が起っているのである。つまり、天気の異常が起っていると云う事だ。
 あるいは山の中腹に在(あ)って、樹木の隙間(すきま)から空を見上げられる場所に居た時、その空が高曇りである場合、仮に見通しが利(き)いていると思えても、天気が急変する事がよくある。

 また、仮に山頂に辿り着き、そこから降りはじめる段になって、これまでの快晴が急変する場合がある。こうした場合には、上空には、一筋や二筋の巻雲(けんうん)が趨(はし)っていて、これから一荒(ひとあ)れする事が予想された。また、巻雲の動く方向によって、その場所がこれからどういう状態になるか、予兆を感得できる事も度々あった。

赤い月。こうした月を露営中に見ると、何か不吉なものを感じさせ、心が落ち着かなくなる。こうした心境に至るのは、山肌か、もっと奥深い処から、危険を知らせる信号のようなものが出ているのであろう。

 露営(ビバーク)に関しては、月が出ている時、月の色でこれから先の予兆を感じる事もあった。月の赤は、真っ赤と言うより、橙色(だいだいいろ)の満月を思わせ、その中に黒い模様などが浮いて見える場合は、何かの予兆を顕わしているものである。

 そして月の周辺が赤く濁(にご)り、本来の月と懸離(かけはな)れたように見える場合は、これから先の道中に、不吉な何かが起る暗示とも映ることがあり、こうした時には、少なからず足頸(あしくび)を捻挫(かん)したり、手や腕に傷を追うと云うような小さなアクシデントに遭遇したことがあった。あるいは勘(かん)が大いに狂って、同じ道を堂々回りし、判断ミスをやらかした事もあった。

 これは、月の赤い色がそうさせるのではなく、月の色を変えさせるものに起因があるのだ。
 山肌か、もっと山の深い処から、一種の電磁波のようなものが吹き出ていて、その吹き出たものが、月を異常に見せる物が働いて、それが人間の眼に映り、月が赤く見えたり、橙色に見えたりすると筆者は考えている。

何となく心を騒がせ、不吉を感じさせる血のような夕焼け。台風の接近する前日などに、よく見られる夕焼けである。更に蒸し暑さは苛立ちを生じさせて、判断ミスを誘うものである。

 また、赤い月と同じような現象に、「血のような夕焼け」がある。血を思わせて、何処となく不吉な感じがする。人間の心にも異様な形で迫って来る光景である。
 こうした夕焼けも、やはり地下から電磁波の関係だと思っている。地下から放出される電磁波と、夕暮れ時の暮れ泥む日没が合成されて、それが人間の肉の眼に歪(いびつ)に映し出されるのであろう。またそれが心を騒がせ、何かの予兆を暗示させるものと思われる。
 ちなみに「血のような夕焼け」は、台風接近などの前兆として、確認される事が知られている。

 したがって、山から発される肉眼で確認されない異常波動は、人間の身体を媒介(ばいかい)して、それが眼に見えない異常として、脳が捉え、脳の指令伝達系統に不具合が起り、注意散漫になったり、判断ミスを犯す原因になるのではないかと思うのである。また、山での遭難や岩場からの滑落事故は、こうした時に起るのではないかと考えている。

 山と云う大自然は、人間に様々なメッセージを送り続け、稀有(けう)の現象が発生する時、実はこうしたメッセージが自然より届けられているのではないかと思うのである。それは風の音であったり、渓流の水音であったり、天気の豹変(ひょうへん)であったり、平野の平坦部に棲(す)む現代人には、まだまだ解らない、山の秘密が隠されているのである。

 山稽古を経験すると、自然に対しての感覚が敏感になり、特に変わった事が起る予測については、徐々に自信を抱くものである。山は、一見静かなようで、実は静かな生き物ではない。岩でも石でも、みな生きているのである。動かないように見える山は、ある日突然、雲を呼び、雨を呼び、雪を呼び、風を呼ぶ。そして大河や滝に変えるような驟雨(しゅうう)を降らせ、台風まで引き寄せてしまうのである。

