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上級武士の象徴たる白扇の妙

上級武士のみが所持することを許された1尺2寸の長白扇(開)
(扇開全長:65.5cm、総重量:100g)
 

1尺2寸の長白扇(閉)
(扇閉全長:36.5cm、総重量:100g)
 
機先を制する/白扇対剣

白扇術
(はくせんじゅつ)

●西郷派大東流白扇術

 上級武士の象徴であった「白扇」を用いて、敵を攪乱(かくらん)し、迷わし、悩ませ、遂に制する為の技法が「白扇術」である。
 西郷派大東流では、古典の白扇術技術を復活させて復元した「1尺2寸」の長白扇を使用している。「1尺2寸」といえば、約36cmである。つまり、長さが「1尺2寸」とは、鎧(よろい)通しの長さであり、また脇差の長さであり、柄(つか)を2寸とし、刃渡りを1尺とした、「最後の詰めの長さ」なのである。

 「最後の詰めの長さ」とは、人の生き死にを決定する切羽詰った時に使用する長さのことで、生きるも死ぬも、この詰めの長さに回帰される。
 したがって、白扇は単なる儀礼用の所持品ではなく、人の生き死にを決定する「最後の長さ」ということになる。また、これは換言すれば「命の明暗を分ける長さ」なのである。

 白扇術の妙は、「間合い取り」という心理的な、敵との間を保つ攻防技術と、「人の度肝を抜く」駆け引きにある。

 扇というものは、ただ長さのみの器(うつわ)ではなく、これが開いたり閉じたりする特異な性質を持っている。「1尺2寸」の長さもさることながら、この開閉により、自らの位置を近づけたり遠ざけたり、あるいは大きく見せたり、小さく見せたりするのである。
 これにより、敵は距離を誤り、相手を侮(あなど)り、白扇の術中にじりじりと嵌(はま)り込んでしまうのである。

 その為、使い方によっては、真剣をも制する可能性を秘めた白扇であるが、白扇の術は、直接的な打撃に頼るものではなく、あくまでも心理的な要素が強いということを認識しておかなければならない。

 技術的には、正面からの攻防を避け、螺旋状(らせんじょう)に動いて「面ではなく点として戦う」ということに集約されるが、いかにタイミングを計ったとしても、竹と和紙という素材で出来た白扇自体に一撃必殺の殺傷能力は無く、白扇一刀の打ち込みで、人間に致命的な損傷を与えることは不可能なのである。
 よって、白扇での攻防とその制し方は、敵に絡みつき、無傷のまま敵を生け捕りにして、その行動のみを制する、という目的に特化される。つまり、「よき用い方」に懸(か)かる。

 それが、力任せに戦う一兵卒の格闘術ではなく、指揮官が所持するに相応しい白扇の、類(たぐ)い希(まれ)なる知謀の術理なのであるからだ。
 その極意こそ、「軽い物を重く用いる」という術理である。

 

●白扇に象徴されるもの

 竹の骨に、和紙を重ね合わせて貼(は)った、無地の白扇に象徴されるものは、単に人間の争いを指図する、殺伐(さつばつ)としたものの象徴ではない。
 白扇から滲(にじ)み出て、その開閉を問わず、ある意味で、人の生死を象徴したものであるからだ。

 長白扇の総重量は、僅かに100gである。この重さで、攻防とともに、敵との命の駆け引きをし、更には命の遣(や)り取りをする。

 剣術の教えに、「重い物を軽く遣(つか)え」という教えがある。重い物を軽く遣う為には、鍛錬によって肉体を強化し、それを賄(まかな)うことが出来る。

 しかし、更なる教えに、「軽い物を重く遣え」というものがある。つまり、割箸(わりばし)一本でも、木刀のような働きを行わせえるのである。これは単に、肉体力を鍛えただけでは、どうにもならない。腕力だけでは難解の技である。軽い物を重く用いるには、肉体力とは「違う次元の力」が必要になる。

