インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 入門方法 >> 総本部・尚道館 >> 壮年ならびに高齢者のクラス(四) >>
 
志高く、より良く生きるために

■ 壮年ならびに高齢者のクラス■
(そうねんならびにこうれいしゃのくらす)

●毛細血管の回路を開発する

 ガンを予防したり、アルツハイマー型痴呆症を予防するには、毛細血管の血行不良を改善する以外に方法はない。また、歳を取って、鬱病(うつびょう)になったり、精神分裂病にならないようにする為には、毛細血管の回路を開発する必要がある。

 栄養を、全身にくまなく運ぶのは、血管を流れる「血液」である。 その血管の中でも、小腸から吸収された約60兆個もある全身の細胞の一つ一つに、栄養を運ぶの回路は毛細血管であり、その働きは人間にとって大事なものである。

 しかし、毛細血管のこうした働きに対し、これを阻止するのが「活性酸素」という障害物である。活性酸素の阻害されると、幾ら栄養をとっても、結果的には栄養が運ばれない状態になる。
 「毛細血管」という存在は、今日の現代医学の医療機器の粋(すい)を集めた最新鋭のCTスキャンでも、レントゲンでも、微細な毛細血管の映像は、ごく一部しか映す事が出来ない。また、毛細血管に目詰まりした活性酸素も映す事が出来ない。

 この段階では、毛細血管の目詰まり現象にある人は、異常も感じないし、痛みも感じず、その後、徐々に悪くなり、やがて血栓などが出来る。
 老化とは、活性酸素によって、遺伝子や細胞が損傷を受け、異常な遺伝子が殖(ふ)えれば、則(すなわ)ちそれがガンの要因になるのである。したがって、活性酸素を無害化し、血流の流れをスムーズにする事により、躰(からだ)の隅々にまで栄養を送り届けることが出来るのである。

 人間の体内には、隅々の末端に至るまで、網の目のようになった血管が走っている。この血管が毛細血管であり、栄養分や酸素を送り、不要な物質を運び去る役目を担っている。こうした血管の働きによって、体内の細胞は栄養分を燃焼させ、躰に必要なエネルギーを生み出している。 したがって、血流が順調であってこそ、栄養分は必要箇所に運ばれ、それが有効利用されるのである。

 成人の血管は、大動脈、大静脈のような太い血管から、100分の1mmの極細の毛細血管まで、総て併せると、その血管総延長は約10kmといわれている。これは地球の円周で表現するならば、2周以上になるといわれる。そして、血管総延長の99%を占めるのが毛細血管である。この毛細血管の中には、肉眼では確認不能な、赤血球の直径より細い血管も多くあるといわれている。

 また、肺の中で酸素と二酸化炭素を交換する為に、この箇所を取り巻いている毛細血管も、腎臓で老廃物を濾過(ろか)して尿を作る毛細血管も、電子顕微鏡でしか見ることの出来ない血管である。肝臓も毛細血管の塊(かたまり)であり、小腸で最小単位にまで分解された栄養分は、まず肝臓に集められ、躰に利用できる形に変換されてから全身の必要な箇所へと栄養分が運ばれる。
 したがって、血管が目詰まりをする現象は、まず毛細血管から始まるのである。

 脳梗塞や心筋梗塞は、脳や心臓の動脈に血栓などができる血流障害である。詰まった箇所の先には、血流が流れない為に、酸素や栄養などの補給が出来なくなり、これにより脳梗塞や心筋梗塞が起る。
 しかし、毛細血管は極細である為、1mmの百分の一の傷や変質は容易にCTスキャンやレントゲンに映ることはない。こうした医療機器に映し出される場合は、かなり症状が進んだ状態であり、太い血管に映し出される以前に、毛細血管では様々な箇所の目詰まりしていたと考えられる。

 血液がスムーズに流れないという事は、白血球などの免疫細胞も運ばれない為、その部分の免疫力も極端に低下してしまう。その結果、病原菌の繁殖や、ガン細胞の増加が食い止められなくなり、免疫細胞が働かないまま、やられ放題になってしまうのである。

 一方、ガン細胞が発生しても、毛細血管の血液が滞りなくサラサラと流れていれば、細胞も盛んに新陳代謝を繰り返し、ガン細胞を抑止してしまうのである。
 やがて、可逆分化の作用【註】千島喜久男医学博士が説いた学説の「赤血球分化説・逆分化説」。腸造血説が学説の論拠。大東流食養道参照http://www.daitouryu.com/syokuyou/が働き、ガン化した細胞も、元の正常細胞へと戻っていくのである。ガン細胞も、元はといえば、正常細胞が変質したものだったのである。

