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誇りの裏付けとなる数々の技法
小太刀術、正面斬り込みに対しての、転身横面打ち。虚実の妙を用い、影を打たせて即座に転身する儀法は、単に、身体の移動だけではなく、虚実の変化の妙であり、こうした動きに対応するのは、足捌きによる即応性と、更にそれを支える心の妙用である。
 心の妙用は、形の構えを補うものであり、方の構えがどんなに手抜かり無く立派でも、心に欠如があれば、転身は遅れ気味になり、ここに心を用いる妙儀がある。

■ 女子小太刀術 ■
(じょしこたちじゅつ)

小太刀術正眼の構え。小太刀術には単に「形の構え」だけでなく、「心の構え」というものがある。したがって、形の構えとは、「身構え」のことであり、心の構えとは、文字通り「心の構え」であり、身体の形に顕れない、「臨機応変の虚実」をいうのである。

 そもそも構えは虚実に対する、「備え」であり、如何なる攻撃に対しても、防備しうるものでなければならない。

 

●二、三尺突き入れた時機の気魄

 一般に、長物の方が、短い物に比べて有利と言う固定観念があります。剣道でも、薙刀(なぎなた)と試合をして見ますと、剣道の猛者(もさ)でも、薙刀を使い慣れた女流の使い手には、度々敗れるという事実があるようです。
 こうした現実を顧みて、「長物は有利」という先入観と固定観念が生まれたようです。

 しかし、「長物が有利」という概念は、間合と大きな関係があり、その概念は、「アウトレンジ戦法」にあるように思います。つまり、「遠い間合」から、遠い間合から攻撃を加え、敵を斬撃できるという優越的な考え方です。これが射程距離であり、また空手などの個人闘技で言う、「制空圏」です。つまり、制空圏内に存在する相手は、制空圏内にいる限り制する事ができると言う概念です。

 これは武器の比較においても、明確になります。
 例えば6尺の柄に、2尺の薙刀(なぎなた)の刀身を装着させて薙(な)ぎ払えば、僅か1尺5寸程度の小太刀では勝ち目が無いように思えます。
 この考えで、例えば、アウトレンジ戦法から言うと、射程距離が50km有する、47cm砲から打ち出される戦艦の弾丸は、射程距離が45kmしかない、42cm砲の戦艦より、はるかに優れていることは誰にも分かることです。ここには射程距離の「差」というものがあるからです。

 42cm砲の戦艦が、幾ら大砲の弾をボカスカ撃っても、50km先に居る戦艦には掠(かす)り傷一つすら負わせることは出来ません。一方、射程距離が50kmある47cm砲の戦艦は、アウトレンジ戦法で攻めまくれば、42cm砲の戦艦は一溜まりもないことは、容易に想像できます。
 以上の結果から、射程距離の長い戦艦は、短い戦艦に比べて有利であり、アウトレンジ戦法の優越の秘訣が、この中に存在しているように思えます。

 ところが、これにも落とし穴があります。確かに平面上での戦闘ステージでは、射程距離が長い方が有利に思えますが、これが立体戦であったらどうでしょうか。上下や高低差に揺すぶられる攻撃が加われば、平面戦闘での戦局の優位は一転します。

 例えば、6尺の長さの薙刀を例に挙げるならば、薙刀の術者は、何も6尺まで届く、薙刀の鐺(こじり)を握って戦うのではないことが分かります。術者は、やや中心部に近いところを握り、敵と対峙します。すると術者と薙刀の尖先(きっさき)までの制空圏は、約3尺前後と考えられます。これは2尺4寸前後の剣と対峙したときと、約6寸の開きがあるだけになります。制空圏が、いずれも近付いたことになります。こうなると、長い短いの問題ではなく、「伎倆(ぎりょう)の差」ということになります。

 更に「伎倆の差」に上乗せされるものは、短い武器を持った場合の「漆膠(しっこう)」という、一種の「ねばりつき」の妙儀(みょうぎ)が、小太刀や短刀などの短い武器の、軽さから来る、「片手で振り回せる」という特性に優越を与えます。
 「片手で振り回す」という動作において、長い物ほど難しくなり、短い物ほど遣い易くなります。これはある意味で、力の無い、ひ力な女性などに、有利な武器であると言えます。

