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誇りの裏付けとなる数々の技法

西郷派大東流の掲げるサバイバル思想の概論
(さいごうはだとうりゅうのかかげるさばいばるしそうのがいねん)

●近未来は、現代人が何を食べるかによって適者生存が決定される

 玄米正食を上げた場合、必ず議論の対象になるのが「玄米は白米より、農薬などの公害物質が多く含まれているのではないか?」という疑念である。しかしこの疑念は、単に食品分析から起った仮説に過ぎない。

 玄米を正食としている人の中で、この事実を知らずに食べて居る人は、まず居るまい。玄米の食品分析をすれば、農薬が混ざっているかも知れない、そんな事は百も承知であると思っているけれど、これまでの精白米を玄米に切り替えたら、実際に疲れなくなった、長年罹(かか)っていた頑固な慢性病が治った、頭の働きが良くなった、集中力が出来た、記憶力が増した……というような、種々の効果を確かめて、余計な周囲の雑音に耳を傾けず、確信をもって食べているのである。

 食品の本当の価値を理解する為には、食品分析値だけを金科玉条にしていても駄目である。大事なことは、玄米ならびに精白米に含まれた公害物質が、果たしてどのような運命を辿るか、これを追求しなければ、その真相は見えてこない。
 したがって、玄米は未精白穀物であり、白米に比べて農薬などの公害物質が多く含まれているから危険であると言う、論拠は成り立たない。こうした考えは、全くの短見的な機械論である。人間の生きている生体は、こうした機械論での論法で説明がつくものではない。

 実際に公害摂取量の多い筈の玄米を食べている人の方が、体内に蓄積したり、停滞する有害物質の蓄積量は、非常に少ないのである。この事実は、髪の毛に含まれる成分の分析で確認されている。何故ならば、玄米にはガン疾患を誘発する公害物質の駆逐排泄作用があるからだ。

 喩(たと)えば、現代栄養学者や、現代栄養学に基づく料理研究家などは、玄米にはフィチン酸が含まれているので、玄米食をすると、カルシウムの吸収を妨げるとしているが、何を隠そう、フィチン酸は放射性物質や農薬に含まれる水銀などの重金属、その他の公害物質と良く結合する性質を持っているのである。その為に、公害物質が腸から吸収するのを阻止し、これを人体には吸収せずに排泄してしまうのである。

 また、フィチン酸はアルカリ性の条件下で、より活発に働くのである。その公害物質との結合率は、pH7の中性状態で約80%、アルカリ性になると100%と言われている。
 したがって、例え公害物質を血液中に吸収したとしても、玄米には強肝ならびに強腎効果があるから、公害物質は速やかに排泄されるのである。玄米成分の中には、種子である玄米の中に、もともと有害物質の作用を阻止し、生命活動を健全に押し進め、体内の病因を駆逐する能力が備わっているのである。

 玄米は非常に優れた抗公害食品である。
 ところが、白米はバランスのとれた栄養成分を総
(すべ)て削(そ)ぎ落とし、病因を駆逐する有効成分までもを排除した、死んだ米なので、その主体は、ただ食べ易いだけのカスである。血糖値を上げる澱粉の塊である。この澱粉の塊は、口当たりがよく、柔らかくて食べ易いが、栄養成分が抜け落ちた米である。
 また、そればかりではなく、血液性状を混乱させ、消化機能を失墜させて、肝臓や腎臓の機能を弱体化させるのである。こうした臟噐の機能が弱まれば、次は解毒作用を弱め、自律神経や内分泌機能を不安定にして、脂肪肝や神経内科的な疾患である神経症などを招くのである。

 そして今日、痴呆症の増加に比例して、神経症から複雑に絡み合った鬱病(うつびょう)を発生させ、この鬱病は間違いなく精神分裂病へと移行させてしまうのである。現代という時代は、ジャンクフードを初めとして、未成熟食品が精神状態を狂わし、またタバコやアルコールが、精神機能を狂わす病因を持っている。特に、タバコの弊害は大きく、呼吸器障害を起こし、肺ガンの恐れがあるばかりではなく、呼吸の吐納によって、その呼吸法の誤りから、精神障害を起こす場合がある。