 さて、「軽い物を重く遣え」という、更なる教えは、安易に口で言うほど簡単なものでない。何故ならば、それは肉体力が有する力と異なるからだ。肉体力とは遥(はる)かに次元が異なるからだ。
 白扇術も、単に軽い白扇を、それよりも重い木刀などと、同様に遣う操法とは異なるのである。ここに白扇ならではの、象徴される力がある。これが白扇を用いる場合の「次元の異なる力」である。

 白扇の用い方で大事なのは「崩し」である。敵と対峙(たいじ)して白扇を用いる場合、敵の体勢を崩すことが大事である。敵の体勢を崩しえずして、白扇を用いたとしても、それは単なる「踊り」でしかない。

 そして、白扇とあわせて象徴されるものは、「気」である。
 総(すべ)ての万物は、「気」を放出している。これは人間も例外ではない。人間が「気」を発散している生き物である。人間の発散する「気」とは、その人の持つ雰囲気であり、雰囲気により、その人の人間的なランクが示されている。

 更に「気」を突き詰め、雰囲気というものを探っていくと、そこには人を活かそうとする「波動が存在している」ことが分かる。人を活かそうとする波動は、ある意味で「生命力」に置き換えることも出来る。生命力があるから、人の命は燃え、「活気」に溢れるのである。

 強い生命力で溢れてい居る人は、その活気も強く、新鮮で生き生きとしている。
 一方これに反して、弱々しい雰囲気を発散している人もいる。あるいは「死相」が顕れている人もいる。死を間近に控えた人は、死を予感させ、無慙(むざん)に朽(く)ち果てる不吉な雰囲気を出している。

 こうした雰囲気を出している人は、一定の波動によって、それが発散されている。
 例えば、気味の悪い人、刺々(とげとげ)しくて殺気を感じさせる人、苛々(いらいら)している人、焦っている人、直ぐに激怒する人、迷い多き優柔不断(ゆうじゅうふだん)な人、負われている人、余裕を持たない人、剃刀(かみそり)のような冷たい感じのする人、傲慢(ごうまん)な態度をする人、生暖かいものを感じさせ厭(いや)らしい感じのする人、ピリピリとして荒立っている人、機敏さを失い鈍磨な神経をしている人、鈍重な考えに汚染されている人、夢ばかりを追い続け生涯を夢で潰(つい)える人、錯覚に酔い痴(し)れる人などは、その人を、その時に応じ、「今を生きている波動」がそのまま出ているのである。

 「今の波動」は、その時の心情によって常に変化し、その人の人間性を作り上げている。そして、人間性を司(つかさど)るのが「気」であり、それは雰囲気として周囲の環境を染めるものである。

 例えば、「斬ろうとする殺気」と、これを「受けて立とうとする殺気」は、相互に気の発散から起こり、波動としてそれは周囲に満ち溢れる。その波動は、その一つが気勢が起こる前の「心の動き」であり、その二つが「同類が引き寄せ合う殺気が一つになる」ことであり、その三つが「互いに結び合う」ことである。
 こうした場合、これらの三つの波動が一致したとき、原則通りに「気」が力に変換され、暴力のぶつけ合いとなる。

 つまり、一方が殺気を捨てない限り、斬り合いは避けられず、死闘が繰り広げられるように動いてしまうのである。そしてこの動きは、引き合う為に、「同類合い引き合う」関係が働き、「類は友を呼ぶ最悪の循環」に支配されているといえる。

 こうした最悪の巡り合わせは、現象人間界の至る所で起こっている。
 例えば、現象人間界では「伝染」するという現象が起こっている為に、目と目が合い、「ガンをつけた!」などと喧嘩が起こる。また、すれ違いざまに「肩と肩が触れた!」などと喧嘩が起こる。これは自分の殺気が他人に感受され反映された現象である。「類は友を呼ぶ最悪の循環」に支配された現象である。
 つまり自分と、これに反応した他人は、もともと同類項的人種であり、そのレベル同士が「斬り結び合いたい」ので、そのように動いたまでのことである。

