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戦闘の本質を問う詭道の兵法

手裏剣打法 ■
(しゅりけんだほう)

 手裏剣術にはその打法として、大きく分けると「直打法」と「回転打法」の二つが有る。
 手裏剣はもともと「投げる」と言う言葉は用いない。あくまで「打つ」と言う表現が正しい。

 さて、直打法とは的との間合が約一間(約1メートル81.8センチ前後)であり、回転打法は一回転打法で約二間である。打法は敵との距離(間合)の長さに応じて使い分ける。
 直打法には「棒手裏剣」が用いられ、左右に二本の手裏剣を持ち、第一打と第二打を連続して打ち込む。

 握り方は、中指を一種の筒としてその中に棒手裏剣を配置し、これを人指し指と薬指で挟み、拳銃の銃身に見立てる。そしてこれを拇指で止めるのである。

1.中指配置 2.中指握り

1.中指配置

 

2.中指握り

 打ち込む際は、腕を垂直になるように揚げ、手裏剣と肩の部分がほぼ垂直に一直線上にならなければならない。そして打ち込む際は、上段から大きく振り降ろし、腕は耳を掠(かする)るくらいのすれすれで振り降ろす。腕が曲がったり、手首に力が入ると真直ぐ飛ばず、また的に刺さらないので肘から下に力を入れ無い事が肝心である。

 棒手裏剣を握る際は、生卵をそっと握るように掌の中に配置し、くれぐれも力まない事である。的に向かう場合の姿勢は、丹田を意識して気が真下に下がるようにし、会陰に集中して腹部並びに腰を安定させ、「手の内」は極めてやわらかく、そして嫋やかな状態を維持する。

 直打法第一打は利き腕に手裏剣を持ち、垂直になるように手裏剣を振り上げ、そのまま真直ぐに手裏剣を打ち込み、次に第二打も、第一打の「標的修正」を行いながら第二打を打ち込む。
 本来ならば、第二打を打ち込んだ後、抜刀によって敵と太刀合いを行う

 また手裏剣は、敵との太刀合いにおいて、単に手裏剣を以て敵を倒せない場合、抜刀によって太刀合いが行われるのであるが、手裏剣を打ち込むにおいて、これは敵との間合を計る事になり、一気に斬り付ける場合、非常に有利な「間合取り」になる。

 敵に、手疵(てきず)を負わせて一気に斬り付ける。これは「兵法」であり、まさに「兵は詭道」(非常手段)なのである。詭道とは「卑怯未練」の一切を超越し、「ただ一心に斬り据える」事を言い、そこには迷いも悩みもない。その迷いと、悩みを断ち切る為の隠し武器こそ、手裏剣なのだ。

 兵は詭道(きどう)なり。この言葉は、迷いも、苦悩もすべてを捨て去る。迷わず己を信じて、「一打必殺」という気迫が手裏剣を打ち込むときには必要になる。そして「一打必殺」に迷いは禁物であり、己を信じて手裏剣を打つしかないのである。
 手裏剣の打ち込みは、まさに詭道であり、詭道をもって戦いを展開するのであるから、ただただ己を信じるばかりである。

 江戸幕末期、暗殺集団が横行した。この中に「人斬り」という連中が居た。中村半次郎(人斬り半次郎で後の桐野利秋)もそうであったし、他にも人斬りと称された剣客は多く居た。

 こうした剣客の中に、明治維新の志士・佐久間象山を、京都三条木屋町筋で斬った川上彦斉という武士が居た。(【註】川上彦斉は河上彦斎ともいわれ、後の高田源兵ともいう。ここでは川上を姓として話をすすめる)
 川上は肥後熊本藩の武士で、道場内での竹刀競技の剣術では弱かったが、実戦では非常に強かった武士である。「人斬り彦斉」とも言われ、真剣を交えるとその多くは震え上がった。そして稀代の暗殺の名人であった。

 川上は熊本藩に伝わる伯耆流居合(熊本藩に伝わり、流派の開祖は名和伯耆守長年。天正一五年、肥後宇土城主・村上伯耆守顕孝が豊臣秀吉に降伏し、細川氏の入国後は同家に仕え、この居合を同藩に伝承した)の達人で、有無も言わせぬ抜打の達人で、擦れ違い態に相手を斬り据える特技を持っていた。

 象山は川上に襲われた時、擦れ違い態に足を斬られ、恐怖のあまりに刀を抜く事なく逃げ出している。
 もともと象山は武術家というより、学者肌の人であり、何の戦闘も展開できないほど、武術には未熟であった。そして象山の徹底的な致命傷になったのは、自らが馬に騎乗しながらも、馬上から川上を斬り据える事が出来たのであるが、更に馬術も未熟であったので、仕留める事が出来ず、馬丁(ばてい)に手綱(たづな)を持たせるという愚行をしでかし、斬られた際、混乱に陥って、あえなく打ち獲られているのである。

 川上は第一打で相手を仕留めるほどの手練であった。その彼をして、手練に押し上げるその腕の冴えは、つまり迷わぬところにある。また、相手に考える暇を与えない、無分別があり、この無分別こそが、易々と相手を打ち獲る要因になっている。

 つまり竹刀剣術での間合は約一軒離れて各々が刀で対峙(たいじ)する。ところが川上はこうした剣術の常識を破り、長距離から襲い掛かる剣術を編み出していた。その長距離からの技術が手裏剣に見立てた、打法後の斬り据えである。川上は実際に手裏剣を打ち込んでから斬り掛かる剣客ではなかったが、そのイメージを以て、一気に斬り掛かった事は明白で、第一打、第二打を打ち終えてからの、有無を言わせぬ、猛突撃であった。