 特に、こうした病気に罹(かか)る武術鍛錬者の中には、普段喫煙の癖があり、喫煙によって呼吸法を誤っている人が少なくない。また、呼吸法の誤りは、精神障害を起こし、その病因は、誤った呼吸法により、酸過多状態を作るからだ。
 酸過多状態は、酸欠状態の裏返しであり、誤った呼吸法で急激な深呼吸により、脳に大量の酸素が送りこまれた時機(とき)に起こる症状である。
 こうした状態は、かつては「禅病」などと言われた。禅宗の僧侶が罹る病気として有名だったからである。そして呼吸法から起こる間違いによって、精神障害を起こす僧侶は後を絶たず、禅宗の寺院のある一部の場所では「気違い寺」などと呼ばれた。

 事実、白隠禅師(はくいんぜんじ)がこの禅病に罹り、京都白川山中の仙人から、「軟酥(なんそ)の法」を教わり、この病気を克服している。その事は、白隠禅師の著した『夜船閑話』に出てくる。深く長い呼吸は、一歩誤れば、呼吸法の誤りを誘発する。つまり、「深く」かつ「長い」呼吸の仕方に問題があるのだ。

 「合気」も、一歩呼吸法を誤れば、「合気」が会得できないばかりでなく、精神障害を冒してしまうのだ。大東流や合気の修行者に、精神を病んだ指導者は少なくない。
 つまり、精・気・神のうち、「神(しん)」を冒し、精神を冒されてしまうのである。こうした神を冒された人は、合気系の気功系の指導者や、その修行者に見ることが出来る。したがって、丹田呼吸法の奥儀を極めるためには、真丹田(しんたんでん)の秘術の真髄を学ぶ必要があり、これを無視して、単に、高級儀法のみに溺れると、こうした弊害が出てくる。

 そして、呼吸法の誤りに加えて、白米などと動蛋白が結合した食品摂取が、また一方で、「超能力」として会得しようとした結果、やりかたが間違っていたので、精神を害したという症状が現れるのである。

 この精神が冒されるメカニズムを簡単に述べると、「迷い」も「病気」も、その源となるのは、同じところから派生している。つまり、脊髄から発するところのものが、脳に入り、脳に存在するところのものが、覚性と結びつき、それが全身を循環するからである。
 痴呆症も、この循環のメカニズムによる。だから、呼吸器系の障害を起こしやすく、呼吸法に誤りがあれば、即座にその症状が現れてくる。合気系の気功系の指導者が痴呆症に罹り易いのはこのためであり、これは明らかに呼吸法の間違いである。また、その場合、「融合」や「和合」の程度によっても、迷いとともに、病魔が襲ってくる。
 そして食を誤るべきでなく、食は慎み、正すべきものなのだ。

 昔から、白米を食べると「泥腐る」と言われて来た。
 これは地方から江戸詰めになった武士達が、江戸の町家で白米を食べる状況を観(み)て、そう評した。江戸詰めの武士達も、最初は白米を見て驚き、その美味に舌鼓を打ち、絶賛したであろうが、やがて繰り返し食べているうちに、「どこかおかしいぞ」と気付いた筈である。そして気付いた先が、「白米は泥腐る」ということだった。
 白米にはビタミンB1がない。ビタミンEも欠乏している。その為に、白米を主食にすると脚気になる。江戸時代、脚気は「江戸患い」とか「江戸やまい」などと呼ばれ、江戸の町家で起る病気として、その時代を象徴していた。

