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『大東新報』平成16年10月15日号

●民主主義を自由・平等・博愛と誤解した線御教育
 民主主義の根本を、多くの日本人は「自由の尊厳」に回帰する。しかし自由の尊厳こそ、日本人が長く誤解している元凶の根源である。日本の社会構造の中に、自由など何処にもないのだ。
 愚かな幻想の中に多くの日本人は迷妄し、撹乱(かくらん)される。自由の幻想はここに寄生し、この寄生虫は日本国家の中枢を巣喰っている。
 つまり日本は、昭和二十二年(1947)に、これまでの日本式教育を改めて、アメリカ式教育に変更するという思い違いが、そもそもの民主主義教育を誤解させた大きな元凶であった。民主主義の取り違いは、実は此処に由来する。

 日本国民の多くは、戦後の民主主義教育がアメリカ式教育に変更されたと思い込んでいるが、これは大きな間違いである。日本の教育制度の中に、アメリカ的なものは何処にも存在しない。
 日本の戦後民主主義下で、今日の教育現場で行われている「民主主義教育」と標榜する教育ほど、アメリカ式教育と掛け離れているものはない。そして多くの日本人は、アメリカ式教育の実体を知らない。

 その最大の特徴は、日本の教育は文部省(現在の文部科学省)が管轄し、それに制約を加えている点である。
 ところがアメリカでは「教育の自由」を徹底させている。したがってアメリカ政府は「教育の自由」に関与しない。州立大学があるにはあるが、大学運営を州が経営しているのであって、日本で言う国立大学や公立大学というものは原則的に存在しない。アメリカでは「教育の自由」を表面に打ち出され、国家が教育に介入すると言う現実はない。かのハーバードですら私立大学である。
 そしてアメリカ式教育の主眼は、アメリカ人として誇りを持たせ、アメリカ合衆国に忠節を尽くす事をその教育の最大の特徴にしている。

 アメリカ式教育は国家に忠誠心を誓う事と、アメリカ人としての生活を指導をする事なのである。つまりこれは、近代国家における民族国家(nation-state/民族を基礎として、18〜19世紀のヨーロッパに典型的に成立した統一国家)としての成立と傾城を維持する事に、その主眼が置かれているのである。ドイツでは「Nationalstaat」と云い、やはり市民革命を経て、国民的一体性の自覚の上に完成した国家を指すのである。
 歴史を紐解いても分かる事だが、「民族」というものは自然発生的に存在したものではない。また氏族や部族がそのまま民族を形成したものでもない。

 中世ヨーロッパにおいて、これまでの貴族支配は、近代的統一国家と真っ向から対立するものであった。したがって国民的一体性の自覚を完成させる為には、中世等族国家を民族国家にまで高揚させて、これを統一しなければならない。これが民族国家であり、近代国家はこれによって生まれ変わる事が出来た。
 要約すれば、「民族」とは人間がつくったものなのである。人間の作為によってつくられたものであるが故に、民族形成に傾倒するのが民族国家の主眼とするところなのである。

 したがってアメリカ合衆国とは、民族教育にその重きを置き、そこにこそ、アメリカの教育の原点があるのである。
 アメリカの生い立ちの歴史は、移民に起源している。自由を標榜し、宗教や身分、民族や言語、財産の有無を一切問わず、これを受け入れた歴史を持つ。この歴史こそが、アメリカの主眼とするところであり、これによってアメリカ合衆国を構築した。

 だからこそ、アメリカでは、アメリカ式教育の最大の特徴は「民族教育」であり、この民族教育を通して、一人一人のアメリカ人に、国民としての民族意識の自覚を持たせるのである。アメリカは、この民族教育を通じて、アメリカ人を作り上げるのである。

 アメリカの初等教育における指導方針は何か。
 それはコミュニケーションを確立し、異なる意見の持ち主と協調し、それを理解させる事を第一とする。こうした教育の背後には、各々に応じて、立場や身分、宗教や言語、環境や地域の違いがあるので、これ等の違いをコミニュケーションによって意思の疎通を図るのである。

