■ 宗家直伝・個人教伝 ■
(そうけじきでん・こじんきょうでん)
●日々死を心に充てて暮らす
徳川三代将軍家光の頃に、柳生宗矩(やぎゅう‐むねのり)という将軍家剣術指南役がおりました。宗矩は凄腕(すごうで)の剣士です。この凄腕の剣士のところに、ある武士が入門を請(こ)うて遣(や)ってまいりました。
このとき宗矩は、この武士を一目見て、次のように言いました。
「ご貴殿は一流の流儀を会得し、それに達した方とお見受けする。その方が、なにゆえ、わが流に入門されようとするのか」
この武士は頭を低くして更に言葉を繋(つな)ぎます。
「それがしくは、一度も武芸を修行した事がありません」
毅然と言い放った入門志望の武士に応えて、宗矩は不信に思いつつも更に言葉を繋げます。
「武芸の修行をしたことがないなどと、何を言われるか。ならば、予を試しに来たのか。予は将軍家指南役を仰(おお)せつかう柳生宗矩じゃ。予の目の謀(たばか)ることは出来ぬぞ」
こう言って宗矩は、この武士に構える姿勢を示しました。
この武士は、生まれて以来の自分の素性を淡々と語り始めます。
「それがしは子供の頃から、武士は命を惜しんではならぬと、父母から厳しく言い聞かされて育ちました。それがしは、いつもこのことばかりを心に掛けて、今では、死ぬことを何とも思わなくなりました。この他に思い当たる事は何も御座いません」
入門を願い出た武士は、宗矩に心の裡(うち)を打ち明け、そう応えたのでした。
宗矩は、これを聞いてたいそう感心して、
「兵法の極意は、まさにその一点に尽きる。これまで予には数人の高弟がいたが、誰一人として極意を許した者はいない。ご貴殿は、予の門に入り、あらためで剣術を学ぶ必要は御座らぬ」
宗矩はそう言って、この武士に『柳生新陰流』の免許皆伝の巻物を与えたと言います。
その後、宗矩はこの武士の事を、門弟達に次のように語ったりました。
「大剛になし。死生(しじょう)の悩みを解脱した人は、まさに真人であり、この人はもはや武術の必要などない」と。
武術の修行は、本来武士階級によって修練され、血と汗によって伝承され、それが日本の伝統武術になってきたわけです。そして、この根底にあったものは「殺さねば、殺される」という素朴な死生観でありました。生と死を超越し、生に固執しない態度です。この態度をもって、まっしぐらに敵の心肝に突入するのが武術です。自分の生き死には関係ないのです。
一撃により、忽(たちま)ちに首と胴が離れるのが武術です。必死必殺の「道」が武術なのです。この必死必殺において、何を迷うことがありましょうか。
江戸中期、口述によって著された『葉隠』(【註】山本常朝(やまもと‐つねとも)の口述書)には、「日々の毎日を、常にわが死に充てて暮らしたら、その一日は新鮮になる」と説かれています。
つまり要約すれば、「もし明日、自分が死ぬとしたら、残る時間を一体何に使うだろうか」と問い掛けているのです。そして、その残された時間に使われる、その一瞬一瞬は、実に新鮮なもので、更には有意義なものでないだろうかと問い掛けているのです。
人間は、自分に死が迫っていて、死ぬそれまでに使う時間を何よりも大事にします。どんな人でも、この残り時間を何よりも大事にし、最大の努力を払って有効に使おうとします。
1985年8月12日、東京発大坂行きのJAL123便は520人の乗客乗員を乗せて、群馬県の御巣鷹山中に墜落しました。実に痛ましい事件でした。この事件は、まだ私たちの記憶に新しいところです。
事故が発生して、墜落するまでの約30分間に客席では様々なことが起こり、その中でも遺族に宛てたメッセージは言葉少ないものでしたが、大きな愛に溢れたものでした。
墜落していく飛行機の中で書かれた、血染めの家族宛の遺書は、僅かに一通で、言葉少なく書かれているものの、それは重々しい命令書に似た観があります。この血染めの遺書は、受け取った遺族が、その人の遺志に従って生きることを誓わせる大きな物を持っています。おそらく、こうした遺族の子供の中からは、ぐれるなどの子供は出ないはずです。また、そう信じたいものです。