 これは「小が大を倒す鉄則」ですが、図体の大きな巨漢ほどエネルギーの浪費が激しく、小さいほどその消費が少ないと言うことです。

 かつて旧日本海軍は「戦艦巨砲主義」に固執し、時代が三次元立体の中で戦う時期に入っても、旧態依然の思考に固執し、この考え方から抜け出すことが出来ませんでした。何処までも、アウトレンジ戦法に夢を託し、その幻影ばかりを夢想していました。そして巨大戦艦を動かすには、巨大なエネルギーが要るということも見落としていたのです。

 これは大儀の兵法であっても、個人的な闘技であっても同じことなのです。ひ弱で、小さな力しか持ちえず、これで戦うという局面に遭遇した場合、特に婦女子は、この裡側(うちがわ)のエネルギーで防禦の一切を賄い、省エネ的な戦いを強いられることは必定で、この根本には、「小が大を倒す気魄と伎倆」がなければならないのです。

 本来、剣儀(けんぎ)としての奥儀は、単に敵の間合に何とか届くと言っいた具合ではよくないのです。何とか届くでは、致命的な打撃を与えることは出来ません。一撃必殺を目的とするならば、敵を打って出たり、撃刺に転じた場合は、その突き入れた一撃が、裏へ抜け、更に2〜3尺程度突き抜けるというものでなければならないのです。この「突き抜く」という気魄(きはく)を以て、激しく突くことが肝心です。

 この気魄は、例えば柔術の場合、単に投げるというばかりでなく、投げても受身が取れない程度に投げるということが肝心で、畳の上に投げるというのではなく、畳の根太(ねた)をぶち抜き、畳の下の根太をつき抜け、更には、根太の下の根太を支える土台に直接投げつけ、その土の中に叩きつけ、埋めると言う、激しい気魄が必要です。つまり、土の中に2〜3尺も没すると言う、「投げ込み方」が大事で、この気魄に欠けていれば、投げた相手も、再び立ち上がり、反撃を食らうことになります。

 かつて一刀流の打ち斬りは、上段より振り被れば、それを躊躇(ちゅうちょ)無く一刀の下(もと)に斬り下げ、必ず敵の頭上から肛門まで真っ二つに、一刀両断することが要求されました。これを「真っ向唐竹割」と言い、乾燥しきって堅くなった唐竹ですら、一刀両断にする激しい撃剣の妙儀でした。
 これだけ激しい気力を以て、斬り据えることが、つまりは敵に押されない気魄であるといわれたのです。

 しかし、初心のうちは中々このようにはいきません。「位負け」をすることもあるし、あるいは相手の気勢に押されて、押し捲(まく)られることも度々であり、打つ時機(とき)、あるいは突く時機に、思わぬ躊躇(ちゅうちょ)が趨(はし)り、力が抜けるということになりやすいものです。また、心根の優しさは、思い切りを悪くし、手加減を加えるなどの中途半端の状態に陥り易いものです。
 これが、心が落ち着かず、動揺した状態であり、軽佻浮薄(けうちょうふはく)の状態であるといえます。これこそが、敗北の要因であり、最後は、敵に討ち取られると言う甘さが横たわっているのです。

 何事につけ、思い切りの悪さと、相手のことを考えた踏ん切りの悪さは、しいては自らが墓穴を掘る結果になり易いものです。生きるか死ぬかと言う最悪の窮地に立たされているのですから、躊躇(ためら)うことは禁物であり、無駄な配慮の上に、更に無駄の上塗りをしないことです。

 こうした無駄は、稽古を重ねるにつれて、打つ瞬間、斬る瞬間、刺す瞬間に「刹那の疾(はし)り」が起こり、無駄な配慮や無駄な力が徐々に薄れるものです。
 問題は如何に強く当たっても、刃筋が正しくなければ、斬れるものでありませんから、刃筋を正し、あるいは僅かな力で最大の効果を得るように、打ち、払い、受け、そして斬り、突き刺さねばなりません。

有構無構(うこうむこう)の教えに遵(したが)い、咄嗟(とっさ)の太刀の変化にも順応し、太刀を構えることばかりに心を奪われず、虚実の妙を活かすことが小太刀術の妙儀である。