 ガンを予防したり、ガンからの生還を起す為には、まず血流障害を取り除かなければならないということが分かる。つまり、毛細血管の目詰まりをなくすと同時に、新たに毛細血管の回路を開くことである。60兆個の細胞に潤いを与え、若さと瑞々(みずみず)しさを取り戻す為には、まず「毛細血管が詰まった」という状態を取り除き、これを改善させると同時に、新たな毛細血管の回路を開発することである。

 この、毛細血管開発法に、わが西郷派大東流は「合気揚げ」を通じて、目詰まり状態を取り除くと同時に、回路開発の鍛錬法を行うのである。

 人間は、毎日、毛細血管の目詰まりによって、その被害に遭う細胞の数は、数万個から数十万個といわれている。この単位は、細胞全体の60兆個に比べれば、微々たる数字で、さほどのダメージは受けないとされているが、 しかし、毎日、数万個から数十万個の細胞が失われ、これが繰り返されているのである。これが度重なれば、やがて破局を迎えるのは明白であろう。

 したがって問題になるのは、毛細血管の目詰まり障害を取り除き、更に新たな毛細血管の回路を開くというのが、壮年期以降の人に課せられた、その後の人生課題といえよう。
 何故ならば、長寿を保つ秘訣は、病気に罹(かか)らない事ではなく、病気に罹っても、直ぐに回復する「体質の良さ」を維持していかなければならないからである。

 そこで、わが西郷派大東流は、体質のよさを維持する実践も含めて、次のことを実行するように奨励している。
1.正しい食餌法の実践…血液を汚染し、酸毒化する動物性蛋白質を出来るだけ避け、玄米を正食として、穀物菜食の主食を実践する。これにより、体質がよくなる。病気に罹っても直ぐに回復する。また、血流障害撲滅を目指し、穀物菜食をして血液サラサラ状態を実践する。

2.合気揚げの「刀印之手」を通じて、毛細血管の修復と回路の開発…毛細血管の目詰まりを修復し、更に毛細血管の新たな回路を開く。回路の開発には、約1000本程度の新たな毛細血管の回路を開発する。また、回路開発には、2kg前後の「木刀の素振り」が大いに役立ち、同時に精神的な胆力も養うことが出来る。
 合気揚げをやるのも、剣を素振りするのも、一般には、これらは「腕の運動」と思われているが、これは決して腕の運動ではない。「手の運動」であり、「指の運動」なのである。更に、正確を記すれば、「指先」に丹田からの力を集中する「指先の運動」なのである。合気揚げは、「指先を立てる」ことから始まり、剣の素振りは、人差し指の方向に剣を導き、振り上げ、振り下ろす運動である。

 では、何故、手の運動や指先の運動が大切なのか。
 それは「脳」に良いからだ。ボケなくて済むからだ。
 ボケについて、多くの壮年期や晩年にかかった人は、このように返答する。
 「自分はボケるような生活はしていない」と。 しかし、現在ボケて、アルツハイマー型痴呆症で入院している人の多くは、ボケる前、このようなことを豪語していた人である。いっぱしの健康体を豪語する自信家であった。

 しかし、こうした自信家の日常生活を追うと、毎晩仕事と称して、暴飲暴食に趨(はし)り、一日1箱以上のタバコをすい、仕事が忙しくてとこぼしている人である。運動はしているといっても、一ヶ月に一度程度、スポーツクラブやゴルフクラブで汗を流す程度で、結局、自信家の健康意識は、この程度のものであある。そして二言目には、「自分はボケるような生活はしていない」というのである。
 果たして、この程度の健康意識で、ボケから逃れることができるだろうか。

右脳と左脳(画像クリックで拡大)

 さて、わが西郷派大東流が「合気揚げ」や「木刀の素振り」において、実践するのは、単に肉体的な反復運動を繰り返すだけの筋トレではなく、その奥には、「脳を刺激する運動」が加わっている。
 脳の刺激は、頭を叩いたり、頭蓋骨の表面を擦(さす)るだけでは刺激にならない。
 脳内の大脳皮質には、体知覚野運動野があり、これらは手の働きが支配している。つまり、手を動かし、指を動かすことが体知覚野を刺激することになり、運動野を刺激することになる。この刺激がボケを防止するのである。