それは一通の血染めの遺書が、残された家族に宛ての最大の愛で包まれているからです。墜落までの約30分間、同じ機内に乗り合わせた人は、人生の中でもっとも貴重な時間を過ごしています。それは計り知れない、想像を絶する苦しみや恐怖があったとしても、もっとも充実した、最後の数分間を有意義に過ごしたと言えるのではないでしょうか。
これはまさに、吉田松陰の処刑の一日前の夕刻に書かれた『留魂録(りゅうこんろく)』を髣髴(ほうふつ)とさせます。
私たち現代人は、物質界の多くに魅了されどおしで、普段見るべきものを見ず、認めるべきものを認めず、怠慢で怠惰な時間を過ごしているのではないでしょうか。放縦な日々を送り、今日の不摂生を、明日あらためればいいなどと先送りし、そのくせ、明日になってもその不摂生を改めようとしない、先送りの考え方で、いつも「明日がある」と考えているのではないでしょうか。
しかし、こうした考え方は幻(まぼろし)に過ぎません。
大事なのは、「いま」であり、「今、この一瞬」にあるのではないのでしょうか。
その為に、生命そのものの本当の意味を見失い、人生すら見失っているのでないでしょうか。この見失いの、見逃しだらけの人生では、益々自己の価値を低くするばかりです。
人間の生命には明らかに、その意味があることは明白です。したがって、生命そのものに一つの意味があるとするならば、また、生命の付随する「苦悩」も一つの意味を持ったものであるに違いありません。苦悩が何らかの形で、付属しているならば、またその人の運命も意味を持っているわけで、同時に「人の死」も大きな意味を持っているのではないでしょうか。
こうした事から考えると、人間の前に立ちはたかる「苦難」と「死」は、人間の実存を、初めて一つの全体像として顕す、有意義な生命の形であるということが分かります。
●恥辱に対する感覚に敏感になれ
犬死することを「死に恥」と言いますが、生きながら、自分の恥ずかしい行為も気付かずに、長々と生きることを「生き恥」と言います。世の中には、この生き恥を掻(か)いている人が、何と多いことでしょうか。それも、自分が生き恥を曝(さら)している事に気付きません。
人の揚(あ)げ足を取り、弱者を甚振(いたぶ)り、無知な者を洗脳して我田引水(がでんいんすい)を働き、自ら求めて賄賂(わいろ)を要求し、こうした物が大手を闊歩して歩いている一方で、正しいことを言っても、あるいは事実を言っても信用されず、
人間はどんな境遇に追い込まれても、心の遣い方を忘れてはなりません。絶体絶命の窮地に立たされても、諦めずに、更には安易に妥協せず、「死の道を尽くす」という「最後の気持ち」を持つと、これまでの心を悩ませ、迷わせ続けていた気持ちは、以外にも落ち着くものです。
問題なのは、窮地(きゅうち)に立たされても人を裏切ったり、寝返ったりしないことです。信と義の「士」であることが、武術修行には求められるのです。したがって、自分の最期(さいご)に当たっては、「恥ずかしい死に方」だけはしないようにしなければなりません。
そして、座して死ぬのも、行動を起して死ぬのも同じ結果が出るのなら、起死回生に賭(か)けて、安易な生に縋(すが)るのだけではなく、やはり行動を起すことに賭けて、一世一代の男の心意気を見なければなりません。土壇場では、安易に消極的になってはなりません。後がないと分かっていて、見苦しく振舞うのは醜態の限りです。死を顧みず、毅然(きぜん)とした行動を起すべきです。
こうした場合に陥った時に、「どう生きたかいいか」、これを具体的に教えているのが陽明学なのです。
