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現代に生きる武士道集団
西郷派大東流シンボル

西 郷 派 大 東 流 の 武 術
1.柔 術
2.合気柔術
3.合気之術
4.剣 術
5.居合術
6.居掛之術
7.腕節棍
8.杖 術
9.棒 術
10.槍術・銃剣術
11.薙刀術
12.合気拳法
13.白扇術
14.合気二刀剣
15.手裏剣術
16.馬 術
17.山稽古
18.据物斬
19.高齢者護身術
20.女子護身術
21.小刀術
22.飛礫術
23.弓 術
24.鉄鎖・縄術
25.毒 術

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●西郷派大東流の武術体系

 現代は、「史上最強」と称される外国勢格闘技が、まるで竹の子が竹林から伸びるように、次から次へと出てきている。これまで、大東流は優れた技を集積し、ある意味で、柔道や空手やその他の素手の格闘技に対しても、“合気”で対処でき、その戦闘力において強いと信じられてきた。
 ところが、これが幻想であったことに気付かされる実情が起り始めている。また、大東流が、「柔道の絞め技で落とされた」という敗戦記録もある。これについては後ほど述べる。

 最早(もはや)こうなれば、老武術家が、筋肉隆々の若手格闘選手を相手に、ボロ雑巾のように投げ放つ事もあり得なくなるだろう。そうなると“合気”の標榜(ひょうぼう)は、いっそう幻想さを増すようにも思われる。あるいは現代武術の中には、「老よく、若を投げる」というのは幻想かも知れない。

 また、昨今はバーリトゥードなどの、無差別格闘技の空前の大ブームもさることながら、大東流の著名な某大師範が、打撃系の若手選手を挑発して、試合に挑み、30秒でノックアウトされたことがインターネットに流されたという理由からでもあるようだ。
 では、なぜ30秒でノックアウトされたのか。それは大東流が、近代武術的な構成を持ちながら、大東流が形骸化し、今日に伝承される歴史の中で、
「伝承武道の形式」を採(と)ったことである。これが、優れた武技を、「骨董品的」にならしめた。また、時代遅れの骨董品が、単に伝承武道の範囲に止めてしまった。その最たるものが「大東流柔術百十八箇条」であろう。これが、大東流を骨董品の位置に止(とど)めてしまったのである。
 また、これは合気系武道の低迷を誘い、世間様からの目で見て、どれもこれも「十把一絡げ」でもあるように映る元凶を作ったといえよう。

戦闘思想としての“合気”とは何か。単に争うだけが合気なのか。 イラスト/曽川 彩

 こうなってくると、戦闘思想としての“合気”が分からなくなってくる。
 また、幕末から明治・大正・昭和の大東流の足跡を追うと、果たして
「大東流なるものは武術史上最高傑作であったのだろうか?」という素朴な疑念が起ってくる。実に疑わしくなってくる。また、大東流の母体を成した、「御式内(おしきうち)」とは、何かということになってくる。御式内は殿中作法である。しかし、あれは「武道」なのか、「礼法」なのか、はたまた「術」なのかということになる。闘う、外面的なところが見られないからである。

 わが西郷派も、かつては、「会津藩の上級武士や奥女中に極秘のうちに伝えられた御式内(おしきうち)を母胎とする総合武術である」という見解に立ち、今までに発表されていない数々の儀法を、愛隆堂や八幡書店の書籍を通じて、あるいはBAB出版の書籍やビデオ・DVDを通じて「大東流秘伝」を取り扱ってきた。その理由は、この中にこそ、武術の真髄が隠されているのではないかと睨(にら)んだからである。殿中での、秘伝武技と認識していたからである。
 一方、「御式内」であるが、大東流合気武道なる団体は、「御式内は礼儀作法の諸動作に過ぎない」と一蹴(いっしゅう)している。