 更に、これとよく似た現象に、「欠伸(あくび)が伝染する」という現象がある。それは誰か一人が欠伸をすると、これに応じたかのように、そこに居る周囲の人は、次々に欠伸をしてしまうのである。これこそが、欠伸の伝染において、気が通じた証拠であり、気が通じて居れば一斉に連鎖反応を起す。伝染は、気で周囲を汚染させるからだ。

 一方、こうした連鎖反応に対し、これに反応を示さない人もいる。つまり、連鎖反応通りに、その浅はかな反応に乗らず、これを遮断する「心法」を心得た人は、敵愾心(てきがいしん)などがある気を遮断することが出来る。
 「心法」を心得た人は、雰囲気の気を即座に読み、悪い気は事前に察知してこれを外し、こうした場所から、さっさと退散する術(すべ)を知っている。「高次元の気」を持っている人は、汚れた環境や、悪い気を好まないからだ。また、レベルの低い気が悪循環して、「陰圧」を高めることを知っているからだ。

 悪い気は「陰圧」を高め、「陽圧」を低下させる。陰圧が高まれば、それだけ速く、死に急ぐことになる。また、陰気性を帯び、滅びへと向かう。こうした滅びに向かう人は、目先に捉われ、焦ってばかりいて、何処か刺々(とげとげ)しく、短気で、激怒し易い結末へと、「気」が降下している。
 こうした人は、まさに陰圧を高めている人である。陰気の人である。
 陰気は、生命の火の「焦(しょう)」に歯止めを掛けるので、滅亡に向かう「気」である。

 一方、その動きは緩やかでも、いつも心に余裕のある人は、静かさを保ち、心は落ち着いているものである。「動中に静あり」が、まさにこれである。
 これに反し、機敏に動いているように見えて、やることは頓馬(とんま)で、セカセカと動き回っているが、単に肉体を忙しそうに動かしているばかりで、実質は殆ど捗(はかど)らず、きりきり舞いをして踊らされている人がいる。こうした人は、「心が眠っている人」である。心が眠っていては、見るものも見えず、肉の眼には映っても、心眼には何一つ見えていないのである。

 心も一つの波動の顕れであるから、その行動の一つ一つには、「将来に起こることを総て暗示している」のである。その人の言動も、その人の姿も、その人も行為も、その人の態度も、総て「将来の暗示」であり、将来の暗示に乱れがある場合、それは同類項同士が引き合い、争いを生じさせるのである。
 つまり、人間の言動、姿勢、行為、行動、態度といったものの総(すべ)ては、その中に「多分、将来に起こりうる因子」が含まれているのである。

 波動から伝達される「気」は、既に生まれた波動にも、また、これから起ころうとする波動にも、総てその中に「必ず将来に派生する波動」が含まれているのである。

 例えば、死から逃れることばかりを企てている人は、やがて陰圧の作用が強く働き、死に魅入られて無慙(むざん)に事故死するだろう。
 一方、死をも恐れず、「死もまたよし」とする人は、やがて陽圧の作用によるり、死地の赴(おもむ)いても「九死に一生を得て、無事に生還する」だろう。

 生死同根の現象人間界で、働く現象は作用と反作用であり、追えば逃げ、逃げれば追われるということであり、また、同類項同士は互いに引き合うから、「同類相憐れむ」の関係から、殺伐(さつばつ)とした人間は殺伐とした現実が出現し、その中で修羅(しゅら)の格闘をしなければならなくなる。
 争いを好み、好戦的な態度の人間の前には、それと同等の考え方で汚染された者が、引き合って修羅場の争いを演じるのである。

 現象人間界には、陰圧を高める現象と、陽圧を高める現象の両方が存在している。それらが一体となって、陰圧・陽圧ともに作用し合い、あるいは反作用の関係において反発し合うのである。一つの波動から起こる現象であり、殺伐とした雰囲気に汚染されれば陰圧が高くなり、一方、愛する想念で満たされた環境の雰囲気で満ち溢れていれば、そこには当然の如く、陽圧が発生するのである。

