修行の場としての福智山考 3


●三次元戦闘空間での目的

 人間が怪我や事故をする場合、筆者は、大自然が何らかの警告を発しているということに度々遭遇している。
 交通事故でも、あるいは自然災害に見舞われるような大異変でも、その予兆として、何らかのメッセージを発するのが大自然である。
 しかし、大自然から発されるメッセージは、平野部の下界に居ては、中々感知することができない。

福知山山頂から見下ろす筑豊地域の町並み。空気が澄んでいると、その澄明感によって、町並みが直ぐ近くに迫って来る。また、その遥か先に見えるのは九重連山。(平成19年8月11日、福智山山頂より撮影)

 平野部に棲(す)む、「都会の縮図」の一員に成り下がった現代人は、大自然から発する、幽(かす)かな囁(ささや)きを聴き取る精密な感覚器を無くしているようだ。
 一方、この錆(さび)ついた感覚器の回路を復活させようとして、大自然に畏敬の念を抱き、山に分け入れば、それだけでこれまで錆び付いた回路は修復されるものと筆者は考えている。
 ここに吾々(われわれ)修行者は、もっともっと山稽古を積まなければならないと、切に感じる次第である。

 修行者は、室内の中だけに居て、そこで決して傲慢(ごうまん)になってはならない。屋内の稽古上手だけに成り下がってはならない。
 また、平地を舐(な)めるようにして動く、「継ぎ足」「猫足」などの、この手の武技を練習して居る人は、よき体質を得る為に、膝の高さより足を高く上げて移動する、岩登りを体験する必要があろう。
 謙虚さが必要であろう。大自然に対して、心からの「畏敬の念」が必要であろう。

 かつて、筆者の尚道館に、台湾から、陳家太極拳(出身地が中国の広州と云っていたので、大陸系陳式と思われたが)と少林拳で著名な、某先生が個人教伝で来日した事があった。この先生は平地での稽古しかした事がないようで、山での稽古の体験は殆どなかったように思う。

 筆者は、わざわざ遠くから個人教伝に来ているのだからと言うことで、尚道館近くの志井公園駅から日田彦山線(ひたひこさんせん)に乗って彦山駅に向かい、英彦山ひこさん/福岡県と大分県にまたがる山で標高1200メートル)に案内したことがあった。
 そして、修験者の道場として名高い、英彦山山頂の英彦山神社(九州における護国安民の勅願所で、主神は天忍骨命(あまのおしほねのみこと)とされる。英彦山上にある元官幣中社)まで登頂する予定であった。

 ところが、彦山駅から英彦山神社下殿まで徒歩で向かい、更に、下殿から山頂の英彦山神社まで向かおうとした時、この先生は一瞬厭(いや)な顔をした。最初はそれが何の事か分からなかったが、要するにこの先生は、傾斜地を登り降りすることが苦手だったのである。

 この時、筆者の弟子を二名同行させたが、この二名の弟子達は、この先生が来日した当日、個人教伝の合間を見て、陳家太極拳や少林拳の闘技の数々を披露してもらい、その素晴らしさと、動きの滑らかさや、腓脚(はいきゃく)の真上に蹴る動きや、旋風脚(せんぷうきゃく)などの華麗な飛び蹴りに感嘆の声を上げ、実際に空手の組手にあたる「拳套(けんとう)」で対峙(たいじ)して、この先生から、顔面やボディーを打たれ、あるいは巧妙な技で足を払われ、引き倒されたりしていた。

 そして弟子二人は、この日から西郷派の儀法(ぎほう)はそっちのけで、寝ても覚めても、某先生さまさまであった。
 べったりとこの先生に、接着剤で貼り付けられたように付き纏(まと)って、何かの技を教えてもらおうと懇願(こんがん)しているようであった。