3.呼吸法の鍛錬…呼吸の吐納を正しくマスターし、有酸素運動を実践して、「力む」肉体運動や筋トレ運動から開放される。「健康と称されるスポーツ」の殆どは、大量の酸素を消費し、この為に過剰な活性酸素を発生させる種目のものが多い。これらの種目は、若年層には克明に障害が現れないが、壮年期以降は若かりし日の酷使が、その年になって姿を現す。これは呼吸法が間違っている為である。

 壮年期以降の年齢に差し掛かったならば、まず、「汗をかかない」対策を講じ、力まずに、有酸素運動が出来る武術を選ぶ出来である。その究極の目的は、「汗をかかず」「筋トレをせず」然(しか)も「強い」というのが本来の武術の「術」であるから、力で相手をねじ伏せるような「力(りき)む種目」のものは避けるべきであろう。

 

●玄米正食こそ壮年期以降の栄養食

 現代という時代は「複合汚染の暗黒時代」である。この暗黒時代の汚染を解決できるような、政治家は今のところ、一人も見当たらないようだ。また、日本人自身、これを解決できるような有能な政治家を持つことが出来ない国民性が、その背景にあるようだ。
 民主主義は欧米が持ち込んだ政治システムであるが、国民が愚民であれば、民主主義は正しく機能しない実情がある。

 こういう世の中で、多くの日本国民は、現実の「複合汚染の暗黒時代」を生きることを余儀なくされている。果たして、生まれた時が悪かったのだろうか。それとも、自分自身が悪いのだろうか。何か、そんな歌があったように記憶する。

 さて、今日のベビー・ブーマー、団塊の世代が生まれたのは、昭和22年から24年にかけてであった。そして、そのピークは昭和23年生まれである。団塊の世代が生まれた時代は、物資も少なく、また食べるものも少なかった。ある意味で、今日に比べれば、精神的には豊かであったかも知れない。

 五歳になって幼稚園に行く頃、砂糖は貴重品であった。滅多に、家庭でも砂糖を見ることは無かった。その代わりに、砂糖に変わる物はサッカリンであった。小学校に通うようになると、学校の給食で出された牛乳は脱脂粉乳であり、マーガリンといわれるものは、要するにラードといわれる粗悪食品であった。

昭和22年頃の小学校の給食。牛乳と称された食品は、牛乳とは程遠い粗悪な脱脂粉乳だった。脱脂粉乳は脱脂乳から、ほぼ全部の水分を除いて粉末にしたものに、その後、水を加えてこれを当時の学校給食では「牛乳」と称した。
 こうした給食制度が、各地で昭和30年半ば頃まで続いた。

 それに大人たちは、防腐剤のサリチル酸入りの清酒に、「味の素」を加え、これを一級酒と称して飲んだり、子供が、たまにお裾分けに預かるソーセージやハムは、魚肉入りの食品添加物が使われた食品ばかりで、この有害性を、何も知らずに食べていた。

 当時の多くの日本国民は、太平洋戦争に敗れ、敗戦後、どん底の生活をしていた。また、昭和20年代、昭和30年代、昭和40年代は、団塊の世代の成長期であり、あらゆる食品毒が、口の中に放り込まれた時代であった。

 その団塊の世代も、近年、そろそろ60歳の定年の時期を迎えようとしている。一方でこの年代の、ガンの死亡率が急増した。
 またアルツハイマー型痴呆症に罹(かか)って、早々と惚(ぼ)け、更には脳梗塞や心筋梗塞で、ばたばたと斃(たお)れ始めているのもこの世代である。その最初の起因は、どこにあったのか。
 どうもこれを追求していくと、昭和30年代の日本の高度経済成長期の、あのドサクサ的な食の乱れに端を発しているように思える。
 そして、あの食の乱れの中で、団塊の世代は、水銀などの有害物質を体内に蓄積させた可能性も少なくないようだ。そうした元凶が、昨今のガン死亡率の急増などに拍車をかてているのかも知れない。

 ガンの因子は、成長期ほど、影響するといわれている。こういう意味で、団塊の世代の時代以下で育った60代、50代、40代の人は、複合汚染の危険率を多く抱えているのではあるまいか。

 であれば、60代、50代、40代と年齢が低くなれば、なるほど、複合汚染の中で育ってきたことが明らかになってくる。複合汚染は、現在もその延長上にあり、食品添加物の認可は、北半球の先進国の中で、日本が一番多いのである。