 アメリカでは意思の疎通に最大限の時間をかけ、じっくりと基礎教育を施すのである。これを小学・中学・高校まで、じっくりと時間をかけるのだ。したがって一方では、読み書き計算できない、半文盲と言われる者が高卒の中に出て来る。

 しかしこうした事は日本では絶対にあり得ない。日本で基礎的な読み書きや計算が出来なかったら大変な社会問題になる。ところがアメリカではこういう事態を、それほど重要とは考えない。
 ではアメリカでの教育は、一体何が行われたのか。
 アメリカでは、アメリカ国家に忠誠を尽くす、アメリカ人の養成を、小学・中学・高校まで、じっくりと時間をかけで行って来たのである。


●民主主義の原点
 民主主義の原点はコミュニケーションを確立することにあり、自分の意見を堂々と主張する事に重点を置かれて来た。
 また同時に、他人の意見を理解すると言うことにも重点が置かれ、日本のように一方的な自己主張をする考え方は、独りよがりで、民主主義デモクラシーではないと一蹴されて来たのである。
 これがアメリカ人の考える民主主義と、日本人が未だに誤解し続けている民主主義の違いである。

 アメリカでは教育(民族教育)は小学・中学・高校を通じて行われ、勉強は大学に入学してから始まり、研究過程は大学院に至ってから始まるのである。
 したがってアメリカ式教育の最大の特徴は、小学・中学・高校を通じて、アメリカ人になる為に多くの時間が費やされるのである。

 ところが日本では、小学校受験から受験競争を煽り立て、小・中・高を通じて受験競争に拍車を掛けて、教育現場では日教組に指導された、日本国民としては相応しくない反日教育に躍起になる有様である。そしてその出来上がった日本人を見ると、既に日本人ではなくなっているという現実に行き当たるのである。

 まさに日本で行われた戦後民主主義教育は、大学入試だけが人生の最大の目的であるかのように錯覚させ、条件反射に反応する犬に、特定の音と餌とを反復して与えるパヴロフの条件反射を彷佛とさせる「犬人間」が製造されいるのである。
 かつての某新興宗教が、これを「自動販売機」と表現したが、まさに言い当てた言葉ではないか。


●民族精神を蔑ろにした日本の教育制度
 日本の教育とその制度に見られる大きな特徴は、「民族精神」を蔑ろにしているという点である。
 日本人が日本人であると言う事を自覚できない、同一性意識(identity/人格が自己として一貫すること)が欠如している事である。
 戦前教育の特徴は、天孫降臨(てんけいこうりん)をテーマにした神話が、公然と日本史の中で語られていた。

 国史教育において、記紀(日本書紀神代紀一書による) の神話で、瓊瓊杵尊が高皇産霊尊と天照大神の命を受けて、高天原(天つ神がいたという天上の国)から日向国の高千穂に天降ったこと教育方針に据えていたのである。
 しかし当時としても、科学的歴史観を標榜(ひょうぼう)する歴史家からは反撥の声が上がり始めていた。近代ヨーロッパの科学的歴史学が既に輸入されていたので、こうした反撥の声はしごく当然であり、尤もと思うが、しかし「歴史教育」と「歴史研究」はその性質上、大きく掛け離れているのである。

 民族精神を高揚させる為には、当然歴史教育が必要となり、その教育としての方法論は、歴史研究と全く違うものなのである。
 そして歴史教育における教育の原点にあるものは、喩えそれが、科学的根拠を否定する「神話的」な荒唐無稽なものでも差し支えないのである。

 国民の教育における最大課題は、「民族性を確立する」ことこそが、近代に起こった民族国家の統一性の原理であり、この原理なくして、民族国家はあり得ず、また民主主義の根本精神すら満たす事ができないものになってしまうのである。


●人間の創造において平等はあり得ない
 人間は生まれながらにして平等なのであろうか。総ての人間は、神によって平等に創造されたのだろうか。
 人間は平等であって欲しいと言う願望があるが、しかし人間の環境を見回していても、「平等」と思える箇所は、何処にも見当たらない。

 キリスト教的世界観の中には『予定説』なるものがある。
 この『予定説』によれば、かつての日本キリスト者の総帥と称された内村鑑三(教会的キリスト教に対して無教会主義を唱えた)でさえも解答に窮した、「救われる者」と「救われない者」の不平等が、この中に説かれている。

