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槍術を含み独特の体捌きを錬成する

丸窓は「円相」を顕す。円の中には、宇宙のあらゆるものが包含されれ居る。人もまた、その中で生かされているのである。そして、この空間の中で、日常と非日常を営むのである。

 静けさは動中の中の「静」であり、烈(はげ)しさは静中の「動」である。人の営みは、この「動中の静」と「静中の動」の繰り返しである。人が、この二つの理(ことわり)を理解するとき、そこには実の「空」をも識(し)るのである。

 

「枕をおさえる」叩き落しの詰め、その一。

「枕をおさえる」叩き落しの詰め、その二。

合気槍術
(あいきそうじゅつ)

●円相とは

 円の中には、必ず「中心」がある。また円は、「無」「空」の悟りを顕(あらわ)すものである。人の営みも、またこの裡側(うちがわ)にある。しかし、この事は以外に見逃され易い。

 この世とは、臨機応変に対応できてこそ、「当意即妙(とうい‐そくみょう)の境涯があり、これを反射的に行うのが武術である。

 普段、人間は日常生活の中で、反射的に、何事かが起こった場合、その意味を捉(とら)えようとする性癖(せいへき)があるくせに、この、何事も捉えて、一喜一憂する悲喜劇に振り回されている。
 振り回される多くの事柄は、詮索(せんさく)する、人を疑う、人の出方を窺(うかが)う、巧みに非を衝(つ)いて揚げ足を取ろうとする、不意打ちをするなどの、さもしい根性があるくせに、物事のありのままの姿を見逃してしまう愚かさがある。

 例えば、円を見て、その円相に何があるが、この意味を反射的の掴まなければならない。円を見て、「何だ、ただの丸じゃないか」程度の感想しか抱くことが出来ないのなら、その人は、それ止まりの人である。頭の程度も、それと知れよう。

 円には無限の働きがある。しかし、その無限は、音もなく、姿もないので、肉の眼には確認することが出来ない。
 しかし一方、形あるものは姿を顕す。姿があるから、肉の眼で確認できる。しかし、それは作為から起った姿である。したがって、作為(さくい)は、肉の眼を刺激しても、決して心には反響してこないものである。現世の物は、実は形があって形がないようなものである。形があるように映し出しているのは、肉の眼が関与しているからだ。眼が関与して、その像を脳に伝達し、映し出すだけである。

 総ては、無に帰し、空に帰する。その象徴が円であり、そこには「円相」がある。
 人間は何か一つのことを掴む為に、生まれてきた。己のうちに真理を見出すのが、求道者(ぐどう‐しゃ)の目的である。
 したがって、過酷な稽古をして肉体を痛めつけたり、これに我慢して、強くなれるというものでもないし、また強弱論や優越論を唱え、好戦的に振舞って、理屈だけで目的が達せられるというものでもない。
 本来は、円相の中に存在する眼に見えないものを見つけ出して、真理を掴む為に、正念工夫(しょうねん‐くふう)をすることが大事なのである。人生とは、そういうものである。

 円相にある、中心が見抜けないようでは、槍術を稽古しても、貫通できない無駄槍となってしまう。貫通できない槍は、「死槍(しに‐やり)」となってしまうのである。

 勝負の世界で、勝とうと一途に思うのは、心の病(やまい)である。昨今は心の病に罹(かか)ったスポーツ人、格闘技人が多い。闘技の技を使おうとして、ひたすらこれに打ち込んだり、心配りをするのも病であるし、日頃の成果を試合に反映させようと思うのも、また病である。

 更には、勝負において、相手に対して積極的に仕掛けていくのも病だし、待ち構えていて、これに反撃をしようと思うのも病である。そして最後は、詰まりに詰まって、このような心を無くそうとして、一心に無心を唱えるのも病である。

