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技法の根源となる「ただ一つのこと」

合気揚げ完成への道 ■
(あいきあげかんせいへのみち)

●心の柔軟性

 幾つになっても若々しい心を失わなければ、その精神性は若者と同格の柔軟性を所有しているのであり、逆に肉体的には若年であっても、若々しい心の柔軟性を失っていれば、その人は肉体と反比例して、既に老人であると言える。

 武術を実践するのに理論を論(あげつら)い、屁理屈をこねるのは無用であり、何事も師匠から命じられれば云われた通りに「即実践」する事が肝心であり、世間風の常識論に捕われて今風の風潮に流され、これを覆すものではない。
 喩えば愚者は、猛稽古を「苛め」と取るようだが、賢者は逆に、「いま自分は鍛えてもらっている」と解するようだ。
 「苛められている」と、「鍛えてもらっている」という考え方と意識の違いは、両者の間に天地の隔たりをつくる。

 また、こうした捕え方の違いが人間の品格を決定するのである。
 鍛える事をシゴキの類で捕らえるのか、自分の事を真底思ってくれる師の心うちの猛稽古と捕らえるかは、その人自身の心の裡側(うちがわ)に存在する品格によって左右される。心が卑しければ、当然シゴキと捕らえるであろうし、少しでも心に柔軟性が残っていれば、自分の事を思って、鍛えてくれていると解釈するであろう。

 稽古事は本来一流を目指して稽古するものであるが、必ずしも一流に向けて目標を設定する必要はない。二流以下でも構わないのである。問題は一流である事にこだわる必要はなく、自ら二流以下である事をあえて気にする事はない。
 人間は持って生まれた才能や素質に左右されて、「後天の気」を背負うのであるから、才能や素質に恵まれない事を嘆く必要はない。またこれらの欠如に、恥じ入る必要もなく、卑下する必要もない。むしろこうしたものに恵まれなかった事を簡単に諦めるのではなく、「今」と云う現実を正確に把握して、修行者の態度を再確認し、爽やかに修行に邁進する事が肝心である。
 これを諦観と言えばそれ迄であるが、だからと言って自棄する必要はないのである。人は持って生まれた星廻りによって「後天の気」が左右されるからである。

 人間は心を律し、己の等身大の寸法を知る事が大事である。その寸法を知り尽くすところに本当の修行の目的がある。自身の寸法を知らない人間は、つい傲慢になり、他人との接し方が横着になる。そして行き着く先は恨みや憎悪を買い、寝首を掻かれて無惨な最期を遂げる。

 等身大の、正確な自分の寸法を把握し、それを知り尽くしていれば一流になれなくても恥じ入る必要はなく、これこそが修行者の求道を目的とした不動の哲学なのである。

 世間には身の程知らずが多い。自分を意図的に大きく見せ、実力以上に自己宣伝を行って、背伸びする輩(やから)が多い。こうした人間こそ、一流を目指してそれに取り付こうとするが、やがて人生の途上で、己の器(うつわ)の程度に気付く。一流に伸(の)し上がっていくには運もあるはずであるが、「運」などと云うのは、ひたすら不幸を信仰する人間が口走る言葉である。
 本来、僥倖(ぎょうこう/思いがけない幸せあるいは偶然の幸運)も不運も、元を糺(ただ)せば自分の心の裡側(うちがわ)にある。

 才能や素質に恵まれなかったのは運などではなく、元々がそれだけの器量(きりょう)であり、その器量に嘆く必要はないのである。
 人間は、諦めずに、またその場に踏み止まって、逃げずに我慢強く辛抱していれば、これ迄の深い経験とともに、積み重ねた一つ一つの教訓で徐々に変わっていくものである。人間は大いなる矛盾を生まれながらに背負い込んでいる。したがって、人間社会は矛盾の塊(かたまり)であると言ってよい。そこには測り難い大きな矛盾も存在するはずだ。また、矛盾を抱えていない人間など、一人も居ないのである。

 人間は大いなる矛盾を抱え、矛盾した社会で生き、自分を保身する為に意識的あるいは無意識的に、どんな人でも少なからず嘘をつき、いわゆる言う事と遣る事が異なる行動をする事がある。これこそ矛盾の最たるものである。
 しかしこの矛盾こそ、また人間の面白さではないか。
 如何なる人も、この矛盾に対して責める資格はない。問題は、こうした矛盾を抱えつつ、自身もこうした矛盾のある事に気付きながら、これと格闘し、少しでも矛盾に対してそれを少なくしようとする努力である。この努力こそ、人間にとっては大切な修行なのである。