 古伝の『有構無構の教え』によれば、「もともと太刀は構ふると云うこと有るべきことに非(あら)ず。され共、五法に置くことあれば、構えとなるべし。太刀は敵の縁により、所により、景気にしたがひ、何れの方に置きたり共、其の敵斬りよりき様に待つ心なり」とあり、敵と対峙(たいじ)し勝利を得る為には、心の構えが大事であり、其の目的は敵を斃(たお)す為のものであり、守るにもよく、攻めるにもよい体勢でなくてなはらない。それと当時に、わが心を励まし、敵を斃さんとする「切なる闘志」が必要なのである。

 こうした心の防備を怠るとき、遂に付け入られ、屈辱(くつじょく)や凌辱(りょうじょく)を受け、無慙(むざん)に敗北するのである。こうした悲惨な敗北の末路を辿らない為には、心の裡側に、「備えの心構え」が充満していることが大事である。

 

●小太刀の道

 小太刀術には、「小太刀の理(ことわり)というものがあり、「小太刀の道を能(よ)く知らざれば、小太刀の道の心、儘(まま)に振り難し」とあります。その上に、「太刀の峯(みね)と平(ひら)を弁(わきま)えずに、遣(や)っていては、敵を斬る時に、その“斬る心”に出会い難し」とあります。

 武の道で用いる武器は、大小・長短の長さを問わず、太刀心を弁(わきま)えていなければ、思うように遣(つか)えず、まず、力まずに、静かに遣えというのです。静かに遣えば、小太刀の特性と言うものが次第に分かってきて、刀というものの遣い方にも慣れてくるし、打ち方や斬り方も分かってきて、その特性に適合した道を会得することができると言うのです。

 そしてその、「太刀心」を集約している要(なかめ)が、「握り方」であり、この握り方において、打ち方や、斬り方が定まってくるといっているのです。つまり、小太刀の修練では、握り方が打ち方を決定し、あるいは斬り方を決定するというプロセスの中に、小太刀術の奥儀があるといえます。

 太刀においても、あるいは小太刀においても、「刀の作用」と言うものを分析すれば、おおよそ三つに区別することが出来ます。その第一は、「打ち」、あるいは「斬り」、次に「突」き、更には「払う」というものに区別されます。
 したがって、打ち方を会得すれば、斬り方が見えてきて、同時に、それは突き方も、払い方も分かると言うものなのです。

 基本の打ち方を正しく身につける為には、まず徹底した「素振り」を行い、その定着度に併(あわ)せて、「居合い」や「試し斬り」などを順を追って稽古していきます。
 「打ち方の大事」は、打ち所を正確にマスターして、その箇所を覚え、これを試し斬りの応用して、刃筋が正しいか否かを検(み)ていきます。これを繰り返すことにより、「慥(たしか)に斬り覚えておく」のです。つまり、正しく打つことが出来れば、慥に「斬り覚える」ことが出来るのです。
 これを、わが流では「斬り覚えよ」という言葉で、打ち方の大事を教えています。

 「斬り覚える」ことができなければ、切断媒体に強く当たっても、切り割(さ)くことが出来ません。これは試し斬りの竹や、濡れ藁(わら)などでも、あるいは実際の人間であっても、斬ることが出来ません。こうした斬ることの出来ない状態を、「当たり外し」と言います。真の打ち方を会得してないからであり、また手足の動きを疎(おろそ)かにした結果から、こうした状態が起るのです。

 つまり、打つ積りで打っても、刃筋が正しくなければ、打ち通すことは出来ません。「打ち通す」ことの出来ない原因に、「峯(みね)打ち」や「平(ひら)打ち」があります。峯打ちは真っ直ぐに切り込んだと思っても、いつの間にか力んで、峯の部分が切断媒体に当たることであり、平打ちは、やはり力み過ぎて刃でなく、刃の横の平たい部分が、直接切断媒体に当たり、「当たり外し」を生じさせてしまうのです。

 昨今の竹刀剣道や古流剣術と称していても、実際には竹刀を用いたり、あるいは木刀を用い、これを修練するのですから、実際の、真剣の場合と大きな隔たりが出来、本来ならば打ち方を充分に研究するのですが、この研究が軽んじられ、ただ速い業(わざ)、巧妙な業ばかりに目が向けられているようです。しかし、このように軽快なものばかりが求められると、ポイントを取るばかりの研究が主体となり、そもそも、誤った打ち方の不完全に気付かなければ、それは実戦で役に立つものではありません。