 一方、わが西郷派は御式内は、「武術を介した礼法だった」と認識している。
 その理由は、武家社会での仕来
(しきた)りである。かつて武家社会では、自分に課せられた処分が不服ならば、その理由を堂々と問い質(ただ)し、それが間違っていれば、歯向かう事が許されたのである。この一事(いちじ)につき、礼儀作法を母体とした御式内が唯一、武術であるという確信を抱かせるところである。
 武士階級にあっては、身分の上下なく、何処の場所(登城し、主君や重臣の居る殿中など)に上がるにしても、「脇差の帯刀」が許されていた。この点が、武家社会の武術を解明する上で「重要なポイント」になる。これこそ、「御式内」が武術としての体裁
(ていさい)を保っている「重要ポイント」といえよう。

 「脇差の帯刀」の意味は、今日ではあまり語られることがないし、この意味を正しく知る人は居ないようだが、武士が上下の身分に関係なく「脇差が帯刀」できる意味は、次の事による。
 例えば、間違いがあったり、不正があったりすれば、その関係者や当事者に対して、下士は上士に対して
「歯向かう事が許されていた」からである。この点、武家社会の方が、今日の資本主義を基盤とした会社社会より、数段もフェアーだったといえよう。

 重役が居並ぶ中で、処分の言い渡しと、同時に、切腹を命ぜられたり、討ち果たされるような場合でも、処分を受ける者は、脇差の帯刀が許され、また、不服がある場合は歯向かう事が許されていた。上士の一方的な理不尽に対し、最後の最後は、わが脇差を抜いて斬りつける覚悟で、抗弁できたのである。それは主君に対しても同じであった。主君に対しても、歯向かう事が許されたのである。ここが御式内を武術に結びつける重要なポイントになる。

 この場合、喩(たと)え相手が高貴な身分の主君であっても、あえて歯向かう事ができた。また、歯向かう位の意地を見せた方が、良い態度として大きな評価を受けたのである。この根底にこそ、身分の上下なく、諂(へつら)う事の「愚」を戒めているのである。
 諂わない下級武士は、命を賭
(と)して上士に歯向かう。あるいは命を賭して主君に歯向かう。理不尽があれば、その非を毅然(きぜん)と申し述べた。民主主義の現代とは大違いで、何と「対等な考え方」であろうか。現代は民主社会というけれども、ここまでの「対等性」はない。一言で「民主」というけれど、その実は「金持ち」対「貧乏人」の、金銭に関する所有の身分差が歴然としている。
 その意味で、武家社会の方が、この点においては優れていた。武家社会においては、金銭所有での上下関係はなかった。単に身分や地位の上では、上下関係があるが、「人間としては体等である」としたのが、武家社会の鉄則であった。

 だから、不当な処分を言い渡されたり、理不尽な扱いを受けたり、罪なく切腹を申し付けられたりすると、この不当な扱いに対し、「歯向かう」ことが許された。現代の、企業のリストラなどと比べると、大違いである。不当な扱いに泣き寝入りせずに済んだ。堂々と抗弁・弁明が出来、あるいは諌言(かくげん)が述べられた。一方的に遣(や)られぱなしではないのである。
 今から考えると、武家時代の方が、実に紳士的で、人間的には対等で、同格で、毅然(きぜん)として振舞え、不当な扱いには命を賭(と)して
「厳重抗議」が出来たのである。
 これこそ、まさに「武士道の実践」ではなかったか。

合気柔術/多数捕り

 一方、主君や重臣等の上士は、どうしたのか。
 下級武士が歯向かってくるのを、黙って見過ごしていたわけではない。これに対して、主君を護り、歯向かう者の攻撃に対処しなければならない。上士は、この責務が負わされた。
 ここで礼法以外の武技が登場しなければならない。これを取り押さえ、固め捕り、あるいは投げれば柔術であり、一気に居掛ければ「居掛之術
(いかけのじゅうつ)」である。此処(ここ)に攻防の鬩(せめ)ぎ合いがあった。居掛之術ならびに殿中居合の起源は此処にあるといってよい。
 あるいは上坐の殿中を血で汚すことが許されぬのならば、速
(すみ)やかに取り押さえ、固め捕る為の殿中柔術が、この起源となりえた。歯向かう方も、歯向かう者を取り押さえる方も、ともに命を賭(と)したわけである。ある意味で、武士の起居(たちい)振る舞いは、これに集約できよう。