 何(いず)れにしろ、心が一つのことに執着して、こだわりを持ち、動きの取れない状態になってしまったことが、そもそもの心の病の始まりである。
 しかし、このような心の病は、その心の裡(うち)に、驕(おご)る気持ちがあり、これが病を招くのであるから、これらの病気を治すには、心気を整えて、円相の中心を見詰め直し、心に自由闊達(かったつ)な躍動を与えることである。つまり、「何々しよう」という欲望を捨て去ることである。
 欲望を捨てるには、まるい円の中に、その「相」を見つけ出すことだ。つまり、執着心を捨て去るということである。

 円相は、武術や武芸だけに限らず、様々な世界のものを見せてくれる。円を見れば心が和むのは、円の中に「中心」があり、それが上下左右斜めの放射となって発光し、心を和ませるからだ。
 一方、何事かに囚(とら)われたり、こだわったりすると、それが他方に働きかけて、本来のものが等閑(なおざり)にされるのである。邪念に、「外邪」が取り憑(つ)くとは、この事である。

 

●槍襖の殺気

 武芸や武術というものは、「眼に見えない処」の存在を悟る能力が必要とされる。
 勝つか負けるかは「時機の運」と言うけれども、時機の運は前兆を見たり、その瞬間を見れるというものではない。こうしたものは、眼に見えない処に存在している。

 さて、勝負において、敵が前方に見える場合は問題はない。ところが、視界に入らない肉の眼には見えないところの敵は、それが見えないだけに、実体は恐ろしいものがある。

 闇(やみ)の中から斬りつけてくる。夜陰に乗じて忍び寄ってくる。事を起そうと、山の向こうで蜂起の準備を始めている。こうした眼に見えぬ総ての敵は、奇襲に長(た)けた敵と見るべきであろう。
 ところが現代では、こうした奇襲に長けた敵を見落とす傾向にある。現代人は不意打ちに弱くなったのは、眼に見えるものだけを相手にし、眼に見えないものを無視するという、三次元の肉の眼にこだわった為だ。

 現代という世の中は、「科学万能主義」である。眼に見えるものだけを相手にする。眼に見えないものは、最初から非科学的と決め付ける。ここに現代の愚かさがある。

 物体には総て、「波動」というものがある。波動などという言葉を用いると、オカルト主義などと決め付けられるが、波動は万物に生ずるものである。つまり、眼に見えないが、実体は確かに存在するのである。

 肉の眼には、夜陰に乗じた敵は確認することが出来ない。しかし、三次元の肉の眼に見えないからといって、敵が存在しないということではない。敵は確かに存在する。ただ夜陰に乗じている為に、肉の眼では確認できないだけである。
 ところが、こうした敵も、狙撃兵の持つような赤外線スコープでは確かに確認できるのである。したがって、肉の眼には見えないからといって、敵が居ないということではない。

 肉の眼ですら、こうした敵は確認できないのである。もっと確認できないのは、敵の考えている心の裡(うち)であろう。心の裡は中々見抜くことが出来ない。心は形を持たす、無形であるからだ。この無形のものが様々に変化するのである。これは眼に見えぬ心が為(な)せる業(わざ)である。

 また、人の心の動向は肉の眼には確認できないので、未然に悟り、それが攻撃の意図がある場合、これに直ちに対処せねばならないのである。
 これは一分の兵法において当然のことであろう。眼に見えぬ敵を、肉の眼に確認できないからといって、敵の奇襲に気付かないようでは、上手といえない。

 敵の闇討ちには充分に、眼に見えない感覚で「殺気」を感じるものである。殺気を感じないようでは、兵法者といえまい。

 殺気を感じさせる奇襲攻撃に「槍襖(やり‐ぶすま)」という攻撃法がある。槍襖は、狙いを付けた者を、襖ごと刺し殺す奇襲戦法である。襖の反対側に槍を持った手練(てだれ)が隠れていて、狙いを付けた者を、一突きで刺し殺す戦法であり、こうした殺気を未然に察知する為には、やはり槍術の稽古が必要となるのである。