 これによると、不平等と差別は、天地創造以前に為されたとある。この不平等と差別は、如何なる力を以てしても解消されないのである。『予定説』からすれば明白な事実であり、神(創造主)の自由な意志によって「決定」されたとある。
 人間は生まれながらにして平等ではない。実に不平等きわまりなく、差別の中に生まれ落ちる。

 ところがアメリカの独立に際し、アメリカ合衆国第三代大統領ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言に、端的に顕わされているアメリカ・デモクラシーは、ジョン・ロックの自然法思想に立脚して、「自由」「平等」「幸福」の追求を天賦の人権として主張したが、現実社会には不平等と差別は内包する根本的な矛盾として、歴然と存在する。

 一方に平等を掲げ、また一方には不平等があり差別がある。この二分法的差別は、尖鋭な矛盾としてデモクラシー標榜下に発見する事が出来る。
 この先鋭な矛盾は、アメリカ・デモクラシーの対立物であるマルキシズムの中にも見い出す事が出来る。

 マルクス理論の中に掲げられている平等理論は、還元すれば非差別であり、一種の差別を顕わす概念において、二分法的差別が用いられ、この差別の最たるものが支配階級と被支配階級の存在であり、資本家対労働者の関係式を齎(もたら)している。この二分法的差別は前者が搾取する方と定義され、後者が搾取される方と定義されている。これがそもそもの闘争原理を生み出し、要するに『予定説』で言い述べれば、前者が「救われた者」であり、後者が「救われない者」となる。

 マルクスは、世界史を振り返って、それは階級闘争の歴史であると言う。階級層層は、つまり『予定説』であるからだ。
 物質的恩恵が与えられる者と、そうでないものは階級的構造をもって、必然的な掟の上に対立しなければならないのである。
 つまり資本主義社会における階級闘争は、支配階級である資本家と、被支配階級である労働者が「闘争」と言う形を用いて双方が敵対するのである。

 これこそ、人間が生まれながらしにして平等ではない証拠ではないか。


●民主主義は完成された社会システムではない
 多くの日本人は民主主義を完成されたシステム、人類が考えた世界最良の政治システムと誤解している節が非常に強い。
 だが、この政治システムは、また完成してもいないし、暗中模索を繰り返しながら進化の過程にあると言っても過言でない。

 民主主義は、近世に至って市民革命を起した欧米諸国に勃興し、アメリカに渡って、アメリカ人の確固たる信念の元、資本主義とデモクラシーと近代法が三位一体となって開花したシステムである。しかしこれは、今日に至っても、まだ完成を見ていないのである。これはアメリカ史を見れば明白なことであり、発展段階であることは疑う余地がない。

 そしてデモクラシーばかりでなく、資本主義も、近代法もそれぞれが完成された状態ではない。これをよく理解することが、資本主義を理解する上で大切なキーワードとなる。
 日本人は周知のように、島国育ちであり、ユーラシア大陸やヨーロッパ大陸の民族と違って、自分達の生活の実践の中で、日本民族自らがこうした経験を通じて「制度」を作り出すと言う経験に非常に乏しい。

(編集者/独眼竜)  




『大東新報』平成17年4月15日号



●中国の国家戦略
 中国の国家戦略を展開する上で、先立つものは「マネー」である。
 中国政府は政府の開発援助資金として、日本から多額なマネーを引き出すと同時に、それを達成するために幾つかの成功例として、中国での外資企業をでっち上げ、日本に投資させることを政治的任務としている。

 こうした任意的に成功したように見せかけるモデルケースの外国企業は、最初から実体がなく、「張子の虎」同然であり、それを餌にして巧妙に資金を引き出す仕掛けを幾つも作っている。
 今、中国は外国に資金と技術の導入を熱烈に歓迎し、「国際間での共存共栄」を売り言葉にしてマネー引き出しに躍起になっている。しかし実際のところ、中国共産党は外資との共存共栄は全く考えていない。