 では、精神基盤としての「武士道の実践」とは何か。
 わが西郷派は、「武士道の実践」に重きを置く。それは精神基盤を陽明学に置いての、「武士道の実践」であると定義している。また、これが武士の行動律だった。その行動律が、武技を形作った。ここに「術」のはじまりがある。

 だが今日のように大東流が形骸化され、明治中期から昭和初期までの、中興の祖と称される人の武勇伝が一人歩きして、次世代に伝承される歴史の中で、「伝承武道の形式」を採(と)ったことは、「時代遅れ」である観(かん)が否(いな)めない。時代遅れの武技で、武士道の実践は不可能である。大東流はその他の柔術に比べて、洗練されているといっても、型の反復武技では、「骨董品的」に成り下がる外ない。これが「大東流柔術百十八箇条」を、骨董品の位置に止めてしまったのである。驚異的な練習をするプロレスや大相撲に比でないからだ。

 一方西郷派は、伝承を骨董品の位置に止めず、「伝承武術」に変化させていった。時代に対応する為である。時代に対応する為には、幾ら武技のみを蒐集(しゅうしゅう)しても駄目である。時代に応じた「道」「心」が必要になる。時代に則した戦闘思想が必要になる。

 

●西郷派大東流の思想体系

 では、「道」とは、何だろうか。
 修行に邁進する
「志」を言う。志を捨てずに、最後まで信念をもって貫徹させる「心」を言う。「心」がこの上を正しく踏んで居るときは、則(すなわ)ち修行の「道」を歩いていることになる。この「道」を歩いている修行の「心」に、邪(よこしま)な念は湧(わ)かないものだ。

 西郷派は武士道の拠(よ)り所を、「陽明学」に求める。陽明学の行動原理に、「道」というものが確認できるからだ。
 現代の資本主義社会が、幾ら競争原理が働くからといって、王道が廃
(すた)れ、覇道(はどう)だけが栄えるという、一方的な主張は、人心の荒廃(こうはい)を招く。今日の現代社会が、混乱を帰し、混沌とした社会現象が現れているのは、覇道が人心を、荒廃させる現実を招いたからである。

 覇道を唱える輩(やから)は、かつての武芸者の武勇伝に肖(あやか)り、これを模倣し、外面をこれで飾っただけである。そして世の一世風靡(いっせいふうび)で悪乗りし、最早(もはや)人民に等しく齎(もたら)されていた「道」は廃(すた)れ、これが闇(やみ)の中に埋没する現実までもを作り出した。この結果、人間界にどのような現象が現れたか。
 人々は先を競って、富強の為の論理を求め、相手を陥れる為の「計略」が幅を利
(き)かし、自己とその周りの為の利益の為に奔走(ほんそう)し、名声を上げようと、固執の「我」の世界を作り上げたではなかったか。

 西郷派は、こうした「我」を誇張する考え方を否定する。そして指導に邁進(まいしん)する「道」の修行こそ、正しいと信ずるのである。日々精進(しょうじん)の中で、健全な心身を養い、稽古を通じて養った強靱(きょうじん)な精神を以て、苦境を乗り越え、人生を有意義に送ることを重要視するのだ。
 これは単なる懐古主義ではなく、迷走する社会で厳しい生活を強
(し)いられている現代人にとっても、充分に応用が利く、「人生の道程」となり得るものである。

 武術を学ぶということは、取りも直さず「生命の救い」をこの世界に求め、これと縁を結ぶことである。
 そして、修行の中で得た成果は、自己を律し他者を慈しむ生活の中でこそ、武士道の実践は果たされるべきである。

居掛之術/受け流し
一刀突きに対する合気二刀剣/二段の構え

 思うに、人間に本来、「他人」と「自己」、「物」と「我」というような、相対する区別など存在しない。万物は一体であり、大自然の中の生きとし生けるものは、ただただ、「仁」の体現に過ぎない。「思いやり」「情け」こそ、「仁」の実体があり、志気(しき)通達こそ、精神の交流の場であった。此処に万物は回帰される。此処に「一つになりうる要素」がある。

