インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 入門方法 >> 夏季合宿セミナー(三) >>
 
志高く、より良く生きるために

■ 夏季合宿セミナー ■
(かきがっしゅくせみなー)

●夏季合宿セミナーの日程予定

 本合宿の日程は、下記のスケジュールで行われる。スケジュールには食餌法を取り入れ、また道場内の稽古では体験できない滝行、馬術、徒歩行軍に併せての山稽古などの鍛錬がある。

 
10日(水)
11日(木)
12日(金)
13日(土)
14日(日)
─────
05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
・合宿安全祈願のため産土神社参拝
・午前の稽古
12:00
・ 昼食
05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
07:30乗馬クラブへ向けて出発
09:00
・馬術稽古
12:00乗馬クラブにて昼食

04:00起床
・玄米スープ朝食
・徒歩行軍にてJR彦山駅を目指す。

9:00
JR彦山駅到着
彦山駅〜銅の鳥居〜参道を歩き〜神宮下〜英彦山神宮〜中宮を経由して山頂の上宮へと向かう。

05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
・午前の稽古
11:00稽古終了
・昼食
・優秀参加者の表彰
─────
13:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む
14:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む

14:00
・英彦山で昼食、のち山稽古
16:00下山。徒歩行軍にて帰館

13:00解散予定
17:00集合
・基本稽古、入浴、夕食をかねた親睦会
23:00消灯
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
22:00消灯
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
20:00消灯
20:00帰館予定
・行軍達成の宴
23:00消灯
─────

日程通りに行う予定ですが、天候により変更することがあります。

平成23年の春の講習会では、今回は英彦山に登山する。そして英彦山は「修験道の山」として知られる。
 さて、本講習会では、日田彦山線JR彦山駅〜銅の鳥居〜参道を歩き〜神宮下〜英彦山神宮〜中宮を経由して山頂の上宮へと向かう。

(画像クリックで拡大)

 
(画像クリックで拡大)
 
 

【英彦山登山の行軍ルート】
 平成23年の夏季合宿セミナーでは、今回は英彦山に登山する。そして英彦山は「修験道の山」として知られる。
 本講習会では、日田彦山線JR彦山駅〜銅の鳥居〜参道を歩き〜神宮下〜英彦山神宮〜中宮を経由して山頂の上宮へと向かう。

「遠き山に陽が落ちて……」と、そんな唄を髣髴とさせる帰館時の福智山の下山時の風景。山頂は、まだ8月というのに、もうすっかり秋の装いを見せ、何とも哀愁のある風景である。

この行軍には、万一の場合を考えて、急病や捻挫・骨折者の為に救護班が付き従い、 車で行軍の援助や救急体制をはかる準備が整っています。

近辺紹介情報


山頂へ向かう石畳。

登山途中の上空のうろこ雲
皿倉山に掛かる行軍途中の道標
 
英彦山山麓の名物・男魂岩。
英彦山の山麓にある男魂祭。
 
咸宜園の藁葺屋根の玄玄関。ここには「咸宜園」の看板が架かっている。
  尚道館より車で一時間半。
咸宜園の塾内。筆頭塾生として、大村益次郎らが学んだ教室。大村は適塾に入る前、咸宜園で学んでいたのである。(大分県日田市)
 
 九州豊後日田(大分県日田市)に「咸宜園(かんぎえん)」という江戸時代後期にはじまった塾舎跡が残っている。ここの塾頭は、儒学者の広瀬淡窓ひろせ‐たんそう/著書に『約言』『迂言』『遠思楼詩鈔』『淡窓詩話』など。1782〜1856)だった。
 「敬天の説」を主として、諸学を総合し、塾舎・咸宜園を建て、門生三千人以上を集め、その中から多方面に人材を輩出した。

 咸宜園の特色は、入塾すると、塾生自身の世俗的な身分や家柄、貧富の差は、一切無視された。また、過去の経歴なども一切無視された。
 此処では階級や差別のない革新的な指導が行われ、塾生達は試験に追い捲(ま)くられる日々を送っていた。