陽明学は、問題などのトラブルが発生した時や、非常事態や有事が起った時こそ、自分を鍛える最大のチャンスであると教えているのです。この好機を、陽明学では「事上磨錬(じじょうまれん)」といいます。
●なぜ陽明学が必要なのか
一見、学問と武術は無関係のように思えます。したがって、武術を学ぶのに、なぜ陽明学が必要なのかと思う人がいるかも知れません。
また、武術は強くなる為に練習するのであって、教養の一貫として学問など学ぶ閑(ひま)があったら、もつと練習をした方がいいという人がいるかも知れません。
さて、武術の発祥は武士団の興りとともに起源しました。そして武士団の興(おこ)りの中で、武士階級はその時代の最高の教養人となっていったのです。
更に武術修行は常に死と隣り合わせにあり、武士階級に要求されたことは、如何にして死生観を克服するかにありました。その儒学的背景にあった学問が、陽明学でした。江戸封建時代の中枢を為した幕府奨励の学問は、朱子学でしたが、朱子学は体制側の学問だけに多くの矛盾を抱えていました。この矛盾を解決する為に、同じ儒学から発生した陽明学に目が向けられることになります。
つまり、武士の行動原理を、何に求めるかと言う課題に対し、陽明学に目が向けられていったのです。
さて、一般に陽明学などというと、怪しげな光芒を放つ学問ではないかと、陽明学を知らない人は思ってしまうようです。それは、古くは江戸末期の「大塩平八郎の乱」を起した大塩中斎(おおしお‐ちゅうさい)や、近くは「三島事件」を起した三島由紀夫らが挙げられ、陽明学と縁を持つ人達は、総て悲劇的な死を想わせることが起因しているようです。
確かに陽明学の「知行合一(ちぎょうごういつ)」の思想は、止みがたい行動律と志向性が包含されていて、それが結果的に「乱」を起すような側面があったことは否めませんが、必ずしも無謀な暴走・暴発へと向かうものではないからです。その事は、陽明学の祖・王陽明が、優れた戦略家であり、戦略の観点から陽明学の中枢をなす「知行合一」や「事上磨錬(じじょうまれん)」を説いているからです。
陽明学をあらためて見詰め直す場合、陽明学の魅力とは何かと申しますと、おおよそ次のような精神の躍動(やくどう)に辿り着くのではないでしょうか。
「数町歩の水源のない池の水となるよりは、わずか数尺に過ぎなくても、滾々(こんこん)と湧き出る、尽きない井戸の水になった方がマシである」
これこそ、「主観燃焼」の最高の思想ではないでしょうか。歴史を見直すと、人間の歴史の中には、「主観燃焼」の止みがたい行動律が、ひしひしと表現されています。
それは山鹿流兵法軍学師範であり、また陽明学者であり、萩・松下村塾で教鞭(きょうべん)と取った吉田松陰にも同じことが言えます。
『ヨハネ伝』(第12章24〜25)には、次のようにあります。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在(あ)らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。己(おの)が生命を愛する者は、これを失い、この世にてその生命を憎む者は、これを保ちて、永遠の生命に至るべし」と。
志を抱き、誠に生き抜いた人は、死によって愈々(いよいよ)広く、そして愈々高く生き返り、一方、生をまことに為しえなかった者は、死もまた、本当の死に至らしめないのです。
吉田松陰は『留魂録(さんこんろく)』(【註】処刑前日の夕刻に大急ぎで書かれた手記)
で次のように述べています。
「私は今年30歳になった。しかし一事の成功も見ることなく死を迎えようとしている。これは穀物が花をつけず、実をつけないのに似ている。その点においては悔(くや)しい限りだ。しかし、私の身について言うなら、今が花が咲き、結実の時機(とき)なのだ。これに何を悲しむ必要があろう。
何故なら、人の命のいうものは、はっきりと定まっていないからだ。また、穀物のように必ず四季を巡るものでもない。