 中国側から外資として狙われているのは、特殊法人や一部上場商社の所有する「巨額な日本マネー」であり、中国共産党は日本からどれだけ多くの金を引っ張り出せるか、その限界点を探っている。アメリカが沖縄の米軍基地に対し、「思いやり予算」を何処まで実行できるかについて、ペンタゴンは、日本の研究では日本人以上に詳しい日本通のエコノミスト、デビット・アッシャーを送り込んで来て政府の財政状態を探った。

 アメリカ国防総省において、日本の「思いやり予算」は米軍の生命線である。その断ち切られる時期が、いつか、アメリカは日本の財政状態を探ったのである。そして2003年頃には、財政投融資制度によって日本国家が破綻状態になることを推算したのである。そして現在、この現実は実在のものになっている。
 中国はこれとは別に、更にその破綻が早い時期に来るように、日本マネーにハイパー・インフレーションの軋轢(あつれき)を掛けようとしている。


●資本家が作ったロープで資本家を吊るせ
 中国共産党はレーニンの諺(ことわざ)に従って、「資本家が作ったロープで、資本家を吊せ」という教えを地で行って共産党独裁を実行した。
 毛沢東は唯物論を徹底的に研究し、その他『兵書』や『孫子』を研究した軍事戦略家でもあった。これらの戦略書物に従えば、「武器がなければ敵の武器を借りよ。財がなければ敵の財を借りよ」と教え、更にこれらは「元手いらず」と称し、全て敵から奪う事を奨励した。中国の共産主義革命はこうした「敵から奪う」と言う事を実践する事が、中国共産党の政治理念であった。今日でもその延長上にある。

 自国に技術力がなければ、敵の技術力を、友好国のように振る舞って借り、その武器や、マネーや技術力を手に入れた然る後に、人民武装集団を使って資本家の頸に資本家が作ったロープを巻き付け、吊れば総て解決するとしたのである。

 毛沢東の有名な言葉、「一を以て十にあたり、十を以て一にあたる」という軍事的戦略法は、「孫子の兵法論」から学んだものであった。敵が弱ければ多数で袋叩きにし、強ければ戦わず、迂回してこれを回避するか、遠巻きにするのである。

 今、中国は日本の政治家を総じてこう表現している。「強者(アメリカ)に媚びを売り、弱者(東南アジア諸国の発展途上国)を見くびり、北京政府の独裁者に金を貢ぐだけの三流政治家しか選ぶことの出来ない日本人は、まさに経済動物(金銭至上主義者)以外の何ものでもない」と。

 そして最後にこう付け加える。
 「多くの日本人は、自分達のことで頭が一杯である。家庭は核家族化し、親への孝を忘れ、真剣に自国の政治的ビジョンを考えたり、国家の方針を自分の目で確かめようとはしない。兎小屋のようなマイホームに細やかな倖を求め、その小さな集団以外に目を向けようとしない。毎日満員電車に揺られ、それに不満も漏らさず、ひたすら忍従し、何事にも沈黙を保つことを由としている。

 彼等の話題は、野球はどのチームが勝ったか、サッカーはどのチームが勝ったか、あるいはゴルフや、大ローンで買う車の話ばかりである。国家が破綻寸前であるにもかかわらず、会社のために働いて資本家に搾取され、50%近い重税によって政府から搾取され、それでも反抗の牙を剥かず、自分達だけの小さな倖に執着し、金の奴隷に成り下がっている。
 これこそ我が共産党が待望した、日本崩壊のシナリオである」と。
 おおよそこんな感想を持ちながら、日本人気質を侮蔑して行くことであろう。


●北京以外の地方の治安状態
 中国は「文化大改革」によって、人民の生活難は益々大きくなっていった。
 文化大改革は、毛沢東の権力闘争のうちで大きな頂点を来たし、その破壊の嵐は中国全土に波及した。特に、鉱山などがある山東省は困窮者が多く、一部の管制分子(恐喝、窃盗、強姦、暴行の、直接政治犯とは関わりがない無法者ら)は盗賊化した。
 この盗賊集団は金品や衣服を奪うだけでなく、婦女子には強姦し、最後は顔を見られたという理由で、十中八九殺すのが常だった。