 咸宜園に唯一つの差別があるとするならば、試験によって出た結果だけであり、成績の順位で序列が付けられたのであった。その序列は、大坂で医業を開いていた緒方洪庵おがた‐こうあん/1810〜1863)の適塾(緒方塾あるいは適々斎塾)によく似ていた。適塾の門下からは大村益次郎・橋本左内・大鳥圭介・福沢諭吉らが出たことは有名である。咸宜園と適塾は、結果重視主義で酷似したところがあった。

 受講する机の位置までが試験の結果で出され、成績の悪い者は部屋の隅や、階段の下までに追いやられることになった。
 しかし、咸宜園を適塾の唯一の違いを見い出すとするならば、咸宜園の塾頭・淡窓は、厳しい試験競走によって塾生同士の心が荒廃しないよう、全員を野遊びさせて、お互いの友情を図ったことである。
 そして咸宜園の特色は、知的優秀者だけを相手にせず、その根本には、友情を重んじることに、横の連繋(れんけい)を持とうとした事であった。

 本講習会において、「咸宜園探歩」も予定として計画中である。尚道館から車で一時間半くらいの場所である。

 
少し足を伸ばせば耶馬溪に至る。
耶馬溪の青洞門。
 
安徳天皇を祭る下関の赤間神宮。
関門海峡に架かる関門大橋。
 
玄界灘を望む。
防風林と防風壁の津屋崎。

 

壮大な七重の滝「一の滝」
七の滝

 

鱒淵ダム湖周辺。この湖の眺めは絶景。

 一部の武道の中には、膝を突っ張ったまま闘技をするものがありますが、これらは平面上の場所のみで有効であり、嶮しい山道では、あの手の足型は全く通用しないようです。
 また、人間は三次元歩行ならびに走行をする生き物ですので、脚が丈夫であるということは生きるための行動原理であり、特に「膝の大切さ」は、山行(やまぎょう)を遣ると明白になってくるものです。

 こうした山行を遣ると、その直後、何ともいえない爽快感を覚えます。出発前、リックザックに入れておいた2リットルのペットボトルに入ったミネラルウォータも、下山した後には総てなくなり、結局2リットル分の体内の水を入れ替えたことになります。
 この爽快感は、ミネラルウォータがこれまでの体液と入れ替わったことも含まれると思いますが、何よりも、大自然の中で森林浴を楽しみ、更には滝に接近してマイナス・イオンを浴び、こうしたものの相乗効果が、爽快感を齎(もたら)したものと思われます。
 そして、何よりも感謝したかったことは、大自然より、「爽快感」という贈り物を貰ったことでした。

●複雑な現代社会を生きるためには

現代人に正しい生活法則を指導する。現代人は、自分で見落としている危険な「落とし穴」がいくつもある。また、現代人を取り巻く地球環境は、現代人に益々窮屈を強いり、悪化の一途に在るのは周知の通りである。

 現代人は、「科学万能主義」の迷信に酔い、色情や金銭に魅了されて生きている。その人生の主体は快楽主義である。誰もが自然との調和を忘れ、メカと情報に翻弄(ほんろう)されて、自分自身でさえコントロールできない状態になっているのである。更に、こうした悪循環の上に現代栄養学の食指導の誤りが、現代の難病奇病を派生させ、人体に不適当な食品群は現代人の肉体を長時間かけ、自覚症状のない状態で、確実に蝕んでいるのである。
 果たしてこうした生活の延長を、人生として設定してよいのだろうか。

 食生活の急激な変化と、飽食や美食に明け暮れる現代は、人間を大自然から大きく引き離してしまった。そこに私たち現代日本人は、情報過多の社会の中で迷走しているのである。
 氾濫する珍味や美食の数々。化学調味料を含んだ多くの食品群、合成着色料や合成甘味料がふんだんに使われた清涼飲料水、保存料などの各種添加物入の食品群、インスタント食品やジャンクフード。これらのどれをとってみても、人体に有害なのは明白である。
 現代人こそ、食品産業の利益優先にたった人体実験の当事者なのだ。