天の受け。
脇の刺しの突き。

 小太刀術での正面の打ち方

右手で振り被って、右拳が頭部のおおよそ中心線の中央に拳があり、頭上と拳の間は約一握りのところで上段を構える。
打ち進む場合は、摺(す)り足・継ぎ足で右足、左足の順に足を動かし、腕を伸ばして相手の正面を打つ。この場合の正面打ちは、真っ向を捉えて正確に打ち下ろす。
この打ち下ろすとき、腕はほぼ肩の高さにし、肘が自分の乳の高さ以下に下がらないようにする。つまり、しっかりと腕の伸ばすということである。
打ち進んだ場合、背中や腰を曲げてはならない。また、力を入れ過ぎると、躰が捩(ねじ)れるので、肩凝りの病因や肩関節を亜脱臼(あだっきゅう)する懼(おそ)れがあるので、打ったときは肚に力を入れることを忘れてはならない。
打ち方は「正面打ち」が最も大事な基本となり、この基本を正しく会得するまでは、正面打ちを徹底的に修練・研究することが大切な心構えである。基本業イコール極意と心得るべし。
 

 小太刀術での横面の打ち方

横面は正面より少し遠い間合から打ち込む方法で、左右の横面は正確に40〜45度の角度を以て打ち込むことが大事である。
身体の動作でも横面を捉える場合は、角度を正確にして打ち込み、前進するとき、あるいは後退するときは、摺り足・継ぎ足を以て身体を素早くする。
腕の伸ばし方や打ち込み方は正面打ちと殆ど同じであるが、左右の横面打ちは、いわば左右の袈裟(けさ)斬りであり、左右の横面だけでなく、肩の左右の「缺盆(けつぼん)を狙って、この高さでの打ち込みも充分に研究しておかなければならない。
 

 小太刀術での小手の打ち方

額の約一握りくらいのところに拳を上げ、一歩前進しながら鋭く小手を打つ。この場合の前進する場合の足の膝は曲がり易いので、特に左足の膝は曲げ易く、ここが曲がらないように注意を払う。
小手打ちの稽古は、最初は出来るだけ斜めから侵入させず、真上から打つように心掛けねばならない。最初から、斜め打ちの癖(くせ)が付いてしまうと、小手打ちの威力は弱くなり、ただ掠(かす)るという状態になるので、正しく、真上から打ち込むようにしなければならない。
 

 小太刀術での左右の胴の打ち方

最初は右胴の打ち方を徹底的に修練する。ゆめゆめ左胴の「逆打ち」などを覚えて、軽妙な業に趨(はし)るべきでない。
右胴を打つ場合は、拳を額の前の一握りくらい間隔を開けて握ったところに小太刀を掲げ、右手で裡側に接するように右足を踏み入れ、踏み込むと同時の右胴を打つ。この場合、「手の返り」が不完全であると、刃筋が正しく到達できず、「手の返り」に注意を払うことである。
打ち込んだときは、背筋の伸ばし、腰を沈め、緊(しめ)るようにして打ち込むことが大事である。
左胴の打ち方については、右胴と同じ要領であるが、一歩前進しながら、斜め上から腕を伸ばし、一気に打ち込む。
 

 小太刀術での「刺し」の突き方

踏み込みと同時に、手の裡(うち)を絞めて敵の咽喉に向かって一気に突く。
この突く場合、単に突き出すだけではなく、右手の場合は右から左に、左手の場合は左から右へ、手頸(てくび)を僅かに回転させながら突かなければならない。単に突くだけでは、当たったとしても、その威力が小さいからである。確実にする為には、津久戸同時に手頸を捻り僅かに回転させることである。これは弾丸の回転と同じで、手頸に回転が加わらなければ、螺旋状(らせんじょう)の突き出しにならず、威力が小さい結果となるからである。

 

●太刀を用いて人を殺さず

 沢庵禅師(たくあんぜんじ)の著した『太阿記(たいあき)』には、次のようにあります。
 「夫(そ)れ通達の人は、太刀を用ひて人を殺さず、太刀を用いて人を活かす。殺さんと要せば即ち殺し、活かさんと要せば即ち活かす。殺々三昧(ざんまい)、活々三昧なり」とあります。

 つまりこれは、小太刀術の極意とは、技術的なうまい、へたを指すのでなく、心の用い方を説いたもので、「心を以て、心を打て」と示唆しているのです。敢えて言えば、技術としての技を必要とせず、心の用い方如何を説いているのです。