いうならば10歳で死ぬ者は、その10歳の中に自ずから四季と言うものが存在し、20歳の者は20歳の中に、30歳の者は30歳の中に、それぞれの四季が在り、一方50歳や100歳の者は、50歳や100歳の中に四季を有するのである。
10歳で短すぎると言うのは、ヒグラシをして長生の樹木たる霊椿(れいちん)たらしめんとするようなものであろう。また100歳の長いと見るのは、霊椿をヒグラシに例えて、これを比べるようなものであり、いずれも天から与えられた寿命に達しないと見るようなものだろう。
私は30歳を迎え、その中にはすっかり四季を備えることが出来た。花も咲き、30歳で実も結んだ。しかし、その結んだ実が、籾殻(もみがら)なのか、粟(あわ)であるのか、それは私の知るところでない。
同志諸君の中には、私のささやかな真心を憐れみ、私の志を継いでやろうと思うなら、それは後に蒔かれる種子が絶えないで、籾殻が続けられていくと言うことを顕すのだ。
同志諸君。どうか私の言わんとすることを、よく考えて欲しい」
吉田松陰は、刻々と迫り来る死を迎えながら、その死の影と対決し、それを克服しようと努めます。
さて、人間が死を前にして求めるものがあるとするならば、それは宗教に帰依することではないでしょうか。この事は、死を目前に控えている死刑囚の回顧記録などからも、その事は窺(うかが)われます。そして、いかに生から死に切り替え、死生観を超越することが難しいか、克明に記されています。そこで彼等は宗教へ帰依して、死の恐怖を克服しようとするのです。死から、救いの手を宗教に求める要因は此処にあります。
ところが吉田松陰は、この時、神仏に救いの手を求めていません。神仏には一言も祈りの言葉を捧げなかったのです。その代わりに、強い志と、知性によってこれを克服しようと格闘した後が『留魂録』には窺われるのです。そして『留魂録』を著すことにより、遂(つい)に死生観に達し、それを超越するのです。
この時、吉田松陰が結んだ実は、決して籾殻などではなく、まさに見事なまでの「一粒の麦」だったのです。その事は、後の歴史が証明するところです。この松陰の生き態(ざま)はまさに、イエス・キリストを髣髴(ほうふつ)とさせるではありませんか。よく生きたと言うべきでしょう。
こうしてこれまでの、日本陽明学の祖・中江藤樹(なかえ‐とうじゅ)に始まる日本の陽明学は、まさに「知行合一」と「事上磨錬」にその源を求めることが出来、「わずかな数尺に過ぎない滾々と湧き出る、尽きない井戸の水」を連想させるではありませんか。
人間と言うものは、日常生活において、自分を磨いていかなければなりません。そのことを「事上磨錬」は顕しているのです。そうすれば、確立した自己を養うことが出来、平時であろうが戦時であろうが、いついなかる事態に陥っても、冷静に対処できるものなのです。
この事は、まさに吉田松陰が処刑の前日の夕刻に書いた『留魂録』に、克明に記されているではありませんか。
まことに、よく生きた足跡が『留魂録』であり、此処には迷いや悩みは一切感じ取れません。実に清々しい雰囲気が漂っているではありませんか。
まさに松陰は、陽明学によって精神を鍛錬した人と言うことがいえます。
陽明学にはこのような実学の側面もあり、結局陽明学を知らない人が恐れるような、また怪しむような、危険思想でもなければ、単なる理想論でもないのです。
実学としての実践的なアドバイスが、陽明学の中には多々含まれ、人間が人生を生きていく上で、随分と役に立つ学問であることは間違いありません。
そして陽明学が求める人生の課題は、次の通りです。
1.意味のある人生を送ること。
2.楽しみのある人生を送ること。
以上の二つは、人生のおいて非常に大事な事柄です。この二つの事柄を機軸に、「意味のある人生をどうしたら送れるか」ということを説いているのが陽明学なのです。