 人間にとって武術や武道の優劣を競い、それに勝利する事だけが総(すべ)てではない。武術も武道も格闘技も、単なる人生の裡側に存在する「一つ」に過ぎないのである。
 更に武術一つ取り上げても、「大東流」という流儀は、単にその中の一部に過ぎず、わざわざ人生に比較する大きさでない事が分かる。これを認識できれば、修行者と云う存在は、武術家や武道家である前に「人間である」と云う事に気付くであろう。
 そしてこれを真摯(しんし)に悟らせてくれるのは、心の柔軟性と、そこから発する素直な心なのである。

●気を沈める

 華麗な体操選手のように、空間を利用して自在に身体を操る事は、素質と才能の両方が要求されて、これを成就するには非常に難しいものがある。恵まれた運動神経も反射神経も要求される。そして、持って生まれた天性の才が要求される。

 一方、「合気」における「気を沈める」という秘術は、自分の努力次第で可能とされている。術はその実体が、人間の編み出した「術」で構成されているからだ。
 しかし、単に努力と言っても、日夜、「一本捕り」(諸派によって分類が異なるが、一応「大東流一箇条十一本」を指す)のような基礎技術を十年もかかって、これを会得すると言うのでは、まさに徒労であり、進歩を臨めないばかりか、愚の骨頂である。

 合気は、型の反復練習からでは得られないものであり、呼吸法も大事であるが、もっと根本的な養成法をあげると、「握力」の養成とともに、気を沈める「沈下の法」を会得する事である。要するに「会得する」ことにある。
 会得とは、意味をよく理解して、自分のものとする事を言う。
 そして認識せねばならぬ事は、大東流の古典の型(例えば柔術百十八箇条のような)の中に合気は存在しないという事である。古典の型はあくまでその範囲のものであり、今日の時代からすれば、骨董品の域を出ないものなのである。

 さて、「気の沈め」は、単に繰り返し練習の鍛練によって会得できるものではない。
 「気を沈める」とは、明らかに西郷派大東流合気武術の儀法(ぎほう)であるが、この儀法は技術的な鍛練を道場内で繰り返し稽古して、その結果得られると言うものではなく、これは経験する事によって得られる技術である。
 反復練習は基本技を記憶するには効果があるが、これを応用し、独自の自分にあった技術を掴むには、握力の養成法に加えて、気を沈める事を、経験を通じて会得することが大事である。

 鍛練と経験の違いは、鍛練は、大方が反復練習の結果、これを躰で体得すると言うものであり、一方経験は、自分が実態に経験した事が体験として得られる一種の意識であり、この意識を会得せずして「気を沈める」という儀法は会得できるものではない。

 「抑え」や「踏み」の際に、「気を沈める」という意味の言葉を使う。しかしこの「気を沈める」という特異な技法は、鍛練によって得られるのではなく、経験によって得られる儀法である。

 例えば、馬術を知らない者が「腕(かいな)を返す」という儀法を、会得しようとしても、全く馬を知らずに、唯(ただ)これを鍛練によって、頭の中で理解しようとしても、これ本当に会得する事は出来ない。
 まず、馬の手綱(たづな)を引いてみて、あるいは「鼻捻り」(一尺程の小棒であり、悍馬の鼻の穴の穴に差し込み馬を制する日本馬術での馬具の一種。この棒には小孔があけられて、穴に紐が通され、馬小屋の入口に掛けておくか、騎乗の時に持ち歩くものであり、源平時代には「鼻捻り」の用い方は立派な武術であった)と云う、馬を制する小棒の使用法を通じて、初めてこの事が理解できるのである。

 また馬に跨(また)がってみて、馬を馭(ぎょ)す事によって「気を沈める」という事が理解できるのである。乗馬の際、気が浮ついていて、落とす事を知らなければ、直ぐに馬から振り落とされてしまうのである。上手に馬を馭すには、まず気を落とす事であり、その基本は気を沈める事にある。気を沈める事を知らない者が、乗馬を試みても、馬を上手に馭す事が出来ないのである。
 これを実行する為には、裡側(うちがわ)の腿の内筋も必要であるし、これは脚力(この力は下半身の腰から下の足腰を鍛練する事で養成される)によって実践できるものである。

 これは道場内での稽古に専念し、単に反復鍛練を重ねるだけでは理解できない事であり、やはり馬術の経験がなければ、「気を沈める」ということは本当に理解できないのである。また「心法」という心の作用を知る事が大事であり、人の心の裡(うち)を察したり、あるいは動物の心の裡を察する感受性を養っておかなければならない。

 そして「気を下げる」あるいは「気を沈める」という術が会得出来たら、次は「二枚腰」の養成に入る。

●二枚腰

 二枚腰とは、非常に粘り強い腰の事を云う。相撲などでよく遣(つか)われ、粘りのある腰をこう呼ぶ。腰の粘りの強い事や、脚部の強さは、日夜の長期の修行によって得られるものである。
 この事は、西郷四郎(当時は志田四郎)が郷里の阿賀野川(あがのがわ)での労働によって得た脚力によっても明かとなっている。