 殺気を感じ、刺されることを承知しいて、然(しか)も何気なく身構えているところに、いきなりの攻撃をかけられ、それを自然な起居(たちい)振る舞いとして躱(か)わすところに、実は槍術を稽古した者の奥儀があるのである。
 槍を躱わすには、槍を稽古しなければ、槍は躱すことが出来ないのである。

 昨今の試合形式をとる競技武道は、ルールによって運営されている為、観客が卑怯だと考えることは殆どやらなくなった。例えば、竹刀競技の近代剣道の試合において、後ろから攻撃するとか、物を投げつけるなどを振る舞いは、ルール上ありえないし、許されない。常に安全圏の中に居て、試合観戦者の眼に守られて試合が進行される。

 しかし現実には、不慮の事故は頻繁(ひんぱん)に起っている。道を歩いているとき、人ごみの中に居るとき、駅のホームに立っているとき、あるいは電車の中で、日常茶飯事のように、不慮の不幸現象が起っている。こうした場合に、殺気を感じる稽古を積んでおくと、死なずに済む。

 

●円の中心を貫く

 槍術の恐るべきところは、決して心臓を一突きにすることではない。敵の眼を突く、凄まじさが、実は一番恐ろしいのである。肉の眼は心の裡側(うちがわ)を映し出さない為に、様々な疑心暗鬼を肉の眼に映す。その映った「懼(おそれ)れ」が、管から繰り出されてくる、槍の突きである。

 眼は、人間に限らず、あらゆる動物の急所である。これを狙うのが防禦(ぼうぎょ)の秘訣なのである。
 では、眼を突くにはどうしたらよいか。

 世間一般の人は、眼を突くなどというと、それは小手先の技術だと解したり、ある人は指策の動き、あるいは手頸(てくび)三寸か五寸の働きと解するだろう。
 また、ある人は手足の動かし方が巧みで、敵の動きに対して、幾らか早いことがこれをやってのけるのではないかと思っている。しかし、これは功を焦る考え方である。また短見的であろう。

 急所とは、弱点のことである。弱点は、小さな子供が指を押し込んだだけでも痛いところである。また、弱点は計略を企むところに派生する。それは、まさに眼である。眼には動きがあり、心の働きが顕れるところである。それを封じるには、眼を狙うことが肝心である。

 しかし、「眼を狙う」といっても、物理的に眼を狙っても、眼を貫くことは出来ない。問題は、円の中心を貫くことが大事である。この境地に至れば、何も、敵の眼を実際に貫かなくても、敵の動きを封じることが出来る。
 また、普段の稽古を地道に行う理由は、まず、稽古を積むことにより、相手の計略を見抜くことである。日々の鍛錬は、一人稽古においても、敵を想定して行うので、この想定の中に敵の動きや強弱があり、それを見極めることは、兵法の理に遵(したが)って、あらゆる敵にも勝つところまで自己を向上させるので、鍛錬を積み儀法を磨くことである。

 槍術の場合は円相を想定し、その中心が何処に存在するか見抜く鍛錬でもあるので、中心を貫通させるという信念で稽古を貫けば、何も駆け引きや、小手先の技に頼って、みすみす負けるような状態に追い込まなくてもいいのである。ただ、ひたすらに円の中心を狙って、「突き」と「退き」を繰り返し、貫通する非常な力量を蓄えることなのである。

 

●槍術は「場の徳」を活用すべし

 わが流は「場」の徳を充分に活用して、勝ちを得る儀法を学ぶ。武に通ずる者は、また自分の周囲の環境を観察し、充分な観察眼を養っておかなければならない。
 例えば、太陽は右脇に配することも工夫しなければならない。一般に、太陽は自分の背にすることが最もよいと思われているが、背ではなく、「右脇」である。

 また、自分の後方がつかえぬように位置することが大事である。後方が「背水の陣」であるならば、死ぬ気になって戦えようが、行き詰った先では、背水の陣も、何もない。ただの行き詰まりとなる。