また、陽明学によれば、人間が誰でも素晴らしい潜在能力を持っていて、この能力を磨くことこそ、人生の最大の課題であるとしているのです。これは「事上磨錬」の考え方です。日々精進し、絶え間なく磨くことで、その能力が発揮されるとしてのが陽明学なのです。
私たちが生きる、現代と言う世の中を見回してみますと、物質的な側面ばかりが過大評価され、金持ちや芸能タレントが英雄視される世の中です。したがって、誰もが一億総タレントを目指して奔走しますし、芸能界と地続きであるスポーツ界に憧(あこが)れて、これに狂奔しようとします。その為、世の中の構造は次第に肥大化し、氾濫(はんらん)する情報の中で、人間が埋没しそうになっているのが、昨今の実情です。
こうした側面をよく観察すると、鈍重で肥大化した組織の実在に、現代人は訳も分からず圧倒されているようですが、その一方で、個人の役割は著しく矮小化されている現実があります。そして多くの人が、そこで追求するものは、ただ物質的か快楽を求める、金・物・色ではないでしょうか。
こうしたものだけを人生の価値観において、これに狂奔することは、実に愚かしいことです。こうした時代で、こうした世の中であるからこそ、私たちは「人間性の復権を説く陽明学」に学び、それを社会で実践していくべきだと考えるのです。
陽明学の説く「知行合一」を簡単に説明すると、痛みを知るにしても、自分で体験してみて初めて知ることが出来ます。また、寒さや飢えを知るにも、それを自分で体験してみて、それが感得できます。
一方、知っていながら「行わない」のは、まだそれを知らないのと同じことです。つまり、「行うことが、知るという」ことなのです。したがって、机上の空論でひねくり回す、思考の中からは何一つ、学問や修行に役立つものは生まれないと言うことを、切に説いているのです。
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▲王陽明手蹟
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また「事上磨錬」も、次のように説いています。
「朋友に処するに、務めて相下れば則(すなわ)ち益を得、相上げば則ち損す。処朋友、務相下則得益、相上則損」
要約すれば、友人と付きあうとき、相手から良い面を学ぶように務めればそれは得になるが、相手を見下すような傲慢(ごうまん)な態度で付きあえば、相手も見下されていることに反応するから、そこで触れぬものは総て「損の要素ばかりである」というのです。
本来友人と言うのは、切磋琢磨(せっさたくま)の関係にあります。お互いに磨きあって進歩していくものなのです。この進歩の中に、後天的な人間形成をする要素が含まれています。つまり、相手から学ぶことにより、その結果、自分がより一層磨かれ、一方、相手の短所は出来るだけ目をつぶり、長所を吸収するように務めよというのです。
人間関係においては、あらゆる面で「お互いが砥石(といし)である」ということがいえます。
次に陽明学は、「心の鏡を磨け」と教えます。
陽明学は、師匠の王陽明(おう‐ようめい)と弟子・陸澄(りくちょう)の会話などが、『伝習録(でんしゅうりょく)』などに記されています。
「先生、聖人はどんな事態にも柔軟に対処できるといわれますが、これは物事に対する洞察力が優れているからでしょうか」と陸澄は質問します。
これに応えて王陽明は、
「いやそうではない。聖人と雖(いえど)も、それほど洞察力に恵まれているわけではない。聖人は、ただ心を明鏡のように磨いて、澄んだ状態にしているだけに過ぎない。わが心の鏡に、明るさをもってそれを照らすことが出来るからだ。したがって明鏡には、自(おの)ずと反応するものが生まれる。
過去の映像が残っているのに、未来の映像を先取りすることは出来ないのだ。先取りしようとするならば、過去の映像を一旦消去しなければならない。