実りの稲穂は、瑞穂の国・日本の象徴だった。
 
秋の収穫時、日本にはこうした刈り取られた稲穂が田圃(たんぼ)模様を見せた風景があったが、今ではこうした風景は、地方でも殆ど見られなくなった。

 毎日の肩凝りや血圧に悩まされ、老いた躰(からだ)には、いろんなところに障害が出ているのが普通である。特に複合汚染の中で育った60代、50代、40代の肉体は、丸ごと複合汚染された典型かも知れない。
 生きている間は、少しでも楽でありたい、健康でありたいと思うのが人情である。しかし、こうした願いは、現状では空しい遠吠(とおぼ)えに過ぎないようだ。
 複合汚染の現代は、心身ともに畸形(きけい)になる、多くの病因が横たわっている。

 仕事をしても気力が起らない。根気が無い。飽きが来る。持続力が無い。息切れがする。朝が起き辛い。体重はどんどん増えるばかりで、腹が出てきた。顔や手に老人性のシミが現れたり、目尻に通称「カラスの足跡」という皺(しわ)が現れ始めた。視力が低下した。腰や足が冷える。膝が痛い。肌や手が荒れ、踵が罅(ひび)割れている。足の指先が冷えて、冬は素足で過ごせない。皸(あかぎれ)や霜焼けが出来る。風邪をひく。扁桃腺が弱い。喘息(ぜんそく)気味である。花粉症になる。偏頭痛などの頭痛がする。口臭がある。抜け毛が多い。精力が減退気味である。夫婦間に不和がある。椎間板ヘルニアなどの腰痛になる。大便が臭い。放屁が臭い。腋臭(わきが)で体臭が臭い。痔疾を持っている。苛立って落ち着かない。短気で直ぐ腹を立てる。人間関係にトラブルばかりが起る。

 以上のような現象が現れるのは、動蛋白摂取過剰と卵類ならびに、肉加工食品や乳製品の取り過ぎである。また、動蛋白と併せて、体調不調の元凶となるものは、「三白ガン」といわれる、白米(漂白小麦で作られた白パン)、白砂糖、精白塩である。

 特に、食肉の取り過ぎで血液が汚染され、酸毒化すると、暑さ寒さに弱くなり、また、食品添加物による汚染は、体液が酸性化して、気力などが失せてくる。注意散漫などもこれに入る。
 また、この状態にある人は、人への思いやりが薄れ、心遣いも無く、目先の欲ばかりに趨(はし)りがちである。 パチンコや競馬などの小ギャンブルに現(うつつ)を抜かし、「五万とった」とか、「十万とった」とかと、その場限りの一喜一憂に明け暮れる人は、現実逃避を企てる人である。
 金を追い、金に追われ、守銭奴から転げ落ちて、餓鬼道(がきどう)を地で行く人である。また、自分の本当に大事なものを見失った人である。

 そしてその心情は、自分が辛い将来に、不安がある等の悩みを抱えた人である。
 しかし、自分ではどうしようもない。 肉食獣のように獰猛(どうもう)で、蝸牛(かくぎゅう)の世界の中で、角をつき合わせ、いがみ合い、憎みあい、草食獣のように穏やかさがない。こうした状態に陥ってしまうのは、動蛋白や乳製品から来る弊害である。

 酸毒体質というものは、実に恐ろしいもので、その人の肉体はおろか、心までマイナスにしてしまうのである。常に怯(おび)え、不安にかられ、本心から幸せであると思えないのである。 そして、こうした状態が更に進むと、心身を病み、抜け出せない迷宮のジレンマの中に陥っていくのである。

 しかし、迷宮に陥っていく自分を、黙って放置しているのでは、あまりにも能が無い。
 こうした状態に至れば、生活そのものを、変えなければならない。特に食生活の変更は大事である。玄米群を基本として、自然に則した食生活を規則正しく行わなければならない。
 こうした悩める人に対し、わが西郷派大東流では、玄米スープの飲用を薦めている。

 玄米スープの飲用は、朝昼晩、一回につき350ミリリットルを一日3回、三日間これを続けらだけで、即効が現れてくる。液体であるから、玄米スープは即効性があり、吸収がよく、即座に効果が出てくる。