 しかし、本来はこのように心を以て、心を打つのですが、基礎的な基本段階を踏まず、また順序階梯(かいてい)というものも無視しては、その道に至ることも出来ず、極意は基本の会得ですから、一足飛びに山の頂上に至るということも現実にあり得ません。基本を丁寧に、じっくりと研究すべきです。
 この基本を疎(おろそ)かにしますと、「太刀を用いて人を殺さず」などという崇高な次元には、なかなか辿り着くことが出来ません。そこで日々の地道な鍛錬が必要になってくるのです。

 また、得意技を作り、得意技ばかりに固執すると、技自体が偏頗(へんぱ)に趨(はし)り、結局拙劣なものになってしまって、得意技の墓穴に落ち込んでしまいます。つまり、「偏らない」ということであり、わが流の小太刀術は、単に右手のみで戦う小太刀ではなく、変化に応じて左手にも持ち替えますので、左右が対照に、同じように使えるように修練します。

 

●強力な護身術としての小太刀術

 護身術とは、本来が速成的な要素を持った技術面の一部をいいます。
 そもそも武術を修練し、それを完成させていくには、長い間の修行と時間が掛かります。あるいは一生涯をそれに充(あ)てても、中々完成を見るには至りません。

 そこで、最も実戦に有効と思える部分を、速成に達成する為に、武術の中からその一部を選び出し、未熟な初心者にも、即時に、急場しのぎに使われる術が、つまり「護身術」というものです。したがって護身術は、咄嗟(つっさ)の危険から身を逃れるという要素が含んでいます。
 長い月日の修行期間を要せず、あくまで自分の身に危険が迫る局面において、それを回避する為の技術です。換言すれば一時的な、身を護る防禦法です。

小太刀を応用した警棒術

 さて、護身術の面から小太刀術を考えると、小太刀に匹敵するものは警棒であり、警棒を小太刀に見立てて修練をすることが出来ます。
 昨今の兇悪犯罪は、刃物を使った犯罪が多く、また女性が襲われる場合も、単に、腕力での力ずくではなく、ナイフなどの刃物で暴行を受けつということが多くなりました。また、最近の兇悪犯罪は、顔を見られたということで、凌辱(りょうじょく)を受けた後、刺し殺されるという事件が多くなりました。凌辱を受け、その上、殺されるのでは、自分の人生が、何の為の人生か全く分からなくなります。更に、訝(おか)しなことは、事件が兇悪犯罪であればあるほど、犯行を犯した容疑者の精神鑑定が行われ、多くの場合、兇悪犯罪では精神的異常が取り上げられて、殆どが無罪になってしまいます。

 また、こうした兇悪犯罪者に対して、日本では直ぐに支援団体が出来て、加害者の人権の擁護(ようご)と人命保護に当たり、被害者の人権は全く無視されてしまいます。これでは「凌辱損」で、「殺され損」ということになってしまいかねません。
 こうしたことは何としても回避したいものです。そこで実戦護身術として、最も効果のある方法が、小太刀術での兇悪犯人に対する、犯行者の手に握っているナイフなどの刃物から、身を護る防禦法です。

 ナイフなどで脅された場合、多くの人は、それを見ただけで竦(すく)みあがってしまいます。その為に屈し易く、凌辱に対しても、為(な)すがままになり、抗(あらが)う護身の「術」を知りません。これは何も女性だけでなく、男性の場合も同じで、自分だけは危険な事件に遭遇しないなどを高を括(くく)っている人は、以外にも、こうした兇悪事件の遭遇することがあります。そして、筆舌に尽くし難い凌辱を受けた後、刺されて、命まで失う結果になってしまうのです。

 人として生まれた以上、こうした最悪の事態だけは避けたいものです。そこで、刃物に対処できる小太刀術を学び、警棒を、小太刀に見立てて修練しておくことも、万一の場合、大いに役に立つ防禦策です。

 犯行にナイフなどの刃物を使う兇悪犯罪者の心理を考えると、その使い方は、刃物の刃で、「切る」というより、「刺す」ということに重点をおいていることが窺(うかが)えます。切る為には、それ相当にナイフ術に熟練していかなければならず、最も手っ取り早い方法として、「刺す」ことが速成的に達成され、実に「刺す」ことが多くなったと思われます。つまり、簡単に「刺す」行動が、一番容易であるという理由が、これらの犯行の主体になっているようです。