 それは明解に、人間の躰(からだ)に喩(たと)えることが出来る。人間の躰こそ、「動物」の体型を持つ。動物は行動するものである。
 これを、行動原理を主体とする陽明学流に解釈すれば、例えば、眼はものを見、耳はものを聴き、手はものを持ち、足は歩くことによって、一切の「人間活動」を行う。この人間活動において、眼は音を聞けないことを恥としないばかりか、必ず、耳の聞き取った方向を見ようとする。その方向に視線を投げる筈(はず)だ。誰もがそうした感覚器を持っている。これが「仁」の体現である。これは人間に備わった「反射神経」である。

 また、足は物を持たないのを恥としないばかりか、必ず、手が触れた方へ、歩きを運ぼうとする。では何故、こうした行動を採るのだろうか。
 それは人体には、
「生気」が循環しているからだ。「生気」こそ、人が生きている証(あかし)であり、生気が充満し、瑞々(みずみず)しいまでに血脈が巡っているとき、刺激や呼吸にも直ぐに感応する為である。これは誰もが有する、無言のうちに通じ合う、微妙な働きを備えているからだ。特に、人間とはそうしたものである。ここに人間特有の「行動思想」を所有する。

西 郷 派 大 東 流 の 思 想
1.武士道論
2.陽明学
3.合気戦闘思想
4.八門遁甲
5.日本論
6.食養道
7.菜根譚
8.老 子
9.荘 子
10.茶 道

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 わが西郷派大東流は、武士道を通じた武技の実践と、その精神的支柱としての古人の残した思想を学び、これを実生活に応用することを目的とした流派である。
 万物の根本の姿は、「天地不二(てんちふじ)」である。天地には、もともと善とか悪はない。善悪が生まれるのは、それを人間が「後天の気」で作るからである。そして、中庸(ちゅうよう)が保てなくなり、何(いず)れかに偏った場合は、また初心に戻ればいいのである。「回帰一路」の精神は、此処にある。

 「道」に迷った場合は、もと来た道を逆行して、出発点に戻ればいいのである。迷い放しで、先を急ごうとするから、遂に道に迷い、出口が分からなくなるのである。私たちは、古人の説いた思想を学び、物事の本質を知らなければならない。

 また、「老荘思想」の中に、「天鈞(てんきん)に休む」というのがある。これは最後のトータルを、総(すべ)て掛け値で計れば、ほぼ同じということである。誰が得したとか、損したとかはなく、人は一様に、「プラス・マイナス・ゼロ」ということになる。相手をやり込めて、一時的に得をしたとしても、今度は自分がやり込められる番であり、一時的にえた得はご破算になるのである。総合計は同じなのである。これが分かれば、今を気忙しく、せかせかしないで、「心を休ませろ」という意味なのである。これが「天鈞に休む」ということなのだ。

 この言葉の持つ意味は、社会的な地位があり、名誉があろうが、資産があり、金銭で人の上に君臨しようが、人間の生命の一日は結局同じで、また最終トータルの臨終間際(りんじゅうまぎわ)に、自分の一生を振り返って、集計すれば、たいした違いはないということである。

 人生は、よく「舞台劇」に喩(たと)えられる。善人の役をする人も、悪人の役をする人も、舞台裏の楽屋に帰れば、みな同じ対等な人間であるということだ。「対等な人間」は何処まで行っても、対等であり、同格なのだ。
 例えば、プロ格闘技選手や大相撲の力士、またプロレスラーや、その他のプロスポーツ選手を遣
(や)っている人は、見るからに立派な体格をしている。驚異的な練習をするからだ。そして、素人に比べて、断然強い。
 リングや土俵で、誇らしげに華々しい才能を発揮し、それらを晴れがましくやってのけ、観客から絶大なる拍手喝采(はくしゅかっさい)を浴びる。
 ところが、こうしたプロスポーツ選手は、何故か早死にをする人が多いようだ。やはり、「勝たねばならない」とか、「弱肉強食の世界では強くなければならない」との、心理的な強迫観念に追い討ちをかけられて、無理に躰
(からだ)を酷使し、それで寿命を縮めてしまうのだろう。此処にも、人は一様に、「プラス・マイナス・ゼロ」という法則が働いている。