 そして、筆者は観光案内の積もりで、英彦山山頂の英彦山神社まで案内したのである。
 ところが、神社下殿から山頂に向かう路程において、この先生は何とも情けない醜態ぶりを示し始めたのである。登り始めると、足が遅いだけではなく、5mほど行っては10分も15分も休んでばかりで、大量の汗をかき、その後、一向に登ってこないのである。

 筆者は、この先生を見た時、「耐久性のない、何てヤワな人だ」を思ったのが率直な感想であった。その後筆者は、この先生を弟子に任せ、筆者自身はマイペースで登って行った。そして、山頂について社殿に参拝しようと思ったが、弟子二人と、この先生は待てど暮らせど、中々登って来ないのである。

 諦めて下山しようかと思った時に、この先生は弟子二人に腰縄付きで引っ張られて、息も絶え絶えに、漸(ようや)く辿り着いたのである。まさに疲労困憊で、到着した途端に崩れるように倒れてしまった。
 顔に顕(あら)われた引き攣(つ)った表情と、片言(かたこと)の日本語で平謝りしていたが、それ以来この先生が修行した実力が、弟子二名から疑われるようになり、筆者は冗談半分に、弟子二名に向かって、「お前らでも、今、この山の上であったなら、あの先生と組手して簡単に勝てるぞ」と云ってやった。

 そして、これ以来、すっかり修行の程度を疑われたこの先生は、弟子二人からも相手にされなくなり、帰国の時に喋った言葉が、「もう一度初心に戻って、一からやり直します」だった。恐らく、平地での稽古しか、したことがないのであろう。

 また、平成4年の夏合宿のメインイベントは、この年、福智山でなく英彦山であったが、この年も部外からフルコン空手の青年が参加していて、稽古の合間に突きや蹴りの威力を得意満面に披露していたが、実際に英彦山に登り、山頂に辿り着くのは、このフルコン空手の青年が一番ドン尻であった。

 小学生でも簡単に山頂まで登れる英彦山は、実は平坦なところばかりで練習を遣(や)っているこの手の選手は、遣(や)って居る人の体質や、筋力の遣い方にも違いがあろうが、險(けわ)しい山路での鍛錬には、余り慣れてないようである。あるいは山稽古の経験がないのかも知れない。

 この青年は、自分が集団の足を引っ張って、山行き時間を大幅に遅らせたという事で、反省の意味で、山頂の甃(いしだたみ)の上で30分ほど正坐をしていたが、帰館してからは、やはり山行きの醜態で面目丸潰れという感じで、その後、彼の空手の自慢話は、誰も相手にする者が居なかった。

 人間の信頼や威厳と言うものは、一旦失墜(しっつい)すると、まるで坂道を転がり出した大石のように、止めることができなくなる。転がり出した大石は、何かに憑(つ)かれたように転落して行くものなのだ。

 山行きは人生に喩(たと)えられることが多いが、信頼や威厳は思わぬ処で落し穴に落ちる事がある。
 筆者はこうした現実を、今までに何十回、いや、何百回となく見て来ており、人間は心身ともに「意外性」や「新奇性」に、実に脆(もろ)いものだと痛感する次第である。

 一方、こうした脆弱(ぜいじゃく)な心身を叩き直し、真人間に近付けて行くのが、山稽古であると思っている。歩いている時は、無心になれるからだ。また、險しい山路は、人間に危機感を与え、適度に頭を刺戟(しげき)してくれる。あるいは命の遣り取りをするような、必死の状態をつくるのである。
 単に平地の上を、尺取り虫のように這(ず)いずり回ったり、家屋内の天上から垂直に垂れたロープの上を、腕力だけで行き来しても駄目なのである。

 スポーツのゲームにしても、平坦な試合場で競う個人的闘技にしても、その戦闘の盤面は二次元平面で仕切られている。しかし、人間の眼から伝わった脳での感覚は、この現象界を常に三次元で捉(とら)え、三次元の奥行きのある空間解析で、動植物の「動き」や「存在」が確認される仕組になっている。