 脚気は末梢神経を冒して下肢の倦怠(けんたい)、知覚麻痺、右心肥大、浮腫ふしゅ/水腫といわれるもので、身体の組織間隙または体腔内にリンパ液・漿液が多量にたまった状態をいい、皮下組織では外表から「むくみ」として認められる疾患)を来し、甚しい場合は心不全により死亡する場合がある病気である。それを見て、当時の武士達は、白米を食べると泥腐ると云ったのである。
 また、脚気には脚気衝心という症状があり、この症状は脚気に伴う急性の心臓障害である。これは突然、呼吸促迫を起し、多くは苦悶して死に至る障害である。白米のみを主食にした場合、こうした心臓障害に罹り易いのである。

 江戸時代、江戸屋敷詰めの地方から江戸に来た武士達は、この事を能(よ)く知っていた。白米はサバイバルには不適切な食品である。だからこそ、江戸詰めの武士達は江戸・日本橋から鎌倉までを一日で往復し、サバイバルを賭けて脚力を鍛えたのである。

 サバイバルに於いて、歩けない者や、走れない者は生き残れない。生き残ろうと思えば、最低でも歩けなければならない。歩けなければ、そこで命を失う事になる。護身術の基本は、術をもって相手に対峙することではない。走る事であり、歩く事である。走れなかったり、歩けなければ、その時点で、襲われれば命を失うことになる。サバイバル不適合な、鈍重な躰がそうさせてしまうのである。
 つまり、武士達が「泥腐る」と評したのは、脚気で走れなかったり、歩けなかったりする、町家の町人に対して、酷評した言葉であったのだ。

 一方、白米は食べ易い為に、食肉などの食品を御数(おかず)にすると、食が進む食品である。栄養価を総て削ぎ落し、澱粉(でんぷん)の塊(かたまり)のカス状態にしている為に、白米は淡白であり、淡白ゆえに動物性食品の御数とよく合う。舌触りもよく、おかずと同時に口に持っていくと、白米ご飯はとても美味しく感じる。しかし、それは味覚という、五感の誤りに他ならない。この誤りは、白米の大食いを招く。

 本来、軽快で動き易い体躯を養成する為には、「一膳飯」で控えるべきなのであるが、これが動蛋白食品等と一緒の場合、一膳飯が、つい二杯、三杯となる。これは焼き肉や、肉の揚げ物などを食べる場合に、食が進む事を考えれば、よく分かるであろう。つまり、食べ過ぎとなるのだ。

 食べ過ぎは躰を鈍重にし、思考力を暗愚に陥れる。また、白米と一緒の動蛋白摂取は、血液を汚染する。酸毒化の方向に向けてしまうのである。その上に、不規則な生活が重なると、生活習慣病が絡んで来る。更に酒やタバコが絡み、その度が過ぎれば、高血圧、高脂血症、糖尿病、通風などの原因になり、飲酒はアルコール性肝障害が起り、喫煙は慢性閉塞性肺疾患が起る。

 今日の世情が不安定になり、世の中が混沌(こんとん)とし始めた要因の一つに、精神病患者が多発している事が挙げられる。性格粗暴者や、精神異常者が多いことだ。
 公害物質が蓄積され易い食品は、白米を主食にしている事に原因があり、それに肉や卵、イカやタコ、エビやカニなどの動蛋白食品が副食として摂取されれば、当然の如く、いろいろな障害が起り易くなるのである。それに白米が絡めば、最悪となる。

 江戸時代中期以降、玄米は精白されて、町家の間では精白米が食べられるようになった。しかし、この白米の影響でビタミンEやB1が不足し、「江戸患い」とか「江戸やまい」とか「乱脚の気」という、脚気が大流行した。
 こうした災いを横眼に見ながら、武士達は食体系の伝統として、その主食は玄米であり、白米は「泥腐る」として武士階級では食べなかった。玄米を正食とする穀物菜食を通し、粗食・少食に徹し、それでいて実に健康であったのである。その証拠に、江戸在住の武士達は、日本橋から鎌倉まで、一日で折り返す行軍を行っているのである。こうした健脚も、実は玄米から造られ、玄米こそ、まさにサバイバルの為のスタミナ食であったのである。