ところが後世の学者達は、まだ現れもしない映像までもを映し出そうとして、聖人の学問とは違ったものとなってしまった」と、一応、これまでの、同じ儒学から出た朱子学を批判した上で、次のように話を進めています。
「昔、周公(しゅうこう)は礼楽(れいがく)を制定して、この世の中に文化を齎(もたら)した。しかし、これは聖人ならば、誰にでも出来ることだ。ところが、聖人の堯舜(ぎょうしゅん)はそれを遣(や)らずに、後世の周公に任せた。また孔子も、『六経(りくけい)』を作って世に広めたが、これも聖人ならば出来ることである。ところがである。周公はこれをあえて遣らずに、後世の孔子に委(ゆだ)ねた。何故だと思うか。
聖人と称された人達は、時々の時勢を必要とするものを、必要に応じて処理しただけに過ぎなかった。こうしたことが出来るのは、心の明鏡だけであり、彼等が心配したのも、心の明るさだけであった。つまり、それ自体を照らし出せるかどうかは懸念(けねん)した痕跡(こんせき)がなく、心を明るく照らすことのみを修行の目的としていた。心を明るくする為には、修行を積んで心を磨いていかなければならない。何よりも憂いべき問題は、事態の変化が洞察できるか否かなでなく、明るくする為に心を磨き続けると言うことである」
つまり師匠である王陽明は弟子に、「事上磨錬」の大事を説いているのです。
そして王陽明は次のように指摘しています。
「静かな環境ばかりに気を取られて、克己の修行を怠ってはならない。これを怠ると、いざという時機に、事に対処する心は忽(たちま)ちに動揺を起す。人間と言うものは、本当は深山幽谷などに籠(こ)もって静寂を求めて修行するのではなく、一般の日常にあって、その中で確立した自己を求めなければならないのである。自己を磨けば、静時であろうと、動中であろうと、そうした表面の変化には惑わされることはないのである」と、締めくくっています。
事上磨錬の「事上」とは、日常の生活や仕事を指しているのです。したがって、事上磨錬が確立されておれば、日常は非日常に変わり、平時が戦時になっても、心は動揺するものではないと説いているのです。
この事は、武術を修行する上で、最も重要な事柄の一つです。自分を鍛えることは、まさに事上磨錬に他なりません。
ただ、本を読んだり、論理的な知識のみを吸収だけで、修行の度合いが進歩行くわけでもありません。やはり自分の躰(かだら)を通して、体験し、その体験の中に自分を鍛える有力は方法があるのです。
したがって、事上磨錬から学ぶ有力な智慧(ちえ)は、単なる知識階級が唱える、知識のそれではありません。知識の習得は単なる知識レベルのみに止まるものであり、生きた生活の智慧にはならないからです。
生きた智慧を身に付けるためには、日々実践し、自ら厳しい実体験の中に身を置いて、それを積み上げ、地道に精進しなければならないことが事上磨錬には説かれているのです。
陽明学の言う事上磨錬は、日々精進の実践や「信」と「義」を貫く、志の高さにあるといえるでしょう。
しかし、同じ人生を生きながら、現象人間界ではその多くが、普段は自分に希求する志が宿っているにもかかわらず、それを眠らせたままにしている人が少なくありません。利己的な感覚で、目先の安全、快楽、仕事、恋愛、物品や金銭ばかりを追い求め、健康や平和の享受を受けながら、その一方で肝心な心の眼を開き、確固たる志を明確にしません。これにより、真実の眼を開く機会は永久に失われます。
●人生の目的が金であったり、色であったりする、世知辛い現代の世にあって
人は何の為に生きているのでしょうか。あるいは何の為に、人は働いているのでしょうか。
「人生とは何か」という疑問を投げかけたとき、こうした数々の疑問が浮上してきます。そして今、この世の中を覆(おお)いつくしているのは、金銭を稼ぐことへの利潤追求の合理主義であり、また、享楽の限りを尽くす快楽主義の価値観です。