 武器は槍に限らず、太刀の場合も同じであるが、左側を広く取り、右脇を詰めて、身構えるのがよい。これは左前半身の場合も同じであり、右詰めで左を広くする。

 夜間でも、夜陰に乗じた形となり、敵が見えない状態であるならば、灯火を後ろに背負うとよい。あるいは明かりを右脇に置くとよい。
 高低においては、敵の全体像を洞察する為に、少しでも高いところに身構えるのがよい。平坦な座敷ないにあっては、上座を高いところと考え、上座に位置する心構えを持つ。この事から考えて、上士が常に上座に坐るというのは、周囲の者の全体像が見渡せるからである。
 こうして「場の徳」を知り、活用するのである。

槍と剣の相抜け。対剣術においては、左前半身より、剣術と同じ、右前半身の方が、敵の懐(ふところ)に深く入り易い。

 さて、実戦となって、敵を追い回すとき、まず自分の左側に追い回す気持ちで「場の徳」を活用するのである。更には、難所が敵の後ろに来るように追い廻していく。また、敵が難所にかかったときは、その「場の難」を見せてはならない。
 つまり、敵はあたり一面を観察できないほど、疲れさせ、追い上げて、余裕のない状態にさせておくのである。

 槍術の追い廻しは、決して余裕を与えるものではなく、「烈しく追い詰める」というのが極意である。
 また、屋敷内においても、敵を敷居(しきい)、鴨居(かもい)、襖(ふすま)、障子戸、雨戸、縁側、更には柱のある方に追い詰め、敵が周りを観察する余裕がないようにする。 

 槍を繰り出して、「三段突き」や「五段突き」を行う場合は、どんなときでも、敵を足場の悪い方に追い詰め、出来るだけ障害物などがある方向に誘導し、追い詰めていく。
 そして、「追い詰め」あるいは「追い廻し」は、自分が敵より優位な環境に立ち、一方敵は、不利なところに追い詰められるよう、普段から戦う環境と場所を想定し、稽古しておかなければならない。実戦の環境は、観客も居ず、平坦な、足場のいい場所の、試合場ではないので、この違いをよく研究し、場所の有利を工夫しておかねばならない。

 したがって、平坦な場所でないことから、わが流の「弓身之足」を駆使しながら、股割をしっかり行い、如何なる三次元的な高低があろうとも、それを「足運び」で克服する必要がある。辺鄙(へんぴ)な山道も、嶮(けわ)しい場所も、自在にこなせる、高低に左右されない足運びである。

 人間、戦う最後の場所は、平地での白兵戦ではなく、恐らく「山岳戦」であろう。山岳戦を戦い抜くことが、一方で生きることに通じるのである。平面しか知らない者は、山岳において斃(たお)れ、ここで朽ち果てることになる。
 平和とは、戦いと戦いの間に少しだけ垣間見せる、ほんのささやかな瞬間である。こうした刹那(せつな)に、人間は固執するべきでないだろう。

 つまり、私たちの「日常」は、裏を返せば、常に「非日常」に覆われているということである。この事を識(し)らなければ、生き残ることは不可能であろう。

 

●よき心根

 武芸・武術、あるいは芸術とか、学問とかは、本来は非常に贅沢(ぜいたく)なものである。こうしたものは、何も贅沢を標榜(ひょうぼう)するのではないが、結果的には贅沢なものになってしまう。

 この意味で、武芸や武術は、今日の種目別競技武道に比べて、自前主義で一切を揃えていかなければならないので贅沢となり、またそれだけに経済的かつ金銭的な負担もかかる。
 競技武道を愛好するのであれば、殆(ほとん)ど、道衣とそれに付随する防具などの武道具で済まされる。しかし、武芸や武術となると、古式のものを修得する側面があり、その修練にも、それなりの金銭を工面しなければならなくなる。

 つまり、修練する為の武具並びに馬術などの、無形的なものに多少の金銭が懸かるからである。この点が他の、道衣やトレーニング・ウェアー1つあれば事足りる競技武道とは、大いに異なるところである。