 

●玄米・雑穀は、総てにおいて心身ともに抵抗力を高める

 雑穀とは、玄米を除く穀類を指す。その中には、粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・ハト麦・玄麦・押麦・丸麦・トウモロコシ・こうりゃん・小豆・大豆・黒豆・赤米・黒米・蕎麦(そば)などを指す。これらの雑穀に関して言える事は、共通して、粗蛋白とミネラルの含有量が豊富であると言う特性を持っている。

 また、雑穀は驚異的なバイタリティーを持つ植物である。雑穀は、まず自分が育つ土壤の土をより好みせず、特別な肥料も農薬も要らず、手入れも非常に簡単で、冷害や干害にも強い。それ故、人類は原始社会より、焼畑とか、未開地の粗放農業で、これ等の雑穀を栽培して来たのである。それは雑穀自体が持つ生命力の強さが、救荒食として大いに役だったからである。

 雑穀は生命力の強い植物である。したがって、それを食べる人間のバイタリティーを増強してくれ、体内に蓄積する慢性病を根治に向かわせてくれるのである。これに玄米を抱合せ、玄米を中心とする玄米雑穀御飯にして食べると、更に効果を増すのである。そして自然治癒力も増強される。

 また自然治癒力を増強すると言うことは、換言すれば「スタミナがつく」という事である。玄米は最高のスタミナ食である。
 スタミナ増強のメカニズムは、まず腸壁の体蛋白合成力の強化が起ると言う現象である。体蛋白合成力がおこれば、質のしっかりした体細胞がつくられる。これが、則ち「体質の良さ」となる。
 体質が良くなれば、自然と抵抗力が高まるのである。こうした体細胞が躰(からだ)の組織臟噐を構成するようになれば、組織活動は活発になり、内臓機能が強化されるから、基礎体力は自ずから増強されて行く。その増強に伴い、体質も改善されて行くのである。

 体蛋白合成力を強化する基本的な栄養素は、炭水化物である。炭水化物こそ、人間の栄養成分にとって最も重要になる。
 ミネラル、ビタミン群、酵素などの各種の有効成分と結合している炭水化物は、「玄米」を除いて他にない。玄米のような炭水化物であれば、腸壁細胞は直ちに体蛋白合成作業に取りかかれるし、充分な有効成分と共存しているから、腸壁から有効成分を奪い取ることもない。この為に、腸壁は順調な活動が遂行出来るわけである。

 こうした作業が遂行されること自体が、人間の本来の消化機能に磨きをかけることになり、これによって原始的で、逞(たくま)しい適応力が増して来るのである。適応力に富めば、当然、生理機能も本来の人間のものに戻って来る。
 しかし、現代人は、物質文明を追うあまり、自然から隔絶れた軟弱な温室育ちの生き物に成り下がった。その為に、伝染病にも冒され易くなり、種々の流行性疫病にも罹り易くなった。

 こうした、現代人を軟弱にした要因は、現代栄養学の誤った食事法に追うところが多い。
 現代栄養学は、食肉がスタミナ食であるという錯覚を国民に植え付け、牛乳や卵が優れた食品であると言う神話まで造り上げた。その結果、国民の多くは大変な間違いを仕出かし、その間違いにも気付かないと言うのが実情である。

 特に、現代栄養学が大きな誤りを犯している点は、肉の蛋白質は炭水化物に還元された上で、改めて正規の消化である体蛋白生合成のルートの上に載せられるのであるが、古来より穀物菜食をして来た日本人は、腸内に食肉を還元する酵素を殆ど持たないのである。こうした穀物菜食民族が、肉を常食とするような食生活をすれば、当然、そこには何らかの異常が現われて来る。
 腸は負担ばかりが重くなり、機能失墜を起こすのである。機能失墜が起これば、内臓全体も、この影響を受ける。この機能失墜こそ、スタミナ減退の元凶であったのである。それは、食肉と言う食品が、腐敗物質を生む元凶であるからだ。