 これは日本列島と云う構造が、このような構造になっており、太平洋側と日本海側を隔てて、両者は異なった大自然の中に置かれていると見るべきである。
 そして、八ヶ岳やつがたけ/富士火山帯中の円錐状火山で、長野県茅野市・南佐久郡・諏訪郡と山梨県北巨摩郡にまたがる山で、山麓斜面が広く、尖石(とがりいし)などで知られる)などがある日本海側の気候に影響され易い山を見れば、圧倒的にここでの遭難者は多く、これまでの遭難者の数も、この周辺の最高峰の赤岳(2899メートル)や、硫黄岳・横岳・権現岳など、八峰が連なる山に集中し、こうした連山はやはり生き物のように動いている事が分かる。

 こうした事は分かれば、人間は大自然に対して、もっと謙虚でありたいと思う。「畏敬の念」を以って、大自然は崇(あが)めなければならないものだと分かる。そして謙虚と畏敬の念を忘れた時、大自然は、猛然と人間に反旗を翻(ひるがえ)すのである。

 こうした山に関する一切を、修験道のような行法の形を通じて、福智山で、山下先生から少しずつ教わったのである。この集積が、筆者の山稽古での母体を造ったのであるが、一般に知られている山の常識が、実は、実地で山に入って稽古するのとは違っている事が多かった。

 筆者は小学校高学年から高校の頃まで、ボーイスカウトに入っていたが、スカウト手帳に出ている内容が、実際の山では通じない事も多々あった。
 富士山で定期的に行われる夏場の、世界ジャンボリーを1回と、日本ジャンボリーの2回を経験している。夏場の富士登山の体験もある。冬期の厳冬の山と、垂直岩壁を登る登攀技術(ロッククライミング)以外の、山行きはある程度体験済である。

 しかし、スカウト手帳に記載されている、磁石(コンパス)を持たずに入山して、北の方角を知るのに、樹木の切り株を見て、年輪の詰まりから方角を判断する内容があったが、必ずしも切り株から判断する方法は正解とは言えないようである。今では、スカウト手帳から、この内容が消えているようだ。

 山稽古と言うのは、実際に自分の心身を山に入れ込み、実地で体験する以外ないのである。
 そして武術修行の場合、単に險(けわ)しい山路を登り降りするばかりでなく、ここでの格闘を意識して、戦う術(すべ)を学ばねばならないのである。筆者には山稽古とは、こした意識を持って、心に反響して来るのである。

 ちなみに、「山行き」と謂(い)われるものは、大きく分けて四つに分類される。
 一つ目は、富士山のような単調な大きな円錐体の火山岩の上を歩く登山者と、二つ目は八ヶ岳の屏風岩を登攀技術(ロッククライミング)をもって巨大な岩壁を征服する登攀家の二つであり、一般には後者を「登山家」と言うようである。

 また三つ目は、マタギなどの狩猟を生業(なりわい)とする猟師の群で、古い伝統を持っで東北地方の山間に居住するグループである。またこうした群は、東北地方に限らず、日本中の山地の至る所に分布している。

 そして更に分類するならば、今日では殆ど少なくなってしまった修験道実践の群で、山岳信仰に基づくもので、もともと山中の修行による呪力(じゅりょく)の獲得を目的としたものだった。中世に天台系の本山派と、真言系の当山派から確立されたグループである。
 しかしこうしたグループも、呪力の獲得から、教義を、後世的に移行させて、自然との一体化による即身成仏を重視するようになった。

 つまり、修験道グループにも大きく分けて二派が存在し、前者は極めて少なくなり、後者が大半を占めていると云う事だ。
 そして、後者に於ては、「大峰入(おおみねいり)」などの言葉で知られるように、修験者が大峰に入って修行することを指し、喩(たと)えば、熊野から入るのを順の峰入、吉野から入るのを逆の峰入という、こうした呪力から離れた修法が中心となっている。

 しかし、本来の武術で云う「山稽古」は前者的なものも含む、呪力の獲得をも目指すもので、元会津藩家老の西郷頼母(さいごう‐たのも)当時の修法から考えれば、大東流編纂(へんさん)が修験道の一部から成り立ち、この印伝形式の流れを汲むものならば、山稽古の重要性は、大きな領域を占めている事になる。
 したがって、この事実を無視して、武術修行の本義は達成されない。また、人間が動物であるとする、基本的な行動原理に立ち返れば、決して山稽古は無視できない筈(はず)である。



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