 一方、現代社会も、これと似たり寄ったりである。人生は、いいことばかりではない。むしろ辛いことの方が多い。そして、悪いことにぶつかると、ストレスが溜まる。これはあまりにも善悪の価値観にこだわるからだ。
 善悪の価値観にこだわる発想を止め、中庸
(ちゅうよう)を保つことが出来れば、ストレスからも解放されよう。中庸を保ち、善悪の価値観にこだわらず、善悪に対し淡交(たんこう)な生き方をすれば、人間の生命はどんなに使っても疲れることはない。まさに「命体」は生きているのである。

 これを道元禅師の歌に喩(たと)えるならば、

  春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけ

 これは春夏秋冬を自然のままに歌い、それに身を委(ゆだ)ね、春は花を愛(め)で、夏はホトトギスの声を聞き、秋は月を観賞し、冬は雪が冴(さ)え、更には、この寒さが心の中に涼しさを齎(もたら)してくれる、自然に準じる生き方だ。これを「無門(むもん)という。
 無門とは、門がないことを言うのではない。門があるが、その出入りは自由ということだ。だから無門という。

 一般に門といえば、厳(いかめ)しい構えをしている。また厳しいだけではなく、こうした門には必ず門番が立ち、出入りをチェックする。したがって、関係者以外は、そこから出入りすることが出来ない。ここに出入りできる人は特定の、決まった人だけになってしまう。
 しかし無門は、こうした出入りに制限がないということだ。だから「無門」という。ここにこそ、人間の「対等の原理」がある。

 「無門」は、「こだわるな」と教える。人間の作った「分別知(ふんべつち)」に惑わされるなと教える。
 現代人は分別知に毒されている。愚かな価値観に縛(しば)られている。こうしたものから解放されなければならない。自分勝手に決め込んだ価値観に振り廻
(まわ)されないことである。
 価値観に振り廻されれば、肉の眼に見えない何者かが、不安感を煽(あお)り、不穏な危機感が誘発されることになる。そうなれば最早(もはや)、心は自由を失うだろう。これが寿命を縮めるストレスの元凶である。ガン発症もこれに起因する。ストレスと精神的圧迫を受け、あと20年、30年生きれる寿命も、半分に減ってしまう。半分だけならまだいいが、ガン発症をしては半年と持たなくなる。

 自由が失われれば、「妙」を味わうことが出来ない。妙とは「変化」である。変化とは、同じ一つのところから出て来て、「どうしてこんなに違うのか」という、妙を味わうことである。これには「心掛け」が大事である。

 これを老子の言葉を借りて、謂(い)うならば、「人飯食せざるは莫(な)し、能(よ)く味を知るもの鮮(すく)なき也」であろう。
 人間は、飲食をしない者はいない筈
(はず)だ。しかし、老子に言わせれば、飯は食べるが、本当の食物の味をよく知る人は居ないということだ。老子は、何故これに気付かないのだろうかと嘆いている。

 武術修行でも同じである。修行とは「道」である。しかし、「道」はあまり論じられることがない。武道愛好者にとって、武道愛好の目的は、弱肉強食の論理の中で、勝つことが第一の目的で、自分の愛好する武技が、伝説上の有名人でなければならないということが第二の目的で、それに自分が成り代わり、酔い痴(し)れるということが第三の目的であるようだ。しかし、これ程、お粗末な考えはない。根本を見逃しているからだ。かくして、腕力の上で「誰が強いか」という強弱論に終始する。愚かなことだ。無益の闘いの元凶である。

 昨今は、どれを検(み)ても、この類(たぐい)のものが多く、命を養うものは殆ど皆無である。競技を目的とするものは、命をすり減らす為に、武道や格闘技を愛好し、老子の説くように、短命で終わろうとしているのである。「争わない理」を探求しないからだ。

 

●日本という国を見直そう

 いま、小・中学生の話題は、「自分が有名人になること」である。「一億総芸能人」の名に相応しく、日本中いたるところには、国籍不明な音楽が流れ、ロック調で気ぜわしく、意味不明な言葉が喋られている。騒音に汚染されている。静かな佇(たたず)まいの情緒がない。最早(もはや)、日本列島はどこもアメリカナイズされた、アメリカに乗っ取られた、「第51番目の州」になってしまった観すらある。