 つまり、平地での個人闘技に優れてる者は、現実には三次元実体にあるにもかかわらず、二次元平面的な思考によって、出来るだけ二次元に近付け、この判断に優れていると云う事なのだ。

 喩(たと)えば、野球のゲームで優秀なバッターは、ピッチャーから投げられた豪速球を、審判が判断する垂直平面の長方形の中にある平面盤に到達するゾーンを即時解析して、ストライクとボールを判断している。
 また、これ等の球(たま)を弾き返すのは、横平面の、右か左のスウィングである。つまり優秀なバッターは、球が垂直平面ゾーンのどの部分に侵入しているか、これを解析する能力と、肉眼の良さが優れていて、これに対し、上手にヒッティングできるのが、優秀なバッターということになる。

 また、ボクシングにおいても、打者がパンチを浴びせるのは、上半身の平面に見立ててのパンチ力の威力の有無で、そのパンチが繰り出される時、それは平面上を左右に回転させて出て行く。常に、肩は左右に動いている、したがって、殆ど縦に動くと言うことはない。これは足場を確保する、リングが平面であるからだと思われる。

 つまり、スポーツと云われるものは、三次元空間を、無理に二次元平面に見立てて、平坦な盤面で鬪う事が基本になっているのである。三次元の急勾配(きゅうこうばい)の傾斜地やアップダウンの激しい処では、個人戦法であっても、集団戦法であっても、戦えないと言う事であり、実は、三次元立体空間の眼で捉えなければならないものを、二次元平面で捉えて、ここを「闘いの場」としている事である。

 つまり、この「闘いの場」は、本来は三次元空間の筈なのであるが、左右何(いず)れかを一方方向に回転させる事により、成り立った「場」なのである。当然、肉の眼の捉える優劣と、肉体的に備わった才能が物を言うのは云うまでもない。

 この意味からすると、山稽古を母体とする武術の考え方とは、大いに違って居る事が分かるであろう。
 つまり立体戦では、前後左右の平面の他に、高低差と云う三次元機軸があり、ここを移動して戦闘を行うが、同時にこの空間は自他共に身を隠し、垂直方向に動き、そうした意味で飛び道具が必要となり、あるいは奇手(きて)を駆使する奇襲戦法が用いられる戦闘空間でもある。そして、このベースは、地形と天候と温度の寒暖に左右される処である。

 自称武道家と傲慢(ごうまん)に訴えても、その人が車などの交通機関に頼り、歩いて行ける所も交通機関に頼るようでは、本当の修行に精進しているとは言えない。人間は動物である以上、やはり二本の脚で歩き、車社会の犠牲者にならないようにしなければならない。
 また、高地へ向かう事も必要であろう。

 今日のスポーツの世界は、芸能の世界と地続きの為、観客を意識することが多くなった。その為に観客アピールも必要である。スポーツの世界は、声援を送り、見てくれる人が居てこそ、その試合興行が成り立つ。また芸能の世界でも、歌を聴いてくれる人、芝居を見てくれる人が居て、はじめて芸能興行が成り立つ。
 両者は何(いず)れも、観客を意識する事で成り立っている。

 一方、修行者の世界は、端(はな)からこうした意識をもたない。人が見ていようが見ていまいが、平地での試合ならともかく、險(けわ)しい山の中では、観客の声援も、その他の観戦も、一切関係の無いものである。

險しい山路に交叉する渓流の沢。

 また、近年の笑い話として、陸上自衛隊のある連隊が、連隊総ぐるみの夏の特別訓練を行い、山の中で野営演習をしたところ、この連隊の連隊長は、副官の部下に「何でこんなに蒸し暑く、その上、草深い、蚊の多い場所で野営をするのか」と文句を云ったと云う実話があるが、これほど文明の利器に馴れ過ぎた現代人を象徴するものはない。連隊長と言うから一等陸佐(外国の軍隊ならびに、かつての日本陸軍で云う大佐)である。軍隊官僚としての官職に有りながらも、こうした暴言を吐くのである。