 四郎は少年時代、阿賀野川で「舟漕ぎ」の労働に従事していた。志田家の二人の兄を扶(たす)ける為に、過酷な船頭の労働に従事した事があった。大の大人でも容易ではない激しい労働の中で、強靱な腰を養成し、また蛸足(たこあし)をも養成したのである。そしてこれが二枚腰の要因を作り上げたのである。

 二枚腰と聞けば、直ぐに横綱双葉山(35代横綱で大分県出身の力士。優勝12回、69連勝を達成。1912〜1968)が思い出される。
 明治四十五年二月九日、大分県宇佐郡天津村の廻漕(かいそう)業の、龝吉(あきよし)義広の家に生まれた定次は、生家の没落と同時に、小学校五年当時から家業を手伝い、父親の仕事を扶けた。持舟を操って、父親と二人で馬上金山の鉱石を、日出(ひじ)から佐賀関の製錬所まで運搬する重労働に従事していたのである。

 定次のこの苛酷な労働は、彼が立浪親方に見い出され、相撲界に入門するまでの、十六歳まで五年間も続けられたのである。
 当時の少年時代を回想して、双葉山はこう述べている。
 「少年時代の海上生活が後日どんな影響を及ぼすかと言うと、これは一つに、忍耐の精神を養った事だ。船乗りは重労働の連続で、相撲道の修行も苦しいだろうが、船乗りとしての長期の苦しい労働に比べれば、相撲など、問題にならない」と言わしめている。

 廻漕業という父親の仕事が、また、少年定次の腰を必然的に強くしていったのであろう。
 これは自分で承知して居た事ではなかったであろうが、人に指摘されれば、成る程と頷(うなず)けたはずである。船の前後左右(ローリングとピッチング)の動揺に耐える為に、船乗りは常に腰でバランスを保たなければならない。こうしたバランスを得る為に、腰は自然と二枚腰になり、直ぐに挫けずに、粘りが出て来るのである。

 柔術と相撲の違いはあっても、西郷四郎もやはりこうした二枚腰を、船の動揺のバランスに耐える事から学んだ事は同様であり、四郎が、単に天神真楊流柔術のみで得たものではなく、腰に粘りが出る程、過酷な重労働がそうした腰を養成したと言う秘密が隠されていたのである。そしてこの強靱な腰に合わせて、不屈の会津魂が精神力のなっていたと推測できるのである。

 二枚腰の養成は、船仕事のみで養成されるとは限らない。馬術によっても養成する事が出来る。馬が前進し、あるいは旋回の時に左右いずれかに傾く時は、まさに船におけるローリングとピッチングであり、腰で調子を取る事が要求される。まして、左手で手綱を握り、右手で某かの得物を振り回す場合は、馬の首を傷つけないと言うのが鉄則であるから、足腰の強度な力が要求され、更に馬との調子を合わせなければならない。これが出来なくては、直ぐに振り落とされてしまうのである。

 また騎乗から弓を射る場合は、両手を離し、腰と、「鞍っぱまり」で調子を取るので、この養成は必要不可欠なものになり、この基本は気を下げ、沈めるという事である。こうした養成は、騎乗の実践から成就するものである。
 そして騎乗する事は、一種の躄(いざり/上半身のみで下半身が使えない事を云い、本来は尻を地につけたままでしか進む事が出来ない)状態になるのであるが、これを人馬一体にまで極めれば、進む先や旋回は自在にこなす事が出来るのである。

●下半身の鍛練

 腰・膝・足頸などの下半身の鍛練は、「膝行」(しっこう)「膝退」(しったい)を行う事で、この養成を成就する事が出来る。
 膝行も一種の躄状態であり、踵を尻につけたまま、前進する動作を云う。

 合気揚げで、相手から掴まれた手を揚げるのに、下半身は必要無いと思うかも知れないが、合気揚げと下半身は切ても切れない関係がある。
 また下半身は、人体的には「土台」であり、土台がぐらつけば、上半身の作業は容易にこなす事が出来ない。

 さて、下半身を鍛えるのに最も有効な方法は、膝行・膝退を徹底する事である。膝行はもともと、殿中作法の礼法の一部であるが、足の両拇指を折って進むと言う膝行ならびに、同じ姿勢で後ろに下がると言う膝退は、足の拇指を折って進退をするので、まず、「足の厥陰肝経(けついんかんけい)」の経絡を刺戟し、その出発点である第一番目の「太敦」(たいとん)と、第二番目の「行間」(こうかん)に良い影響を与え、肝臓強化にも繋がる。