 常に、ナイフを携帯して、他人の隙(すき)を窺(うかが)っている犯罪者は、携帯に便利な、小型の折り畳みナイフや、それに類似するバタフライナイフなどを携帯していることが多く、刃の部分の長い、大型のコンバットナイフなどの携帯は、そんなに多くないようです。

 日本では、刃渡りが15cm以下の刃物の場合は、警察が所持者の発見届を受理し、各都道府県の教育委員会の文化財保護課が発行する「銃砲刀剣類の登録証」の必要がなく、無許可で所持し、あるいは携帯することが出来ます。こうした点を考えて、ナイフを持ち歩いている犯罪者や、犯罪保菌予備軍は、所持ならびに携帯が15cm以下の物を持っている場合が多いようです。その為に、「切る」ことより、「刺す」ことに重点を置いた使い方をします。

 つまり、「刺す」ことを目的に、ナイフを持ち歩いているということになります。したがって、刺す場合の手法は、「突き手」であり、拳の突きのような形で突き出してきます。こうした場合の防禦法として、最も有効なのが、小太刀術の術者から見て、間近に迫ってくる、「拳型の小手」です。この小手を、小太刀術の要領で、鋭く打ち込みます。小手を打たれれば、拳を握る場合の手の手根骨から、肘の間の上側の橈骨(とうこつ)が、警棒で鋭く打ち砕かれるので、警棒がそこに当たれば、打たれた箇所は、骨折するかそれに近い状態となり、それだけで犯罪者は戦意を失ってしまいます。

刃物を握った拳と肘までの「橈骨」と「尺骨」の状態。

 これまでにも、もし、襲われる女性の側に、小太刀術の修練の跡(あと)が少しでもあれば、殺されずに済んだと思う兇悪事件が幾つもあることが、何とも残念でなりません。
 そして、ナイフを持った犯行者に対し、空手の突きや蹴り、あるいは大東流の一本捕りや、合気道の捕獲技で対抗しようと決して思わないことです。こうしたものは、全く役に立ちません。刃物に熟練した犯行者ならば、初段や二段の武道経験のレベルでは、全く太刀打ちできないことを付け加えておきます。また、昨今の武道レベルは、黒帯といっても、小学生で黒帯をしている人がいるのですから、その実力の低下が疑われても仕方ありません。

 さて、ナイフを持った兇悪犯罪者に、最も有効なのは、犯行者の戦意を削(そ)ぐ為の、「鋭い小手打ち」のみが、犯行者の命も奪わず、また自身も最悪の状態を免れるというベストの策であり、上段から振り下ろす小太刀の「小手打ち」だけでもマスターしておけば、万一の場合、最低限度の防禦が出来るはずです。

 また、ナイフを持っての「刺し」に有効なのは、コウモリ傘や折り畳み傘などを利用しての「小手打ち」も、非常に有効であり、「橈骨を痛烈に叩く」という護身の術だけでも会得しておきたいものです。

 さて、同じ小手を打つにも、「内小手」と「外小手」の2種類の小手の打ち方があります。
 普通、剣道などで言う「小手」の打ち方は、小太刀術で云うと、「外小手」の打ち方に属します。竹刀を握る、特に右小手の外側から打つ小手です。
 一方、小太刀術で云う、「外小手」は、太刀や刃物を握る手と、腕の部分から打ち込む「内小手」です。

 これは外小手が、亀などの甲羅(コウラ)を持つ爬虫類の甲羅側を打つのに対し、小太刀術の内小手は、甲羅爬虫類の腹の部分を打つ小手の打ち方です。亀の装甲を真似たのが、近代戦では戦車ということになりますが、その強硬な装甲を持つ戦車でも、俗に言う、腹の部分に当たる裡側(ウチガワ)はそんなに外側の装甲より強くありません。

 したがって、「内小手を打つ」という撃剣の用い方は、急所なる部分を打つ打ち方であり、外小手より、内小手を打つ方が、より効果的であるということは想像に難しくありません。
 護身術としての小太刀術は、弱所・弱所を連続して、絶え間ない集中攻撃で打撃を加える儀法であり、一旦この儀法が用いられれば、ひ弱なる婦女子でも、実行可能な小手の打ち方になります。この意味で小太刀術は、護身術としての価値は、大きなものがあるといえましょう。


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