 一方、縄文時代より連綿と続いた日本の穀物菜食の伝統は失われ、日本人の体質は異様に畸形(きけい)した観がある。
 乳製品や食肉食品の大氾濫。動蛋白偏重の欧米型食生活。今なお消えぬ愚かしい牛乳神話。「肉はスタミナのモト」神話など、日本人の脳裡には欧米から汚染された不適当な食品を食する悪しき伝統が根付こうとしている。そして、これが脳神経や体内の代謝機能の働きを狂わし、ビタミンやカルシウムの欠乏を招いた。

 その中でも白米、白砂糖、化学精白塩などは「三白ガン」と称され、それでもこれらの食品の摂取に歯止めがかからない。無批判で、誰もが食べさせられているのである。これらの食品に加えて、タバコやアルコールの恒常的な習慣が改まらず、ガン、心臓病、脳卒中、肝臓病などの病気が死亡原因の上位を占めるようになった。

 また、子供や孫の世代においても、アトピー性皮膚炎、小児喘息、アレルギー体質、精神障害、牛乳摂取の弊害から起る骨折など、多発する悪影響は一向に収まることがない。

 現代人は真の健康を見失っている。また、環境の悪循環に自分が浸りきっていることに、一切の自覚症状を持っていない。危険なことである。
 真の健康を養える条件とは、水や空気が綺麗で、日当たりがよく、騒音のない、情報量も過剰に氾濫(はんらん)していない環境の中において保たれる。これが人間の情緒を安定させるのだ。
 明るく朗らかで、気力が充実し、愉快に、爽快に暮らせる条件は、大都会の喧騒から離れ、静寂の中に身をおくことである。

 現代社会の物質主義が見落としてきた、自我(じが)に囚(とら)われない、宇宙と合一する現代生活からの打開策が、本合宿にはプログラムされているのである。
 そのプログラムの中には、ストレス解消法があり、慢性病や虚弱体質の改善があり、疲労回復に繋がる、多くの古人の智慧が息づいているのである。

 現代人はこれまで多くの食情報に惑わされ、また医学情報に散々弄(もてあぞ)ばれてきた。一種の現代栄養学と現代医学の被害者である。カロリー一辺倒主義の被害者であり、機械医療の被害者である。あまりにも多くの間違いに翻弄(ほんろう)された歴史を抱えている。しかし、もう、そうした呪縛(じゅばく)から、いい加減に解放されても、いい頃ではなかろうか。

 また、現代という時代は誰もが「文明」という贅肉をまとい、その贅肉の重さで潰されようとしている時代である。いま現代人に課せられることは、文明という贅肉をそぎ落とし、自然の帰ることこそ、急務ではなかろうか。
 一人でも多くの人が目覚め、生きとし生けるものとしての自分の生命を全うすることに、本合宿が、少しでも役に立てば幸いである。

 

●夏季合宿セミナーを総括して指導する中心課題

乗馬を体験し、乗馬クラブ玄関前で。
 

 本合宿の中心課題は内外の「護身法」である。

 一般に「護身」といえば、外側の技術的な護身術のようなものを想像するであろうが、ここでいう「護身法」とは、単に外的圧力に対する護身ばかりでなく、自分の内側にある精神面での護身法を含むのである。

 人間は普段、多くの雑事に追われ、多くの煩悩を燻らせながら生きている。そしてこうしたものが「柵」となり、不安や悩み、迷いや恐れの原因をなしている。
 こうした種々の世襲の事象から解放されるためには、まず「精神統一」を図ることが大切である。

 そして、私達は一日のうちで、5分でも10分でもいいから、日常生活に起こった悪想念(厭なこと、悔しいこと、恨みに思ったこと、妬んだこと、不安や迷いや苦しみや悩みなど)を消去する必要がある。その一切を忘れ去らねばならないのである。
 悪想念に関しては、その日その日の出来事や、悩み事が離れる方法を知っておかねばならない。
 そして期待と歓喜をもって、精神統一に専念しなければならない。

 何もかも忘れた無我の境地は、日頃疲れた肉体をリラックスさせ、その境地で得られる小悟が一つ一つの積み重ねとなって、やがては大悟に至る。このようにして、その各々の境地で得られる「悟り」が、一切の精神上の悩みや取り越し苦労や、種々の煩悩を払い除け、魂の安定を図り、霊的な豊かさに満ちた境地へと誘ってくれるのである。