 更に、踵(かかと)部分に全身の重心が掛かり、この部分で全身を支える事になる。これは進退に際し、慣れないと非常にバランスが取り難く、全体重が足腰に掛かる為に、最初のうちは不安定であるが、毎日行って、一ヵ月もすれば、スムーズに進退を繰り返す事が出来る。
 この膝行・膝退動作は、進退のバランスを知る事が出来る、最も有効な動作であり、加えて腹筋も鍛える事が出来るのである。

 また膝行・膝退は、殿中作法であると同時に、術者が三宝などを持って、この上に汁碗などを載せ、汁を零(こぼ)さずに持ち運びを行えば、坐法での二枚腰が養成できるのである。

●背筋を伸ばす

 さて合気揚げ完成に向けて、基礎運動である「握力」について再び話を許(もと)に戻そう。
 合気揚げは、脚力の養成の次に背筋力も問題になる。

 背筋力が弱いと人間の躰は、次第にその姿勢が悪くなる。姿勢が悪い人間は、往々にして内臓が弱く、内臓に多くの慢性病を抱えている。
 特に胃腸が悪かったり、口腔・食道・胃・十二指腸・膵臓・小腸・大腸その他の消化腺などの消化器系に問題を抱えている者は、吐息が臭く、体臭が臭く、放屁や大便が臭い。問題は姿勢の悪さが内臓全体を圧迫し、それに加えて、普段食べる食物に多くの病因を抱えている。

 消化器系の病気を慢性的に抱えている者の多くは、動蛋白などの肉や乳製品や肉加工食品の常食者であり、また白米・白パン・白砂糖・漂白精製塩(塩化ナトリウム99.99%で、一般には食塩と言われる)などを好んで摂取する傾向にあり、こうした食品を摂取するから、姿勢が悪くなるとも言える。
 そして姿勢が悪いから内臓に影響が出て、相互が悪化する悪循環の輪廻に嵌(はま)っているとも言えるのである。それは輪廻の輪の如く、悪循環を繰り返して、人間を再起不能へと落し入れる。

 背筋力が弱ければ、背筋養成運動をして矯正(きょうせい)するしかない。背筋力の無い者は姿勢が自然と悪くなる。これが原因で、内臓全体にその悪影響が出る。したがってこうした悪循環を防止する為には、背筋力を高めるしかないのである。背筋力が低下すると、単に内臓に損傷が起るばかりでなく、意識も薄弱になる。また背筋力が弱い為に、躰が前に崩れ、前方部の両肩下にある大胸筋を萎縮させ、それが原因して鬱病や精神分裂病に発展する事もある。
 姿勢が悪く、背筋がしゃんと伸びていないと言う事は、このような弊害が出て来るのである。

 こうした悪影響から逃れるもっとも手っ取り早い矯正法は、、剣術の素振りである。この素振りを毎日千回程度する事で、背筋力は養成されるのである。中段から上段に振り上げ、下段に切り降ろすと言う剣術の行動線は、前方に歪んだ背筋力の低下を矯正し、また肩凝りなどを解(ほぐ)してくれる。肩凝りや腕に肘関節などに問題を抱えている人は、要するに肩より高いところに腕を挙げる事をせずに毎日の日常を過ごしている人で、こうした不摂生に日々が徐々に背筋力を低下させ、人としての意識を弱めているのである。

 そして外筋力の養成と、内筋力の養成は根本的に違うと言う事を知るべきである。外筋力は表皮的な肉体美を作る為に用いられるが、内筋力の養成は内側からの生命力を旺盛にする為に用いられる、歪みの矯正法である。人間は長い間同じ姿勢でいると、徐々に本来の正常さは失われるものである。そして最後には無意識のまま、「正常」を狂わせているのである。

 しかし歪んだ生命力を恢復(かいふく)させる為に、若いうちからスポーツ・ジムなどに通い、バーベルを持ち上げるなどの筋力運動はやるべきではないと信じている。それと同じく、中高年に差し掛かってからも、こうした運動は避けるべきだと考えている。
 背筋力養成の為にやるとするならば、外筋を鍛えるのではなく、内筋を鍛えるべきであり、肉体に負担を与えない手軽な方法でこれを実行すべきである。つまり重い物を動かす事を短時間だけやるのではなく、軽い物を長時間掛けて、回数多くやるべきである。

 一番鍛えるのが難しく、それだけに衰え易いのが握力と背筋力だ。
 握力を鍛える為には最終的に水掴行へと進む事が望ましく、また、背筋力を鍛えるのは剣の素振りである。そして両者を鍛える為には、意識的にこれを毎日実行し、積極的に取り組まない限りこの鍛練は成就しないであろう。


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