 日本という国が、かくもアメリカ化されたのは、進歩的文化人の影響だろうか、それとも欧米推進派ジャーナリズムの影響だろうか。あるいは水面下で、左翼系ジャーナリズムの、何某かのインターナショナル系の国際化勢力が働いているのだろうか。

 こうした影響下に、現代の日本人は殆ど自覚症状を持たない。精神的汚染への危機感と自覚症状を持たない。思考回路が工作者の意図で、完全に破壊されている。

 国を思い、国を愛し、日本人としての精神を全うするなどといえば、直ぐに「あれは右翼だ」と、レッテルを貼られてしまう。したがって、日本人として、日本論を語ると、進歩的文化人からは、許し難い時代錯誤の反動分子であると看(み)られるようだ。これは、戦前・戦中、自由主義者が、「アカ」と言われた、あの「色眼鏡的偏見」と酷似するようだ。
 日本人は、日本と、日本の文化や精神を忘れてしまったのだろうか。日本の情緒や文化は、いったい何処に言ってしまったのだろうか。

 日本の文化や精神を語るとき、「日の丸」を抜きにしては、その歴史は語れまい。「日の丸」は長い歴史を持っている。起源は神話の時代に遡(さかのぼ)り、それが明確になったのは十六世紀の戦国時代で、上杉謙信や武田信玄が、戦国武将の旗印として「日の丸」を用いている。また、豊臣秀吉も軍船の旗印として、これを用いている。
 更に徳川幕府も、寛永年間には船に「日の丸」を掲げた記録がある。

 幕末には、薩摩藩が島津斉彬(しまづ‐なりあきら)の言を採用し、安政元年には異国船と間違われないように「日の丸」を掲げることを行っている。万延元年(1860)には、咸臨丸(かんりんまる)が安政条約批准の為にアメリカに言った際も「日の丸」を掲げている。その後、「日の丸」が日本の国旗として正式に制定されたのは、明治3年の太政官布告による。

 「日の丸」は、太陽を表している事は明確である。これは農耕民族の象徴であり、また太陽を仰ぐ山岳民族の象徴であった。日本人は古来より太陽を崇(あが)め、植物を成長させ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた民族である。太陽信仰は産土(うぶすな)信仰とも結びつき、その象徴が「日の丸」であった。したがって、「日の丸」は国家権力の誇示ということではない。

 「日の丸」と聞くと、胸糞が悪くなるという日本人が居る。このように感想を述べる人は、日本が中国大陸を侵略し、あるいは朝鮮半島を植民地にして、その歴史的事実から、これが太平洋戦争に繋(つな)がり、「日の丸」を見ると胸糞が悪くなるというのであろうが、では、英国のユニオン・ジャックはどうなるのだろうか。
 アジア侵略の度合いから言うと、英国こそ、その侵略の歴史は古く、世界中に日の沈まない国の象徴がユニオン・ジャックではなかったか。そして、大英博物館には、海賊国家らしく、世界中から盗んできた美術品などの戦利品が処狭しと並べられている。エリザベス女王第一世は、紛
(まぎ)れもなく、海賊の姐御(あねご)だった。

 欧米には、このように傲慢(ごうまん)がある。世界の覇者でなければならないとする思い上がりがある。
 また、欧米には歴史を捏造
(ねつぞう)し、加工し、操作する傲慢がある。先の大戦も、うまく捏造され、日本人は自虐的(じぎゃくてき)立場に追い込まれた。それが「日の丸」と「君が代」の全否定に繋(つな)がった。
 また欧米は、東京裁判(極東軍事裁判)において、日本人を自虐的立場に追い込むことに成功した。それが戦後民主教育で、指導的立場にある学校教師の国旗掲揚に対する不起立である。そこに彼等の思想的見解と信条があるとしている。

 しかし、それを一概に否定はしない。戦争といえば眉をしかめ、軍事といえばおぞましい凶事と考え、「戦争はもうこりごりだ……。先の大戦当時、日本人の悪逆非道を世に知らせなければ……。“日の丸”と“君が代”がこの戦争に悪を齎(もたら)した……」という、使命感を帯びた言辞が、国旗掲揚時の不起立者の中にはあるようだ。
 一方、彼等の思想と信条は、また憎悪から来る「感情そのもの」である。彼等は一様に、感情論で戦争を裁いているところがある。軍国主義反対という怒りそのものが、紛
(まぎ)れもない感情である。そして、この感情こそ、絶対的正義として、今なお君臨している。