 これは手裏剣を打ち出し、その後、猛烈に突進する、あの白刃をひっさげての恐るべき奇襲である。
 川上彦斉の暗殺方法はこうした独自のイメージを会得していた。

 斬るか、斬られるかは問題ではないのである。戦闘において、無分別こそ、迷いをなくす最短距離であり、他人にどう思われようと、全く問題ではないのである。
 重要なのは、おのが生涯を通して、迷う事なく、信念を押し通すことである。そしてそれが定まれば、一切の己の行動に対して、後悔の唸を抱かないことである。
 体裁を付けることはないのだ。無分別こそ、擦れ違い態の極意なのである。

 さて、同時代に生きた福沢諭吉は、大の武士嫌い、武術嫌いであったが、フリーメーソンだった彼は、坂本龍馬が刺客にあって殺された時、「今度は自分の番か……」と、恐怖したという。
 そこで福沢は、必死に居合術を稽古し、龍馬の二の前にならぬよう、居合の鍛練に励んだという。そして最後には、その腕前が達人の域であったという。
 こうして考えると、命を狙われながら大不覚をとった佐久間象山と、福沢の危機管理は雲泥の差があったといえる。

 命を遣り取りする「太刀合い」において、真剣による斬り合いは誰も自分の命が惜しい。また捨てるものがないと言いはれる程、そこまで聖人の域には達していない。捨てられない柵(しがらみ)が有り過ぎるのだ。
 だから真剣を以て双方が相対的に対峙すると、顔色はどちらも真青になるのはしごく当然の事である。脂汗が滲み、正眼に構えながらも、「及び腰」になる。

 真剣勝負において、竹刀剣術の腕の上下は殆ど役に立たない。命の遣り取りに於ての、この事のみを、十分に理解し得た者、悟り得た者のみが勝者となるのである。
 映画やテレビの時代劇の斬り合い場面とは、全く異なる戦闘が展開されるのである。

 双方が真剣を構えて対峙し続ける。双方は互いの眼を瞠(みは)り、その瞳孔が少しでも変化が生じれば、一気に猛突撃し、斬り付けた。あるいは少しでも動いたら、どちらかが血を吹いて倒れていた、という凄まじさなのだ。
 この凄まじさは竹刀競技の比ではない。

 原因が結果を生む。これは今日の常識になっている。
 しかし果たしてそうだろうか。
 命の遣り取りに於いて、原因が結果を生むとは限らない。真剣勝負に於いて常に生き残る者は、白刃が動いたら、一気に襲い掛かる。そして迷いのない方が結局勝つという事である。隨(したが)って道場で稽古した練習量等問題ではないのである。

 心の度仕方(どしかた)如何で結果が先に出、原因が後に来るのである。
 「天は救わるる者を、自ら救う」とはこのことであり、命の遣り取りに於いてもこの事が言えるのである。
 これはまさに、イエス・キリストが預言した「予定説」に酷似する。予定説は、「神が予め、救われる者とそうでない者を選別した」という預言に始まる。救われる者は永遠の生を、そうでない者は永遠の死を、受け賜うのである。

 では、救われる者とそうでない者は何処に差が生じるのか。

 太刀合いに於いては、充分な間合であるが、対峙した双方は容易に動かない。ところがそうしていると、祈力の弱い方が段々と弱り始め、脂汗が出て来て顔面が蒼白になる。
 手裏剣を持っての果たし合いでは、この気力の隙間に手裏剣を打ち込むのであるが、こうした太刀合いはその隙に斬り掛かる。
 一切を抛(なげう)ち、一切の柵を捨てて、己の命迄捨てて、わが一太刀を信じて斬り掛かる。
 川上の剣は、こうしたところに本当の強さがあった。

 そして川上の剣の特徴は、間合を一切考慮せず、長距離から大鷲のように得物に襲い掛かるその猛烈なスピードが川上に勝利を齎した。
 突然地面を叩き付けるようにして、常人ならばこれくらい離れているのであるから、斬り付けるはずがないと言う距離から、地面と平行するようにわが身を投げ出し、手裏剣の第一打が襲い掛かるように、敵を一気に斬り据えたのである。

 常人は「間合」というものを過信する。これくらい離れていれば敵の剣は届かないというふうに安易に決めつけるところに盲点が有る。
 しかし川上は、自らの躰を手裏剣の第一打にして、敵に投げ付けるようにして、さっと一太刀で斬り据えてしまったのである。

▲西郷派大東流手裏剣術で用いる様々な手裏剣

 「西郷派大東流」の手裏剣術には、こうしたイメージ打法と言うものがあり、手裏剣を学ぶ事によって、「負けない境地」を得るのである。

 平和を口で唱えるのは簡単である。しかし平和の裏づけは「負けない境地」であり、この意識がなければ平和は維持される事がない。
 口先の平和主義を唱えてみても、それは空しい負け犬の遠吠えであり、こうした「武器」を徹底的に研究し、「殺し方」を研究してこそ、平和の貴さが有り、武器を遠避け、「殺人の術」を蔑ろにしても、本当の平和は訪れない。

 人命は大事である。したがってその大事が分かるのは、こうした武器と人殺しの術を知り尽くしての、以降の事であり、口先だけの平和主義は、侮られ、いつかは攻め込まれる危険性を持っている
 世の中が渾沌とし、暴力が罷り通る今日、口先だけの平和主義は絵に描いた餅である。
 その意味で、日夜努力を怠らず、危機管理への心構えが必要である。


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