 今日の自衛隊の幹部自衛官と、曹以下(曹長以下の下士官およびに士長以下の兵士)の一般自衛官の差は、立派な官舎に棲(す)んでいる小数の佐官クラス以上の軍隊官僚に属する人達を見れば明かとなる。
 高級将校にあたる佐官クラスや将官クラスという幹部自衛官は、概ねが事務処理機関の人間であり、これは防衛大臣とて例外ではない。彼等は戦場に居て、実際に戦闘行為を行うのではなく、それを眺める人達である。

 そして、こうした人達の計画は、机上の空論で、実行部隊を戦場へと向かわし、敵と戦う事の問題を提起して、味方同士に於ては小隊別、中隊別で競わせて、それを見ようと企む人達なのである。

 今の時代は、現代人としての、豊かさや便利さや快適さに浸る生活空間を求める傾向に、誰もがある。その恩恵に浴しようとする。
 それは戦争技術者としての自衛官も同じであろう。現代という時代は、一般自衛官を含めてヤワな人間が多く、全く、有事の際には役には立たない可能性は大きい。事務屋自身が戦争の何たるかを理解していないからだ。
 机上の空論と、現実がどんなに差があるか、こうした事実を知らなければ、国民の血税で造られた自衛隊は、単にサラリーマン化した「オモチャの軍隊」に成り下がるのである。

 日本の近代軍隊がこの程度のレベルであるから、一般民間人の自称武道家は、英彦山の山頂にも、漸(ようや)く足を運んだと言う、太極拳の某先生の例を挙げるまでもなく、更に精神力と、自然に対する適応能力は随分と低いものと思われる。
 豊かさと便利さと快適さの中に、どっぷり首まで浸かった現代人は、大半以上がこの程度の「ヤワな人間」のレベルなのである。

 それは武術修行が、観客を意識して行われるものではなく、自分自身に自問して、「自分とは何か」を目的にしている為、向かっている目標と次元が、全く違う事である。ヤワな人間どもは、自然から懸(か)け離れ、悪しき個人主義を貪(むさぼ)る、その程度の人間にしか過ぎないのである。

 筆者は、外国人で、その国では著名な大東流の師範を知っているが、この人が腰の手術をする為に、来日した事があった。彼とは以前から面識もあった。ただ、筆者が最初に疑問を抱いたのは、「なぜ大東流をしているのに腰痛になるのか」という事だった。
 もし、大東流をしていて腰痛になるのなら、この大東流自体の技に無理があり、問題があるのである。腰が悪くなるような技法で組み立てられているからだ。
 あるいは大東流師範と言うのは名ばかりで、実は文明の利器の恩恵に預かって、著名なこの師範は、普段の稽古を怠けていたのか。

 何(いず)れにしても、そのどちらかだろう。
 古人は、腰痛や坐骨神経痛は発生した時、一切の医者や治療師には頼らず、痛さを我慢して山行きを行ったと言う。この「山稽古」こそ、「自分とは何か」という探究に繋がるに同時に、怠けたことへの反省点を改めで提示させてくれることになり、山歩きで腰骨を動かし、股関節を動かして、足腰を復元させる最良の手段であったのである。

 しかし、今日はこの外国人の大東流の師範のように、簡単に手術をし、それにより腰痛を逃げ切ろうとするのである。愚かなことである。
 ちなみに、日本で手術をしたこの師範は、その後、容態が思わしくなく、再び重度の腰痛に悩まされ、尺取り虫のように歩く生活が余儀なくされていると言う。

 要するに上肢だけの技に魅(み)せられて、下肢を養成する技を見逃し、不安定な基礎の上に高級技法を積み重ねたからだ。土台は不安定ならば、幾ら高級技法を積み重ねても、それは不安定なものになる。
 この師範は、大東流の本当の修行法には、修験道に匹敵する「山稽古」があることを知らなかったのだろう。



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