 奪い、犯し、そして殺して自殺に見せかける。死体は間違いなく頸に縄が捲かれ、樹木にぶら下げられるという殺害法であった。
 そして公安当局はこうした殺人事件が発生しても、科学捜査が幼稚なためにこれを徹底的に捜査せず、更には公安員自身が自分達の仕事の面倒を省くために、捜査を有耶無耶にするというのが常だった。

 これは政治犯や反革命分子によって、国家を脅かす程度のものでないからだ。こうした民間で起こる窃盗や麻薬常用や強姦事件などは、現体制側に何の関係もなく、また政権にも異常をきたさないため有耶無耶にするというのが公安当局の方針である。
 しかしこうした肉親を殺された者達は直接北京に出向き、直訴するという者が殖え始めた。

 そこで公安当局は、こうした地方からの直訴や陳情を苦々しく思い、これに規制を加え、国内事情を知り過ぎた者を「強制収容所」に送り込むという作戦を展開した。共産党政府から見て、北京は中国の顔であり、北京市は他の地方都市や農村と異なり、生活水準が高く、中国の発展を欧米外国人に見せつける役割を、街全体が持っている。その為に、北京行きの列車には、常に官憲の監視の目が至る所で光っていた。

 こうした中で、文化大改革当時の迫害や殺人を訴える者が後を絶たず、省幹部に告発するという者が現われた。あるいは地方の責任者に対する陳情や請願であり、外国大使館のある北京でデモなどを通じて、直面の問題を解決しようとする者まで現われたのである。
 北京公安当局は、こうした者を収容所に送還するために周囲に網を張り、「体制側に不適当な人間」の烙印を押し陳情者や請願者を「反革命分子」として拘束・柔躙を始めたのである。

 そして地方の治安や秩序は、北京ほど良くなく、依然として不安定な治安状態になっていた。
 今でも管理体制の厳しい北京は、自国民を寄せ付けない警戒体制の中で、地方との生活格差は益々広がりつつある。

(編集者/独眼竜)  




『大東新報』平成17年4月15日号

●砂上の楼閣を築く日本人
 日本の政治家と中国人女性通訳のスキャンダルがよく話題になる。日本の政治家の多くは、こうした美人中国人通訳にまんまと手玉に取られる。こうした中国人女性は公安当局の回し者であり、謀略や工作を主な任務としている。そのターゲットは日本の政治家であり、次に財界人や学識経験者となっている。そしてこうした謀略と工作の裏には北京政府の意向が大きく働いている。

 この北京政府に莫大な金を貢ぎ、集られているのは、日本を筆頭に、台湾や香港であり、彼等もまた、日本人同様に、大陸に砂上の楼閣を築く国民である。
 では、砂上の楼閣を築いた後はどうなるのか。
 総べて北京政府のものであり、うまい事を行って工場や学術施設を作らせ、それをタダでせしめるのである。これをかつて毛沢東は「元手いらず」と云った。

 ある華僑雑誌では、次のように挙げられている。
 「日本人は強者に媚びを売り、東南アジアや弱者を見くびり、北京の独裁者達に金を貢ぐだけの三流政治家しか選ぶ能がないエコノミック・アニマル」
 この評に対し、これを否定できるだけの日本人は、そんなに居ない筈である。そして中国っ大陸には、日本企業が競って砂上の楼閣を、取り上げられることも知らないで、せっせと築いている。

 世界は連動して動いている。日本だけが固有の動きをしているのではない。事を成就させるには、各国の風土と風習を知り、各国の矛盾を利用しなければならないのである。しかし日本は、逆に逆手を取られ、日本の矛盾を巧みに利用され、その露払いが、中国大陸への企業誘致である。
 そして中国には、『紀念館工程』なるものがあり、ミサイルを飛ばすより勝ると言う政策がある。それは民族の精神教育の一環として、自国が経験した歴史に関する資料を蒐集し、これを展示し、公開すると言う国家事業である。