現代社会が一億総タレント時代といわれる所以(ゆえん)も、スポーツや芸能で有名人になり、多くのお金を稼ぎたいという金銭欲が、現代人をスポーツや芸能の世界に惹(ひ)きつけているのであって、その背後には、実は幸福感や勝利感が、物質を主体とした価値観のみに存在しているという、錯覚の上に成り立っている現実があるのです。
利潤追求の合理主義の価値観は、人生は総(すべ)て金儲けであり、ビジネスこそ、人生に生き甲斐を与える原動力であると感じて、富豪への野望を企む連中が居る一方、こうした人生に厭世観(えんせいかん)を感じ、虚しいから享楽に興じるという相反する快楽主義の価値観が対峙(たいじ)しています。
合理主義を掲げ、ビジネスに奔走する生き方では、世の中の総(すべ)てを、金銭の持つ数字に求め、貯金通帳の「「数字のケタ」を殖(ふ)やすことに狂奔します。
その一方で快楽主義は、人生の値打ちを「享楽」に求め、「幸せとはなにか」という命題に向かい合ったとき、どれだけ多くの享楽を享受し、その恩恵に預かったかという、異性との交わりや、あるいは同性との交わり(昨今はアメリカ社会などを見ても分かるように、高学歴で合理主義に徹し、多忙中にあるビジネスマンが「ビジネスパートナー」と銘打った同士に、急速のホモの兆候が現れている。また、同性愛者の人権の為に狂奔する社会は、日本にも押し寄せて大流行の一途にある)で、いかに享楽に現(うつつ)を抜かしたかという数量的なことで、自己表示している優越があります。快楽主義者は自分の性的欲望を充(み)たし、人生の満喫度をその価値観に求めます。
そして両者は「ホモ」という一点において、共通の価値観を見出しているようです。この価値観こそ、現代の社会現象を克明に表した現実といえましょう。多忙に追われる世知辛(せちがら)い世の中が、様々なストレスを生み出しているのです。
つまり、この現実の中には、酒の酔いと、恋愛に慣れ親しむ、性的欲望を充たす為の「享楽」と、合理的に金を稼ぐ「数字のケタ」と、それらを統括する「野望謳歌(やぼうおうか)」の三部曲で構成されていることが分かります。この三部曲は、一種の「特権」のようなもので、その背後には権利を主張する特権主義が見え隠れしています。
しかし、こうした特権のそれぞれである、近代的享楽も、合理主義に徹した金儲けも、あるいは新しく生まれて、その時代を風靡(ふうび)しても、みな消えていくものばかりであり、ここには「永遠」というものが存在してないことに気付かされます。その時代だけのものなのです。時代が変わり、歴史が変われば、その時代を風靡した価値観は変わり、何の価値も持たなくなります。
また、幾ら金儲けをしても、その儲けた金で贅(ぜい)を楽しむのは、結局自分が生きている間だけであり、また快楽にふけっても、その享受できる間は、これも自分が生きている間だけであり、然(しか)も高々90年程度の短い人生の中で没していくことになります。
中国のある詩人の句に、「死後千載(せんざい)の名を得よりも、生前一杯の酒に若(し)かず」というのがありますが、これこそ享楽の中に身を浸し、ただそれだけの人生観を以て、潰(つい)えていく虚しさが、句の何処かに漂っています。つまり、「生」は虚しいから、享楽や快楽に興じるという考え方です。
しかし、こうした快楽主義と合理主義の裏側に、自分自身を深く掘り下げて、「自己完結」を目指して生きていく考え方があります。
人間は、もともと未完成な生き物です。未完成なるが故に、なお一層の完成に近付くことを目指し、これに邁進(まいしん)して行く生き方を模索する生き物でもあるのです。
ある小説に、男女二人の快楽主義とは一味違う「幸福論」を説いたものがあります。そこには相思相愛の一組の男女が出てきます。その男女はとても貧しく、貧しいけれど、幸福になることを目指して、二人で強く生きていくことを誓い合い結婚します。