 また、単に修練場所としての稽古場は、単に平坦なところとは限らない。高低差がある三次元の陸路や水路・水中を利用する為、そこは戦場を思わせる「実戦の場」となる。こうしたところは、殆ど観戦客も居ないので、試合場や演武場とは異なるのである。ただ、黙々とした「地道」があるだけである。あるいは「静寂」があるだけである。

 また、武儀というものは、あらゆる人間に対して、総て同等に感動を及ぼすとは限らない。これらを実践する人は、数も少ない。
 もともと江戸期に士農工商の階級的ランクから言うと、武士階級が当時の全国民の僅か5〜7%に過ぎなかった。江戸期は人口が統計的に検(み)て、5000万人から多いときでも7000万人といわれたので、この時代を通じて、武士階級も350万人から400万人程度であったと思われる。これだけで、武芸を職能とした武士階級は少なかったといえる。

 更に、武士階級のうち、武士全体の約7%程度が500石以上の上級武士で、約28万人程度がこの階級に位置していた。それだけ数も少なく、また武芸を学ぶものも極めて少なかったといえる。
 その為、武芸はある人にとっては偉大な修行法であったかも知れないし、また、ある人にとっては大した物ではなかった。

 この意味で、いつの時代も、人間の多様性は存在していたといえる。
 もし、「○○でなければならない」という押し付けがましい考え方があるとするならば、それは人間の多様性の冒涜(ぼうとく)であろう。思い上がりの何ものでもない。

 しかし、今日、「○○でなければならない」とか、「これこそが総(すべ)てだ」という考え方をするものがある。これは人間の多様性の冒涜以外の何ものでもないだろう。
 また、人間の多様性は、一方で有形なものと無形なものを隔てた。つまり、物質にこだわるか、実際には眼に見えない精神的かつ無形技術というような智慧(ちえ)である。しかし、人間がどちらに傾くかは、今日でも分かるように有形で、形があり、物として存在するものに、多くは眼を奪われる。

 しかし、具体的に言うならば、「モノ」は有限であり、寿命があり、奪われ易い。一方無形なものは、火事・地震・風水害に対しても、あらためて物を運ぶように持ち出す必要は無い。当人がボケて完全に忘れてしまうか、死なない限り、奪われる心配も無い。喪失する心配の無い、財産である。

 現代という時代は、物質界の副守護神が猛威を振るう時代である。精神的な無形のものが蔑(ないがし)ろにされ、物ばかりが尊ばれ、有り難がられる。しかし物にしても、金にしても奪われ易い。あるいは金の場合、国情や政治政策が変化すれば、極端な場合、ハイパーインフレになり、たちどころに紙屑(かみくず)になる。有価証券も、持ち株会社が潰れれば、紙屑である。

 こうした「モノ」に信頼を置き、それに頼るばかりが人生ではないはずだ。無形のものに金を懸けることが、本当の投資というのは、これからも窺(うかが)えよう。
 ただし、無形のものは、膨大な量を許容しているので、誰にでも出来るとは限らないし、身に着けられるとは限らない。

 こうした求道者は、人間として「よき心根」を持っていないと、単に技術だけの集積に終わってしまい、高き精神性と連動させることが出来ない。本当の意味で、使いこなすことが難しいのである。
 また、「よき心根」に補足説明を加えるならば、それはまず利己的でないこっとだ。無私であり、他に対しては、奉仕の精神が必要であるということだ。自分の命を顧(かえり)みず、他に奉仕することこそ、「よき心根」の条件であり、他の人間に対しては自分の勘定を含まない、「無欲な愛情」というものを持ち合わせていなければならないのである。

 更に、「よき心根」を会得した人間は、こだわらないことを知っている人である。物にこだわるのは、人間の我執が誘(いざな)う「我(が)」であり、「我」が強ければ、「よき心根」など育たない。頑迷なる心、何事かに固執する心では、単に職人的な技術の部分だけを言うのであって、「我」から解放されたことにはならないのである。

 一般人は、こうしたものを後生大事にして、ますます「我」にこだわっていく。しかし、求道者はこうした「我」こそ、無用なのである。死ぬも生きるも、この死生(しじょう)にこだわらず、単にこの死生観を超越することこそ、「よき心根」といえるである。