 しかし、よく考えれば解る事だが、「日の丸」と「君が代」の全否定で、感情論のみで、後世の次世代に戦争を説く事は極めて傲慢(ごうまん)であり、次世代を愚弄(ぐろう)しているとも言える。何故ならば、次世代に歴史を検証する正しい能力を奪い、歴史への見識を失わさせ、感情の発露として、「日の丸」と「君が代」を全否定しているからだ。これでは理性や知性を失わせたのも当然ではないか。

 かつて青年海外協力隊の青年達が発展途上国などに出向き、農業、漁業、工業、医療、その他の面で随分といい仕事をやり、感謝されたが、ある国で国旗掲揚のとき、日本の青年の協力隊員一団が掲揚時に起立せず、殴られたという事件が起った。
 この事件などは、日本の学校教育で、国旗掲揚時に起立をしなければならないとマナーを教えなかったことが、こうした事件の元凶となった。
 国旗に対し、起立しないのは国旗への侮辱
(ぶじょく)であり、また、その国家への侮辱である。喩(たと)え、青年達に悪気はなかったとしても、日本では、国旗掲揚時に不起立を頑張り通す日教組教師が居(お)り、国旗への礼儀も、全く知らずに成長した青年が、無意識的に何処の国でも国旗を見ると胸糞が悪くなるという無意識が働けば、それは戦後の平和教育の悪しき影響といえるだろう。戦争イコール“日の丸”と“君が代”に結びつけているからだ。

 ちなみにある新聞社調査で、「日の丸」を国旗として相応しいと思っている人は全国民の86%、そう思わない4%、回答拒否が10%であったという。つまり86%は「日の丸」が国旗でいいと答えているのだ。
 ところが残りの「そう思わない」と「回答拒否」の僅か14%の一部の反対者で、これがクローズアップされ、国民の大多数が反対のような印象を与えてマスコミに取り上げられ、国旗と国歌の全否定として操作されるのであるから、日本の未来も、先が見えたという感じで、欧米に靡
(なび)く欧米化の煽(あお)りを受けているといえよう。【註】欧米推進奨励思考と赤化工作思考、またインターナショナル系国際勢力は、国際ユダヤ勢力下のイルミナティや傘下のフリーメーソンに派生したもので、もともとは同根。日本人はこの区別がつきがたい。但し、国際ユダヤ勢力と一般のユダヤ人は全く違うので、これに誤解なきよう)
 また、そうした一方で、赤子の手を捻
(ひ)るが如き、欧米の日本破壊の策謀に、まんまと日本人は嵌(は)められているといえよう。

 国民が愚民であればあるほど、その操作下にいる国民は、「無知」と「事なかれ主義」の蔓延(まんえん)によって愚昧化(ぐまいか)され易い。愚昧化された後に残るものは、国民の「動物化」であり、「家畜化」である。人間が家畜化すれば、理不尽に対しても「反抗の牙」が抜かれるであろう。ここに欧米支配中枢の日本人ゴイム化工作が働いているといえよう。
 動物化され、家畜化されれば、欧米に思うようにコントロールされ、日本国民はその自覚症状すら失うであろう。一億二千万の日本人が、この先を歩く道は、恐らく、雪の泥濘
(ぬかるみ)だろう。冷たい雪道の泥濘の上を、何処までも歩かされることになるであろう。だが今日の日本人に、その自覚症状はない。

 此処に、わが流の説く、「大いなる東(ひむがし)」の、国運の暗示がある。最後に、一人でも多くの日本国民が、この現実下に置かれていることに気付けば幸いである。「大いなる東」を称して、「大東」という。

 「西郷派」と「大東流」の違いについて、深く知りたい思う、「ご用とお急ぎでない方」は、イメージをクリックして下さい。
 もし、西郷派に対する不明な箇所があれば、次のページを読むことにより、一層、理解が深まると思います。これより以降は、「外部告発」のページです。
ただし、現在、以降は製作中です。今しばらく、お待ちください。

 

 
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