 さて、精神統一を図るにあたり、普段は、その時刻はなるべく一日の仕事が終わった後がよい。
 また時刻も同じ時間にして、部屋も同じ方がよい。
 これはなぜかというと、人間の躰からは一種の磁気(オーラ)が放射されていて、同じ時刻、同じ場所で精神統一を行うと、それが習慣となって精神統一に良い影響を与えるからである。

今日では殆どやら無くなってしまった
  「山稽古」での剣術の稽古。本来、修行の場は道場内という室内ばかりでなく、大自然を相手にした山稽古が本筋であった。
 

 次に自分の姿勢であるが、静坐を旨とし、それ以外の方法はとらない方がよい。
 特に身体が沈んでしまうようなソファーや、リクライニング・シートのような脊柱が倒れてしまう椅子に座る事は不適当であり、また脊柱が歪曲するような姿勢もよくない。更に胡座という方法があるが、この場合は尻部に座布団を敷き、膝頭の位置が腰骨より高くならないようにすることが大切である。

 精神統一において、一番簡単な姿勢は「静座法」であり、腰骨の上に脊柱を垂直に立てることが注意点である。このようにして脊柱を垂直に立てると、自然と背骨も真直ぐになり、その結果、霊的中枢には霊的神性が宿りやすくなり、また霊力も届きやすくなるからである。

 こうして精神統一の体勢が整えば、次に呼吸法に入る。
 呼吸法は深呼吸であるが、単に深く吸い込んで、吐くという方法ではなく、複式呼吸法から進化した逆腹式呼吸(丹田呼吸法)でなければならない。一般に素人考えでは、単に深呼吸をすれば爽快な気分になり、肺の古い息は交換されると信じられているが、これは大きな誤りである。

 こうした深呼吸という遣り方で精神統一を試みると、まず酸過多状態になり、また深呼吸の無駄な反復は、疲労を齎すばかりか、邪霊に邪魔されて、次々と妄想が浮かび上がってくるので、特に注意しなければならない。
 これは禅の僧侶などが「禅病」を患っていることから考えて見ても、一目瞭然である。
「山稽古」の終わった後の、 野外での 食事風景。しかし、食餌の主食は「玄米食」であり、玄米パワーが、躰の痛んだ部位を修復し、特に内蔵の病める人は、玄米食は大きな効果がある。
 
 今日の形骸化した禅は、こうした禅病になった際、その治し方や、解消法を知らないために、こうしたトラブルを起こすのであるが、このトラブルは白隠禅師が禅病を患い、後に京都白川山中の仙人からこれを治してもらったという話からも窺えるのである。したがって無闇矢鱈の深呼吸は、無差別にするべきでないのである。
 本来、武術は道場という室内のみで行うのではなく、その真諦(しんてい)は大自然という屋外にあった。道場内稽古は、あくまで俗諦(ぞくてい)に過ぎないものであった。俗諦とは、真諦を全うする為の方便ということになる。

 特に新興宗教などで呼吸法の指導を受けた人が、酸過多状態になって、訝(おかし)な咳や喘息(ぜんそく)のような呼吸をする人がいる。
 また蓄膿(ちくのう)のような鼻づまりで、呼吸困難に陥るような発作をともなう、呼吸の吐納(とのう)を繰り返している人を時々見掛けるが、これは呼吸法の誤りから来る病気である。
 更に、他の大東流や合気道、他武道(特に気功や、気をテーマにした武道)をやっている人で、呼吸法に誤りがあり、眼の縁が赤くなっている人を見掛けるが、これも深呼吸や腹式呼吸に誤りがあり、一種の「禅病」に近い呼吸器障害を起こしているのである。
 こうした愚に陥らないためにも、正しい丹田呼吸法を身に付けなければならない。

 そして正しい丹田呼吸法が会得できたら、次に精神統一を図る無我の境地に入ることになる。
 但し、最初の状態は雑念や妄想が湧き起こり、精神統一を邪魔されることが起こり、その雑念などは、身体機能の動きを患わせて、次から次へと妄想が湧き起こるのである。