 

●槍術に見る「よき心根」

 求道者は「こだわり」を捨てることである。こだわりは精神追求の「求道」ではなく、職人的テクニックの、それである。そうしたものは、わが流の槍術には無用である。
 自然のままに佇(たたず)み、大自然と同化することこそ、「最も自然なる境地」と教えるのである。

 しかし、「自然なる境地」を会得することは難しい。
 人生を理解するということは、恐らく人間が七十年や八十年かけても、それを為(な)しえず、人間は死んでいくのである。悟ったようであって、中々悟りには到達しない。

 そして試合に勝つ為の練習などというのは、これは悟りに接近することでもなければ、「よき心根」を育てることでもなく、況(ま)して「武の道を嗜む」ということでもない。それは恐らく、試合上手という駆け引きの上手い、試合という名の職人芸に過ぎないのである。
 また、その根底に「作為」というものが見て取れる以上、これが自然なる境地から派生したことでないことは明白であろう。

 

●ひしぐ

 戦いにおいて、正面衝突の正攻法で勝ちを得る場合は、あまり多くない。どんな大軍勢でも、弱いところと強いところが、粗密の状態になって集団を作っている。大分の兵法が、こうしたもので構築されれ居るならば、一分の兵法においても、当然粗密は存在する。

 事象には、必ず粗なる処と、密なる処が存在している。したがって、密なる処は避けて、粗なる、手薄な、一番弱い箇所に集中攻撃することである。

 槍術で謂う「ひしぐ」とは、敵を弱く看做(みな)し、こちらは強気になって、これを一気に叩き潰す呼吸を言う。一気に集中攻撃をかけ、敵を押しひしくごである。しかし、この場合に、こちらの気力が弱いと、敵が忽(たちま)ち盛り返してくるので、敵の全体像を手中に収め、押しひしぐ繰り出しが肝心である。

 ひしぐ術を知っておれば、こちらは伎倆(ぎりょう)が未熟であっても、相手の拍子が狂ったときや、迷いから逃げ腰になったとき、それを見抜いたならば、一気に、息もつかせぬ速さで、押しひしがなければならない。また、このとき、敵に立ち直る隙を与えてはならないのである。

 俚諺(りげん)に「窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)む」というのがある。これは単なる諺(ことわざ)でもなく、また偶然に派生するものでもない。世間ではよくあることなのだ。

「ひしぐ」ことにおいて、吾(われ)を戒め、敵の油断を誘う心理である。

 かつて信長が本能寺で、明智光秀の為に自害に追い込まれたのは、信長の油断である。もし、光秀が松永久秀か、荒木村重くらいの謀略かであったならば、信長も油断はしなかったであろう。

 「油断」とは、文字通り「油」を「断つ」と書く。人間社会は、昔も今も、油を断たれれば動きが取れなくなってしまうのである。由々しき一大事だ。しかし、人を見くびれば、由々しき一大事が起る。
 本能寺で信長が光秀に攻められる前、信長は光秀を完全に見くびっていた。光秀という人間を見くびり、光秀ごときに何が出来ると高を括っていた。この自負が、信長を自害に追い込むのである。

 本来、禍(わざわい)とは、思いもよらぬ、隙ある箇所に派生する。これこそ鼠が猫に噛み付く元凶である。油断大敵。油断あれば素人にも敗れるというが、それを地で言ったのが、信長の自負心だった。

 それでありながら、信長は光秀以外の弱敵に対して、普段から「押しひしぐ」戦術を濫用し、残酷な手段を用いていたのである。信長の性格は、一旦相手が弱いと分かると、これに間髪いれず、徹底的に押しひしいだ。それは残酷なほどで、徹底的に打ちのめしたのである。しかし、押しひしぐ名人も、光秀からは窮鼠猫を噛むで、油断を付け狙われた。名人でも、油断があれば素人にも敗れるという言葉を地でいって、敗北する名人は意外にも多い。


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