 肉を消化する酵素を持たない、もともと穀物菜食型の動物として生まれた人間は、肉食獣と違って、動蛋白を還元する酵素が殆ど無く、人間が肉食をすれば、腸内の異常醗酵は避けられない。腸内で、腐った腐敗物質を溜め込むことになるのである。これがまた、宿便状態を作り出すのである。

 その為に、短命な人生を辿ることになる。内臓機能が失墜して老化現象が早く顕われるからである。また肉の分解によって生じた強酸類は、血液を酸毒化し、代謝機能を狂わせる。代謝機能が狂えば、当然、性的な興奮ばかりが強くなり、深刻な排泄機能障害を起こすのである。異常性欲ばかりが強くなり、盛りのついた動物の発情期のような状態が長く続き、「精禄(せいろく)」を早く使い果たして、老化ばかりが目立つようになる。
 人相学的に言えば、目の下が垂れ下がり、クマが出来ている人は、男女を問わず、好色であり、異常セックスに猛り狂い、排泄障害に悩まされている人である。老化が早まり、死期を間近に控えた人である。

 更には、慢性化する心筋梗塞、狭心症、肝炎、腎炎、ガンなどの疾患に罹り易くなるのである。しかし、こうした病気の現実があるにもかかわらず、肉を「スタミナ源のモト」と信じる錯誤は一向に改まっていない。

 牛乳にも同じ事が言える。昨今の急増するアレルギー体質や、白血病は牛乳の実害である。特に新生児用ミルクの危険は大きく、それに加え、学校給食での牛乳が輪を掛けて体質虚弱児を増加させている。牛乳は、人間に不向きな食品である。

 牛乳に含まれる蛋白質の大部分は、人体に不要なカゼインであり、牛乳の蛋白質の80%を占める燐蛋白質の一種は、アレルギー反応を引き起こす。また、牛乳の組成するミネラルも人体向きではない。現代栄養学では、牛乳こそ、栄養上重要なアミノ酸をすべて含むとしているが、こうした食品を乳幼児が飲むと、水分・電解質代謝の混乱が起って、水膨れの状態になり、歯や骨が脆くなる

 また、牛乳の加工法には問題があり、ウルトラプロセス法と言う高熱殺菌処理がなされている為、蛋白質の変性が起き、乳頭は、乳酸菌を繁殖させる力を失っている。
 牛乳には豊富なカルシウムを含み、骨太にすると言うイメージで、現代人の食生活にはなければならない食品として宣伝されているが、カルシウムを摂取するのならば、海藻や小魚介の方が、良質であり、量も多く含んでいる。

 更に、卵においても同じである。
 現代栄養学は、卵を「完全食品」と大推奬しているが、これはFOA
(Food and Agriculture Organization of the U. N/国連食糧農業機関)が定めるケミカルスコア−によるところが大きい。
 そして、卵は牛乳以上に有害な食品である。

FOAの示す食品別ケミカルスコア。このケミカルスコアの中には、「肉を食べないとスタミナがつかない」、「牛乳を飲まないと子供は成長しない」という迷信が作り上げられている。

 問題は、肉や乳製品や卵等のタンパク質は、必須アノミ酸のバランスが良いと主張することにあり、最初から肉や牛乳や卵等の動蛋白食品は「良質の蛋白源」ということを前提にしたものであり、逆に玄米や大豆では、なぜ基準にしないのかという疑問が残る。仮に、大豆の蛋白質を組成しているアミノ酸を基準にすれば、その算出された数字は全く違ったものになってしまう。

 つまり、肉や牛乳や卵に含まれる「蛋白質が良質」であるということであって、肉や牛乳や卵が「良質な食品」であるということを証明するものではない。実際にそれ等の食品に含まれる成分のコレステロールだけを見れば、極力食べないようにしなければならないと言うのは一目瞭然である。