 中国にある様々な紀念館は、日中戦争当時の戦争紀念館であり、これを展示し、人民に広く公開している。これは「心理戦」の駒であり、日本を誹謗すると同時に、中国人民に対しては虐待や惨殺を受けた事を自国の歴史書の中に記載し、人民教育として教え、人民の闘志を振るい立たせ、世論操作するという、功名は方法を用いる。そして、最後には敵である日本人を跪(ひざまず)かせ、多額の金を貢がせ、万一敵対する場合には、全国人民を総動員させる瞬発力になるからである。
 もし、こうした事態が起こった場合、多国籍企業として日本に築き上げた工場や設備は、一体どのように処理されてしまうか、想像に難しくない。


●近代戦と犯罪組織の合従
 古代の戦争と近代戦の大きな違いは、近代戦に於ては、資本主義の原理が戦争にも働いているという事である。特に近代戦に至っては、麻薬絡み、あるいは麻薬売買によって得た利益が、軍資金調達の主力を担っているという事である。麻薬によって得た金で高性能な武器を調達し、また麻薬によって敵兵を麻薬漬けにして撹乱し、あるいは軍機を低下させて将兵の士気を弱め、前線の戦闘部隊を腑抜けにさせると言う手が遣われる。

 これに伴って戦略的には、犯罪組織と戦争技術者の戦術側が合従し、連携し、それを企てる側と、それを阻止する側で激しい攻防戦が繰り返される。戦争を正攻法で戦った時代は、遠い昔の事である。
 したがって戦争を理解するには、戦術や戦略のみならず、むしろ戦争の中に「戦略」と言う次元の中で、近代戦の、こうした犯罪絡みの策略が既に組み込まれているという事である。

 おおよそ戦いと言うものは、戦術のみを以て四つに組合う時代は終わっている。正攻法ではどうにもし難い事がある。
 また前近代的な奇手をもって、奇襲や奇略を用いると言う手法はあまり見られなくなってきた。こうした戦法が廃れ、近代戦にとって変わった時期がいつの頃かと察すれば、それは太平洋戦争の頃に表面化していると言える。この頃から、情報戦は管理・分析の手法が表面化し、既に今日で言う情報管理の必要性が浮き彫りになっている。しかしこの時代、日本はこうした現実の移り変わりの気付く時間が遅く、大戦末期の最後の最後まで、情報を管理しそれを分析すると言う観察の眼を開く事が出来なかった。

 敗戦以降も、「何故日本が戦争に負けたか」と言う根本原因すら突き止める事が出来なかった。これに漸く気付いたのは、つい最近の事である。
 世界の民族から言って、日本民族と言うのは、元々戦争の特異な民族ではない。戦いと言えば、正攻法をもって、正々堂々と正面から四つに組合う戦法を最も好む民族である。裏の裏をかき、背後に廻り込んで、策を用いたり、敵を薬漬けにし、これによって戦闘組織を崩壊させるような「汚い手」を遣う事を、あまり得意としない。
 バカの一つ覚えで、スポーツのようなルールに素直に従い、それを厳守する規則優先の人種である。この事は、元々日本人が戦いを得意とする民族でない事を顕わしている。その最たる証拠が、専守防衛と言うシビリアン・コントロール(civilian control)に貫かれた文民によって統制される管理・制御法である。

 専守防衛とは、他を攻撃する事なく、もっぱら「守り」(但し現代の自衛隊法では「守死」は含まれない。命の危険を感じた場合、逃げても敵前逃亡とはならない。この点は旧陸海軍の軍規とは大きく異なる)によって自国を防衛する事を手段に用いるのであるが、その背後には先の大戦の軍部独走の反省から、軍隊の指揮権が文民によって統制される事を厳守し、武力行使を禁じた日本国憲法下における自衛隊のあり方を、このように定義する。しかしその背後には、政治の軍事に対する優位を定めた制度が歴然と顔を顕わし、軍部の政治への介入や独走を抑止するためのものであると定義されている。

 一口に文民統制と言えば聞こえがいいが、果たして過酷な戦争に於いて、婦女子や戦争を好まない平和主義者に独占された文民統制理論で、犯罪組織と表裏一体となって展開される近代戦を、こうした連中が中心となって最後まで戦い抜く事が出来るであろうか。