体質改善の効果が大きい玄米雑穀。
玄米雑穀の栄養価の高い野菜雑炊。

 こうした玄米食の優れたコメ文化の「食」という世界を説き続け、食養に関して、その「食の陰陽」を説いたのが、石塚左玄(いしづかさげん)であった。
 石塚左玄は明治初期の陸軍薬剤監であり、『食物養成法』という著書を著している。そこに書かれている事は、人間の「躰と食は一体」であり、人体こそ、「食の化身」と定義している。

 食養に関しては、昭和4年に『新食養療法』という著書を著したの食養研究家の桜沢如一であった。
 桜沢如一は石塚左玄の「食養」を更に研究し、食には陰陽と共に、「人の一生は食べ物によって定まる」という無双原理に基づく、真生活運動を展開した。そこには、人の吉凶、禍福、寿夭(じゅよう)、賢愚、美醜、善悪は、「食によって定まる」としているのである。
 そして、桜沢如一の食養理論の中で、これまでと異なる人間論を展開している論拠に、「人間には善悪が無い。ただ、食物に善悪がある」としていることである。

 これによると、悪い食物を食べるから、運勢は「凶」になり、「禍」となり、寿命は短くなり、人間性は愚かになり、体躯は醜くなり、したがって「悪」を為(な)すというのである。

 桜沢如一は、人間の食べる食物から、人の一生までを語り、食によって、人の人生が定まっているとまで言っているのである。
 さて、この事については、一々議論するまでもなく、実際に試した方が早いであろう。こうした場合、実験することが一番である。論じても仕方ないことである。そこで是非ともお勧めしたいのが、わが流の説く「霊的食養道」であり、この小手始めに、玄米スープを試されてみては如何だろうか。

 玄米は、白米と違い、生きた米である。玄米を濡らした脱脂綿かティッシュの上に置いておけば、4〜5日で発芽する、生きた米である。ところが白米は加工されているので、こうはいかない。

 玄米スープは次のように作るので、実際に自分で作ってみて、その効用を試して頂きたい。

玄米スープの作り方の手順と注意点
1.

 一升炊きき程度の深鍋に、玄米一合を入れて、ヘラ杓文字で乾煎(からい)りする。乾煎りする玄米は、洗わずに、あらかじめ汚れなどを取り除いておき、これを鍋に入れて煎るのである。ヘラ杓文字で一部分だけが焦げないように煎り、香ばしい香りが出るまで、乾煎りするのである。
 玄米を煎る理由は、玄米中の栄養分を、早く抽出する為である。この時のポイントは、狐色になるまで煎ることである。玄米を煎り過ぎて、焦がさないようにすることが大事である。焦がし過ぎれば、栄養分を壊してしまうからである。

2.

 香ばしい匂いがしてきたら、この中に、玄米一合に八合の蒸留水を煎れ、玄米を炊き込むのである。炊き込む時間は、蓋をして中火程度でコトコトと20分間煮込む。20分間煮込めば水の量は約半分になる。半分になった玄米スープを布か笊(ざる)で越し、その越し汁が玄米スープである。
 このスープを朝・昼・晩、空腹時に飲むのである。液体スープであるため飲みやすい上に吸収が良く、即エネルギーに作用するくらいの威力を持っている。

3.
スープを取り終わった後の玄米は、普通の電気釜(圧力釜の機能がない釜でも、焚くことが出来る)で、白米と同じ水の分量で炊き、炊き上がった後玄米粥にすると、おおよそ三人分の一食の主食分が確保できる。スープの残りの玄米も、玄米の外皮の部分に持つ栄養分が取れるので、これも残らず、主食として食する。その際、ただ玄米だけを食するのでなく、スープを取り終わった玄米に、約4割程度の大豆、小豆、粟、稗、黍、玄麦、ハト麦などを加え、雑穀にすることである。こうすれば、陰体質の人でも難なく食べることが出来、貴重で安価な栄養補給となる。
 
 この玄米粥(がゆ)に、塩分の少ない梅干やその他の漬物と、煮野菜、豆類、海藻、小魚類のなどの副食をつける。こうした粗食少食を一日2食主義(朝は排泄タイムなので、早起きをし、玄米スープを350cc程度摂り、昼食はお茶碗一杯までの主食におかず類、夕食は玄米粥を主食に数品のおかずを摂る)で徹底すると、玄米スープの効用も加わり、体重が一日の200〜400g程度減り始め、標準体重の値でピタリと止まる。
 身軽になり、動きもすばしっこくなり、内臓にも負担がかからず、疲れにくい躰(からだ)になるので、武術を志す体躯としては申し分ないものとなる。