しかし、世の中は愛情だけでは生きられず、また、高学歴や特殊技能のない彼等が生きるには余りにも凄惨(せいさん)で、世の中はそんなに甘いものではありません。仕事を求めても、ワーキング・プアーの範疇(はんちゅう)を出るものではありません。
妻になった女性は、貧しさと、終生の病弱が崇(たた)り、夫を支える為に内職を試みても、なかなか思ったようには金銭を稼ぐことは出来ません。
夫は夫で、少しでも高い給料の貰える危険な力仕事を進んでやる現場を選び、危険と隣り合わせの重労働に、厭(いと)いもせず、身を粉にして働きます。
ついに夫は大怪我をし、また妻は病弱の為に、床に伏せる生活が余儀なくされます。手当てする者も居ず、薬を買う金も無く、怪我を伴い、病気を伴い、実に惨めな生活です。そして、二人とも不幸せのまま、やがて死を迎える時期が遣(や)ってまいります。二人は自分たちの死を前にして、次のように語ります。
「私たちは幸福になろうと、二人で力を合わせて、自分の能力で出来る範囲の努力をした。しかし、学が無く、技能が無く、遂に幸福にはなれず、いま目前に死を控えている。しかし、幸福になろうと二人で力を合わせ、“幸福に至る道”を歩いたということは、そのこと事態が実に幸福であった」という言葉を残し、貧しい床に伏せて死んでいきます。
ここで私たちが感じさせられることは、人生において「幸福に達したか」、「否か」ということは、余り問題では無いように思われます。幸福を勝ち得たか、勝利を勝ち得たか、それはその人の運命が決定することで、人間は「運」という因縁に何処までも支配される生き物ですから、その人が幸福者か、勝利者かは、「運」の一語に尽きることであり、実は「幸福者の道」あるいは「勝利者の道」に向かって歩くことが大切な価値観であって、幸福になりえたか、あるいは勝利者になりえたかは、その路程を歩く結果であり、価値観はここには存在していないことが分かります。
つまり、「歩んだ」という行為そのものが、幸福であるか、勝利であるかなのであり、物質的幸福の象徴である、プールつきの大邸宅に住んだり、勝利の表彰台に上ることではないのです。
問題なのは、行為という中にあり、「生を充たす」という生き甲斐に、人生の価値観があるのです。ここに「生きてて良かった」という感想が湧(わ)き、裏を返せば、そこに幸福の実感や、勝利の実感が既に横たわっているということに気付かされるのです。
人は「行為」の中にのみ、幸福感や勝利感を味わうことが出来、既に終わってしまったことの中には、それらの価値観は存在していないことが分かります。
私たちは、幸福や勝利というものを、しょっちゅう「外」に求めています。しかし、こうした物は外に求めるのではなく、自分の内に求めるべきで、外に求めたものは単なる物質であり、外によって作り出された「幻(まぼろし)の幸福」や「幻の勝利」なのです。「幻」では、実体が無いので、やがては消えていくことになります。
一世を風靡してもそれは過去の遠い記録となり、人々の記憶から忘れ去られていきます。ここに虚しさの、「虚空」が漂っているように思えます。
しかし、「人間の行為」というものは、その思念と行動原理を伴うものですから、それは未完成であっても、完成に向かう歩みを行っているのですから、その「歩み」は完成したものと同義です。ここに、「人間は自己完成に向かって歩く生き物である」という実態が浮かび上がってきます。
単に武技の修練は、敵を斃(たお)す為に奔走するものではなく、あるいは何者かと争い、格闘で勝つものなのではなく、自己完結性を高めていくものなのです。日々の修練を通じて、「自己完成」に向かって、「歩みを行う修行」が、つまり「道」なのです。そこに、武技は、修行と一体の「道」が見えてくるものなのです。
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