 白扇をこのは波動に見立てて考えた場合、白扇を閉じたときは「陰」であり、白扇を開いたときは「陽」である。白扇一本(一扇とも)に含まれる、その中には陰と陽の両方が含まれていて、それを表裏の関係としているのである。この表裏の関係こそ、白扇の持つ象徴部分であり、陰圧に押されて朽ち果てるか、陽圧の生命力エネルギーに目覚めて、生を繋(つな)ぎとめるか、それは一本の白扇の表裏一体の中に包含されているといえよう。

 また、白扇の閉じた状態は「静中に動あり」であり、開いた状態ではやがて閉じに転ずるのであるから「動中に静あり」というところであろう。つまり、白扇には、一本の扇の中に「静」「動」があり、また「陰」「陽」がある。
 そして、更に突き詰めれば、一本の扇の開閉の中に、殺伐の中に滅び行く人間の未来と、死地に赴きながらも九死に一生を得て生還する人間像の二つが、「存在」「非存在」の形となって象徴されているのである。

 西郷派武術で言う白扇の示す行動律には、人間の死生・陰陽が包含されていて、一つの波動となって重なり合っている。したがって、わが流の白扇は、単に物質としての白扇ではなく、人の生き死に関する象徴でもある。

 閉じれば「静」であり、開けば「動」である。静動一体の中で「静の波動」があり、「動の波動」がある。これは一体であるばかりでなく、総(すべ)てに通じ合っている。三次元顕界の総ては、そこで起きる現象が波動によって交流し合っていると言う事である。

 つまり、万物は一体であり、総てのものは交流し、交信し合っているのである。これから考えると、生きている人、あるいは死んだ人、更には事件を起して事故死するような人、また、人間以外の生物間にしても、生物でない静止物体にしても、波動は交わされ、交流し合っているのである。

 例えば、的(まと)に向かって矢を射る。的に向かって手裏剣を打つ。的に向かって飛礫(つぶて)を投げる。その瞬間に、「手応えがあった!」あるいは「標的を外してしまった!」という感触は、その後、瞬時に分かるものである。
 本来的という物体は、遠く離れていて、これだけの状態を見た場合、的と、射よう、打とう、投げようとする得物とは、何ら関係が内容に思われる。ところが、一旦術者の手を離れて的に向かう得物は、命中したか、外れたかは容易に術者に伝わるものである。

 つまり、矢を射、手裏剣を打ち、飛礫を投げ、これらが的に当たった時には、確かに手応えが違うのである。
 例えば、弓矢、手裏剣、飛礫で的を狙いこれに当たったか、否かは、目隠ししていても、耳に栓(せん)をしていても、行動に及び、当たった媒体が途中で地面に落ちたのか、別の場所にそれて壁や塀などに当たったのか、軟らかいものに当たったのか、硬いものに当たったのか、こうしたことは直ぐに分かるであろう。
 それは現象界の波動があらゆるものと繋(つな)がり、それらは総て一体となって関連性を持ち、互いに流通・交流を持っているからだ。また、それらが互いに感応し合っているからだ。

 この感応性は、白扇にもある。扇に開閉において、扇を一発で開ききったときと、そうでないときは明らかに手応えが違う。また、開いた際の小気味よい音か、そうでないか、容易に、即時に見当がつく。一つの白扇の中にも、開閉が表裏一体として納まり、「静」「動」を顕しているのである。

 

●わが位置を白扇とともに

 人間は環境に左右される生き物である。周囲の雰囲気に流され、辺りの状況に変化する。したがって、「兵法の道」を極めるには周りに存在する総てのものを出来るだけ自分の味方にしなければならない。

 こうした場合に、太陽を背にするのも一つの環境を生かす方法だし、光を後方に受けて敵に身構えるのも環境を活用した方法といえる。
 次に、環境を味方にする方法で、太陽は「右脇にするように工夫せよ」という教えがある。これは室内にいても同じである。灯火の明かりは、わが後ろに置き、また右脇に置く。それは自分の後ろが支(つか)えぬようにする為である。更に、自分の後ろを広く取り、右に詰めて身構えるのは最もよいとされる。

 夜陰でも、敵が見える状態であれば、灯火を背にして構えるのがよく、その明かりについては右脇に置くのがよい。その上、敵を見下ろせるような場合は、少しでも高い方がよく、室内にあっては上座の方が有利な展開が出来るからである。