 根本問題は実に此処にある。むしろ最後まで戦い抜かれては困る反体制勢力の意図があり、激戦直前に万歳をする、見えざる者の手が隠されている事を、私たちは洞察しなければならないのである。この図式を突き詰めれば、背後に流れる意図的な作為からは「亡国」という現実が、末尾に控えていると言う事になる。すなわち、戦争の定義を、敵から攻め込まれて「負けない事」ではなく、敵の侵入を良くして、最初から「負ける事」と意識していると言う理論であると言う事が分かる。

 つまり専守防衛ならびに文民統制とは、民族の負けない境地を説くものではなく、敵を、我が陣中に招き入れて、侵蝕を良くし、思想的精神的に混血を作ると言う意図が隠れている事も、また事実である。したがってこうした思想的精神的侵蝕に侵された場合、日本人の思考は、これまでの連綿として貫かれた日本的分野の精神的支柱が崩壊し、欧米に馴染み、横文字文化に侵蝕され、この混血流入によって、益々畸形化される危惧があるのである。

 資本主義と言う欧米産物の政治システムは、今後も益々猛威を振るうであろう。しかしこの産物の中には同時に犯罪組織も同居し、我々の社会に隣接して、次なる近代戦の虎視眈々とした抉れ多部分を狙い撃ちする策動が隠されていると言う事を忘れてはならない。


●中国に対する認識の欠如
 日本人の中国に対する認識の欠如は甚だしいものがある。そしてその要因を作ったのは、日本人が終戦直後の飢えと、生活苦に苦しんで居た時の、中国での大変動とその時期が同じくする事に重なっているようだ。この為、日本人は中国を正しく認識する目を失ってしまった。
 1945年8月15日から1949年にかけて日本は飢えと生活苦に喘いでいた。敗戦の痛手から立ち直れず、誰もが貧困に苦しんでいたのである。

(編集者/独眼竜)  




『大東新報』平成17年9月15日号



●中華人民共和国の現代史
 日本が終戦直後の食糧難に苦しんでいる頃、この期間、中国の出来事としては、中国大陸では内戦が始まり、やがて国民政府軍は台湾に逃げる事態が起こった。蒋介石の戦争指導の誤りであり、これが中国共産党に中華人民共和国を建国する口実を与えた。

 共産党革命によって中国人は血で血を洗う暴挙展開し、革命によって三千万人もの中国人民の命が失われた事を多くの日本人は知らない。こうした歴史的事実より、日本では『リンゴの歌』や『港の見える丘』の歌謡曲の方が、日本人の心を曳き、日本人の多くは今日一日どうやって喰って行くか、そのことだけが関心の的であった。隣国近くの中国で起っている事より、自分の事で精一杯であったのである。

 東京はアメリカ軍機の百回を越す空襲を受け、十万人以上の死者と百万人以上の罹災者を出し、大方の日本列島は焦土と化していた。街は不景気の真っ只中にあり、家族と生き別れた子供達や、職を失った浮浪者で溢れかえっていた。

 これまで都会に棲んでいた人の多くは、焼け残った僅かな衣類を田舎に持って行き、農民に芋と交換する人々の列が続いていた。誰もが、空きっ腹を抱え、空腹に耐えていたのである。
 米を買い漁る闇屋も、札束を鞄に詰めてトラックで水面下の活動を展開していた。

 一方、人情味のある農民も居たが、農民の多くは残忍で狡猾な者が多かった。都会から長時間かけて、僅かな米や芋を買い需めに来た若い女性や新妻達は、農作物と交換する着物や衣類だけでなく、いま自分が履いているもんぺまで脱がされた。

 強欲で、狡猾な農民の多くは、こうして若い女性や新妻達を犯し、弱肉強食の地獄絵を、秩序の無い世界で再現して居た。敗戦の痛手は多くの爪痕を残し、それを引き摺り、人々の正常な心までを麻痺させて居た。そして秩序を失った世の中は敗戦後十年間はこれから立ち直る事が出来なかった。また、こうした事が中国に対して認識をする機会を失わせて居た。