 さて、精神統一とは何かというと、これは雑念や妄想との闘いであり、また自己の周囲を取り巻く邪霊との闘いであると覚悟しなければならない。しかしこうした事を平気で乗り越えられるようでなくては、真の精神統一の、無我の境地には辿り着く事が出来ないのである。
炊事場での食事の準備。
 

 また呼吸法に誤りがあると、「くつろぎ」の状態が、一種の眠気や倦怠感が襲うことになり、気怠さを感じるようになるので、これは呼吸法に誤りがあるのである。こうした場合は、速やかに停止して、その誤りを指導者から訂正してもらわなければならない。
 これを怠ると、益々隙(すき)をつくることになり、邪霊に取り憑かれたり、低級霊に取り憑かれたりして、精神障害を起こしかねないので要注意である。
 そしてこうした状態を放置すると、初心者では処理できない悪影響を残すから、まず正しい指導者について、正しい丹田呼吸法を学ぶことが肝心である。

 初心者は概ね、これまでの日常での「精気」を「元気」に変えることが肝心であり、これは性質の荒いβ波を柔嫩いα波に変える必要があるのである。こうすることによって、経絡調律ができるのである。つまり経絡調律とは、天の気と地の気を繋ぎ、天意を探究する意識を養うことなのである。

 そして、これをもって「護身法」という。

 正しい丹田呼吸法を知り、護身法の何たるかを知れば、身体はすっきりして、精神的にはちょっとした物音や、あるいは敵が攻めてくるような気配すら容易に感じ取れ、敏感で隙のない状態と境地が得れるのである。また、予知能力も増すのである。
 これは脳を隅々まで掃除し、手入れの行き届いた躰の中は、精神がフル活動していて、霊的神性が高まっている状態を指すのである。

 ちなみに、霊的神性が高まると、その霊的波調は密(θ波)に気高くなり、逆に霊的神性が低いとその波調は粗く雑なもの(β波)となる。
 したがって霊的波調を密に、細かいもの(霊的微調波)にすることが肝心であり、この条件が整うと霊的神性は次第に高まり、「第三の眼」というものが開発されるのである。
 この開発の主眼が「護身法」であり、単に外の眼に見える可視的な敵に対処するのではなく、眼に見えない不可視的な邪霊や、近未来に我が身に迫る危険現象や不幸現象とも闘えるような体質を会得しなければならないのである。
炊き火を囲んでの落日の集い。
  焔を見詰めつつ、各人の武術談義は尽きない。

 
 本合宿はこうした不可視の敵とも闘える、非日常の習慣が身に着くように、受講者を指導することを目的にしています。
 単に、いたずらに筋トレなどのハード・トレーニングをしたり、無理な肉体を酷使して、武技格闘に明け暮れるばかりが護身術ではありません。肉体に酷使は老化を早め、みずからのオーラに歪をつくります。

 また心は病的に畸形(きけい)し、霊的バイブレーションは狂わされぱなしで、愚かな野望を抱き、好戦的で威圧的で傲慢な人間に成り下がります。
 こうした人は、観相学的にみても「顴骨」に現われ、傲慢と好戦的であることは、一目瞭然となります。
 また、この箇所が張っている人は、忍耐力のある反面、破壊的な愚行に取り憑(つ)かれ、低級霊や邪霊に操られる、晩年は最悪な人生を余儀なくされてしまいます。
 逆に、精神統一を学び、正しい丹田呼吸法を身に着けた人は、人格が高潔になり、霊的波調は細かく、短い、高貴な霊的バイブレーションをもっています。これは品性の低い、好戦的な、波調の長く、粗い人とは対象的です。

 真の護身法を学び、自分の内側を浄化して、今後とも、非日常の豹変の世界が、いつ登場しても、これに対応し、抵抗できる術を学びたいと考えている方は、ぜひ本合宿に参加し、その真価を会得してみて下さい。

 

西郷派大東流合気武術総本部・尚道館および西郷派全国有段者会 謹書


戻る << 夏季合宿セミナー(三)
 
Way of living
   
    
トップ リンク お問い合わせ