 殿中武術では、「上座」と「下座」の位置を煩(うるさ)くいい、「上座」を優位な位置と考える。これは明かりを背にすることが出来、あるいは敵から見て障害物を背にすることが出来、右脇に光源を置くことが出来るからである。また、上座に位置すれば、太陽からの「透かし」が可能になり、「天子は北に配し、南面す」という位置を占めることが出来る。これはある意味で逆行の太陽となるが、「透かし」を得る為には、太陽の照り返しにより、室内にあっては「北に配し、南面す」という位置が大事になり、また、野外にあっては陰陽が正反対になるので、太陽を背にした方が断然有利になる。
 したがって、室内と野外とでは、光の用い方が大いに異なっている。

 そして、光とともに、この戦闘思想は、イザ戦いとなって、敵を追尾するときには、左側に追い込むことが出来るからである。更に、「崖縁などの難所」や「後がない位置」や「足場の悪いところ」が、敵の後ろになるように追尾できるからである。そこに、敵を「左側に追い込む」ことの極意がある。これは室内にあっても、野戦でも同じである。

 さて、追尾した結果、敵が難所にかかったとき、こうした場合は、「場」を見ぬことである。「場」を一旦見てしまうと、敵も辺りの様子を観察する余裕を与えてしまうからである。「場を見ぬ」とは、敵に辺りを観察させないことであり、烈(はげ)しく追い詰めることが大事となる。

 室内においても、敵の敷居、鴨居(かもい)、襖、障子、雨戸、縁側など、更には柱の在(あ)る方に追い詰め、敵に辺りを見渡すことが出来ないほど、余裕を与えぬことである。そして自分が、対峙した環境の上で、敵より有利な環境を作り出すことである。

 白扇術の極意は、もともと軽い白扇を、「軽い物を重く使う」ことを極意する武術である。その為には白扇を用いる術者の心理として、わが位置を少しでも優位に置き、環境の状態をよく認識した上で、これを活用し勝利に導く工夫がいるのである。
 工夫なくして、武術の教えんとする「道」に辿り着くことは出来ない。

 

●他力一乗の妙儀

 一般に、武術や武道などと称すると、そこには表だけではなく、裏の技があり、更に奥儀とか秘伝とかが存在していると思わせ、これを素人に錯覚させている実情があるが、奥儀とか秘伝とかは、「創意工夫からなることを総称した名称」であり、工夫のないものには、奥儀であっても、素人の素早さに敗れてしまうものである。

 したがって、創意工夫が伴わない武技に、ただ伝承されるだけで、奥伝とか秘伝とかは存在しない。こうした名称は、知っているだけでは何も役に立たないのである。単に伝承から興る「名称」に過ぎないのである。

 則(すなわ)ち、便宜上は奥儀とか秘伝とか、尤(もっと)もらしいことを並べ立てて、こうした呼称で「誓紙罰文」を決め込んでいるが、これは一種の方便に過ぎない。したがって、創意工夫の伴わない伝承武道は奥伝もなければ、また秘伝もないのである。
 優越感に浸り、一方的に極意秘伝などと称しているが、「誓紙罰文」を餌(えさ)に、後世の伝承者が誓約させられているに過ぎないのである。にもかかわらず、奥伝や秘伝を餌に、門人を釣り上げている武道団体は少なくない。これこそ形式主義の愚に染まる、悪しき仕来りの最たるものであろう。

 「誓紙罰文」からなる奥伝文書や、秘伝などの但し書きは、その象徴として「極意」という言葉が大いに用いられるが、実はこの極意も、創意工夫の伴わない形式主義の伝承物は、単に骨董品に過ぎない。その証拠に、骨董品では、イザ、敵と渡り合うときには、いま表の技で戦っているとか、裏の技で戦っているとかの区別はつくものでない。

 したがって、奥伝や秘伝の言葉に安易に振り回されるのではなく、「地道に研究する」という自分自身の創意工夫が必要である。則ち、初心者技でも実戦には幾らでも有効な技は多々あり、逆に実戦には遣いようもない、時代錯誤の奥儀や秘伝も多々あるのである。