●中国人民の偽らざる姿
 1980年代、日本には「国際化旋風」の波が押し寄せた。それに応呼するかのように、中国では共産党政府が中心になって対外労務合作公司や国際経済技術合作公司は、地方公安局に具体的な日本向けのお膳立を命じた。このお膳立とは、海南島と広東の国営農場に集めて居た中越戦争の時に本国に帰還した華僑を、対日国家戦略の一環としてボートピープルに偽装させて日本へ送り込む事だった。

 1989年には約三年五百人の難民が日本に渡って来た。しかしその多くは中国からの「偽装難民」といわれた人達であった。
 偽装難民が日本国内で社会問題化すると、中国共産党政府はこれを受けて、「難民報道は大袈裟な日本の騒ぎ過ぎ」と強い不満を洩らすともに、上海では公安当局は青年達を焚き付け、「ビザよこせ」のデモ騒動を企て、日本大使館を包囲したのは周知の通りである。そして中国の対日国家戦略が始まった。

 この主旨は、旧ソ連製の武器を日本に垂れ流す事であり、中国から日本、日本から台湾という流れが出来上がり、今日では小学生でも知っている旧ソ連製の将校用拳銃であったトカレフが街に出回っている。

 現在では、ビジネスや技術研修、留学や観光、興行や国際結婚と言った目的で様々な中国人が日本に入り込んで来ている。また、様々に偽装して、就業目的で不法入国する中国人も少なくない。在留期間を過ぎた後でも日本に居残る不法残留者が跡を絶たないのである。

 一方、「蛇頭」(ジャトウ)と言う密航者の手引きをするチャイニーズ・マフィアはよく知られているが、集団密航で日本の警察と海上保安庁に検挙された外国人千二十三人のうち、約八割の八百二十四人が中国からの密航者であった。

 またチャイニーズ・マフィアのビジネスは密航者を日本に送り込む事だけではない。様々なルートを遣って、日本に密輸も企てている。日本へ密輸入される麻薬や覚醒剤の八割は、雲南省などで作られた中国製の薬物である。

 中国のこうした側面は欧米の圧力によって指弾されるが、中国共産党政府と公安当局は、国内では取締の強化をするポーズと取りながら、麻薬犯罪者の大量処刑を演じながら、その一方で、「既定方針」(ジェイデンファアンジエン)と称して、半ば公然と麻薬を大量に国外へ流出させるビジネスを中国国内に所在するシンジケートに任せている。中国共産党政府下では「愛国無罪」と言う思想があり、愛国の二文字にかけて、それが愛国精神から派生するものであれば、何を行っても無罪であると言う考え方が中国人に根付いている。

 事実、つい最近までは、公安部執務室などには「わが党は資本主義世界に対し、アヘンをもって鴉片(アヘン/ケシの未熟な果殻に傷をつけた時に分泌する乳状液を乾燥して得たゴム様物質。モルヒネ・コデイン・パパベリン・ノスカピンなど種々のアルカロイドを含み、鎮痛・催眠作用を呈する)戦争の仇を討たなければならない」という毛沢東の「最高指示」の額が掛けられて居た。
 中国大陸に棲む中国人の実体は、アメリカと同じように多民族国家である。

 中国人の中には、自分は中華人民共和国の公民であると言う人もいれば、自分は総称して中国人だと言う人もいる。あるいは蒙古人だ、朝鮮人だ、チベット人だ、台湾人だと言う人もいる。更には中国共産党の本部を構える北京政府に対し、自分達のアイデンティティや民族の誇りを武力で制圧し、自由を奪った征服者だと言う見る向きもある。中国は漢民族が九割を占める国家であるが、中国大陸と言う広大な土地には、歴史と風俗習慣を異にする、蒙古、ウイグル、チベット、壮、回、カザフ、苗、満、朝鮮などの五十以上の民族と、三十以上の言語が存在しているのである。

 そして同じ中国語でも、大陸では左から右に書き、台湾では右から左に文字を書くのである。異文化が渦巻く中国大陸とその周辺の台湾や香港では、中国の国家的戦略の中で様々な民族が共産党政府の盤上のコマとして使われている。様々な思惑があり、その征服者の思惑によって、まるで捨て駒のように使われ、消費されていると言うのが、中国人民の偽らざる姿である。

(編集者/独眼竜)  




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