 また、粗食少食は、基本が玄米を中心にした雑穀である為、体質の陰陽に関係なく、誰にでも食べられ、然も、頑張りが利く躰(からだ)となる。
 まず、玄米スープが如何に素晴らしいか、早速試すべきであろう。

 ちなみに、玄米スープ100ccの中に含まれる食品衛生センターによる検査結果は次の通りである。

玄米スープ100ccに含まれる成分
水分……………
たんぱく質……
炭水化物………
脂質……………
灰分……………
99.5g
0.1g
0.3g
0.0g
0.1g
ビタミンB1……
ビタミンB2……
ビタミンE………
エネルギー………
0・02mg
0.01mg
14・8mg
2Kcal
 
 以上の検査結果から窺えることは、玄米スープには、人体には必要不可欠な素晴らしい成分は含まれていることが分かる。そして、注目すべきは、脂質が「ゼロという値」である。それにも況して、ビタミンEについては、卵や牛乳などに多く含まれているというが、玄米スーツでは、100ccの中に含まれる含有量は、概算で卵の13個分、牛乳の15倍に当たる。

 ビタミンEは若返りの成分である。細胞を生き生きとさせ、生殖機能を向上させる成分であり、「若返りのビタミン」といわれるのがビタミンE(トコフェロール)である。この成分の必要性は、既にマウス実験などで証明され、主な働きには不妊症、流産防止、環境障害、脳軟化症や老人障害などの効果があるといわれている。また、上記に上げた以外にもビタミンB群のBや、パントテン酸ビタミンFとも呼ばれるリノール酸やニコチン酸とも呼ばれるナイアシンが含まれ俗に言うミネラル分である、カルシウム、カリウム、リン(一般にリンといえば、人体には有害な物質と誤解されているが、これは洗剤のリンと同じように考え、無リンが正常などだと考えから来る大きな誤解である。正しくは火山灰質に不足するのがリンであり、作物を育てる栄養源はリンも含まれ、これは自然の生態系のバランスをつる物質である)、鉄などが含まれる。

 玄米成分のビタミンB群は、代謝機能を順調に動かす働きがある。また、アルコールの分解や炭水化物の代謝をよくし、これを燃焼させる働きがある。したがって、酸性の老廃物を排泄する働きも持っているのである。酸性腐敗物質を体内に溜め込むと、疲労の大きな原因になり、それが肩凝りや腰痛として現れてくるのである。また、こうした症状はガン発症の前触れでもある。

 食品に対する考え方は、その食品の持つ一点の成分だけに注目するのではなく、全体像として捉えることが大切である。このページ上では、ビタミンB群について述べているが、ビタミンB群の成分だけが疲労回復に繋(つな)がったと考えるのではなく、玄米に含まれる全体の成分を通して、それがら総合的に相乗効果を持って作用していると考えるべきである。
 したがって疲労回復に効果が大きいということは、同時に健脳法としても効果が大きいということであり、ここにビタミンBの脳への機能へと関係してくるのである。

 玄米摂取により、肉体疲労が減少し、躰が軽くなったという報告を多くの玄米正食者から受ける。これは健脳法として玄米がその役目を果たしている為である。神経痛、筋肉痛、腰痛、肩凝りなどの症状は、末梢神経系の適応障害である。つまり、間接的には健脳が十分に果たされていないということである。これがやがてアルツハイマー型痴呆症などのボケ老人を作り上げていくのである。

 そして、飽食の時代、過食の時代、更には美食の時代と称される現代において、食べ過ぎないこと、美食に走らないことは長寿を全うするために、大事な要素になることを忘れえてはならない。
 グルメを気取って美食にはりれば、それだけボケ症状が一気に早まり、飽食や過食に明け暮れれば、内臓を疲弊させてそれだけ寿命が縮まって老化は早まるのである。
 少なくとも、壮年を過ぎた、初老といわれる40歳を過ぎれば、主食のご飯も、ご飯茶碗一杯までで、それ以上の御代りは控えることである。「腹八分」が大切なのである。大食いは内臓に負担をかけ、それだけ内蔵が疲弊して、弱るからである。また、白米の大食いは胃ガン発症になりやすいことも、肝に銘じておくべきであろう。


戻る << 壮年ならびに高齢者のクラス(四) >> 次へ
 
Way of living
   
    
トップ リンク お問い合わせ