 奥儀や秘伝を学んだからといって、自分で理解できず消化不良の場合は、これを知っていても何の役にも立たない。したがって「知っているだけ」というのでは、武術の「術」の面からすれば、その機能性や普遍性を失っている。
 つまり、武術というものは体験を通じて理解していく武芸であるから、体験をせずに畳水練で、習って伝承媒体を奥儀だとか秘伝だとか言っても始まらないのである。

 肝心なのは伝承媒体を更に研究し、これに創意工夫を積み重ねて、伝承という骨董品状態から抜け出すことにある。骨董品のままでは、奥儀だとか秘伝だとか豪語しても、やはり骨董品である。

 武芸は体験により理解していくものである。したがって、「体験する行為」の中に、これは初心者技で、これは秘伝に属するものだという、分類は出来ないはずである。こうしたこのに、「奥」だとか、「入口」だとかの区別はない。

 例えば、これまで山行(やまぎょう)や山稽古を充分に遣った人なら分かることであるが、頂上に至るルートは、それぞれの入口から何種類もある。また、山の奥に入り込み、更に、奥へ奥へと向かっていた積りが、いつの間にか元の入口に戻っていることがある。

 これを武芸に例えるならば、奥儀と思っていた技が、稽古を遣っていくに従い、いつの間にか基本技に戻るのである。この現実は、武術や武芸の、例えば奥儀に置き換えた場合、何れの道にも「奥儀」といわれるものを必要とする場合の、新たな妙儀が出現するだろうか。

 つまり、妙儀(みょうぎ)において、初心の心得が要(い)る、あるいはそれ以上のものが要るというのは、その場その時の、「出たとこ勝負」であり、つまりは「他力一乗(たりきいちじょう)に回帰するものである。「他力一乗」が総てを決定するのであり、その場その時を決定するのは、奥儀や秘伝でないことは明白であろう。
 則(すなわ)ち、何を奥儀・奥伝とし、秘伝とするか、決定できないのである。

 敢えて、その場その時を決定するのは、「他力一乗」に任せることが、創意工夫した挙句の妙儀であり、結局妙儀とは、「他力一乗」が為(な)せる業(わざ)であることが分かるであろう。

 ちなみに奥儀や秘伝を建前とした中世から近代に掛けて、芸道の多くは秘伝などの言葉で自流を自己宣伝し、それを芸道の真髄と称した時代があった。これは兵法とて例外ではなかった。

 兵法における伝承方式は、最初、「口伝」によるものが主体であった。ところが時代を経るごとに、その奥儀内容を文章に認(したた)め、それを受け継ぐひと握りの門人に、密かに伝授するのが常となった。多くの場合は一子相伝を旨とした。

 その場合、その人の実力や人物調査を充分に行い、伎倆(ぎりょう)や人間性を認めた上で、秘伝の内容を一切他言しないことを誓わせ、「誓紙罰文」の誓約書を書かせ、それに血判を押させるということが専(もっぱ)ら行われた。この場合、勿論謝礼も取るし、免許皆伝などに当たっては、そのお披露目も盛大に遣(や)る。

 しかし、こうした様式が次第に複雑になり、逆に「旦那芸」といわれる金持ちの豪商などを相手にした流派は、理財に趨(はし)ることに専念し、実力や伎倆といった内容が空虚なものとなって、形式主義の伝承という形をとり始めるのである。
 つまり、伝承方式が形骸化し、内容の薄っぺらな「誓紙罰文」だけが独り歩きを始めたのが、今日に伝わる奥儀といわれるものであり、秘伝といわれるものなのである。その意味からすれば、こうしたものの中に、「他力一乗」を教える妙儀【註】簡単に言えば、実戦における「出たとこ勝負」の妙)など含まれていないことは一目瞭然であろう。

 則ち、形式主義である為、「誓紙罰文」の中には、地道な研究を重ねて、創意工夫の切磋琢磨(せっさたくま)が説かれていないためである。


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