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 卵の卵白のアビディンは、腸のビオチンと結合して、神経障害や皮膚炎を起こす。その上、卵白の蛋白質のオバルムミンは、アレルギーを発生させる要因となる。
 特にゲージ飼いされている鶏は、半病状飼育法であり、こうした半病状の鶏が化学薬剤入りの濃厚飼料を食べ、そうした状態で生んだ卵は無精卵であるから、毒性の危険性は容易に消えるものではない。
 心臓や胆嚢との、生体組織が特定の色素と結びつく傾向ある為、あるウイルスが特定の細胞・器官などで増殖する傾向にあり、鶏卵を常食にすると、臟噐の機能障害を齎
(もたら)すのである。
 更に、卵黄のコレステロールは、動脈硬化や高潔あるの病因となるのである。

 

●玄米・雑穀御飯をスタミナ食として用いるには、その咀嚼に秘訣がある

 「よく噛(か)んで食べること」こそ、健康で長寿を保つ秘訣である。日本人は、子供の頃より、親から「よく噛んで食べる大事」を教わって来た。

 しかし、今日、親の言を守り、よく噛んで食べている人を見かけるのは、非常に少なくなった。
 咀嚼(そしゃく)回数を観察してみると、何処のレストランに行っても、その他の食事処に行っても、多くの人が、数回噛んだだけで食物をクン呑みしている。10回、20回と噛んで居る人は殆ど居ない。その上、早食いで大食漢傾向にある人が多い。これはよく噛まないから、自然と大喰い傾向になる。

 咀嚼回数が少ないと、脳の満腹中枢に伝わる指令が中々届かない。それでいつまでも食べ続ける。咀嚼回数が少ないので、満腹感を感じない。こうした癖がついてしまうと、食事回数が増えて来る。
 本来、日本人の食事回数は、「朝餉
(あさげ)【註】時間的には午前9時半から11時半頃を指す。今日で言う「昼食」に近い時間帯)、「夕餉(ゆうげ)【註】時間的には午後5時半から7時半頃を指す)という言葉からも分かるように、一日二食であった。

 ところが、明治以降、この習慣が西洋流に改められ、朝・昼・晩の一日三食となった。そして現代では、一日三食では物足らず、これに夜食が加わって一日四食になり、そでれも物足りないと見えて、コンビニなどで買い食いをする一日五食主義が常識として定着するようになった。

 まさに飽食であり、日本人の多くは、いまや飽食時代の真っ只中に居ると言えよう。そして、こうした飽食主義による食べ過ぎが、種々の病因を発生させ、難病・奇病に苦しむ国民が増えているのである。
 それも偏に、「よく噛まない」ことが起因しているのである。

 しかし、よく噛んで食べると、健康と長寿が約束される。
 その第一は、よく噛むことにより、脳の満腹中枢に早く指令が伝わり、自然と少食が守れるようになるのである。
 第二に、少食に徹すると、内臓である消化器官への負担が軽くなり、内臓が疲弊
(ひへい)しないので、いつも元気で働けるのである。
 現代は飽食の時代であり、過食による内臓の疲弊は限界を越え、また疲れ易くなった腸内には老廃物が停滞し、成人病の温床になっているのである。だからこそ、元気で働き、軽快に躰
(からだ)を動かす為には、節食が必要なのである。

 一口に、咀嚼(そしゃく)回数を増やすと行っても、最低でも50回は噛む必要があろう。しかしこれは、言うは易し、行うは難しで、中々実行できない人が多い。
 玄米食をしていても、咀嚼回数が少なければ玄米食の効果は発揮されないのである。だから、問題は「よく噛むこと」である。

 これを徹底させて、50回以上咀嚼を行うと、ウソのように楽々と少食になって行く。満腹中枢に指令が行き渡り、大喰いをしなくとも、心は満足し、しかも軽快な体躯(たいく)になれて、疲れ知らずの躰になるのである。更には、充分な咀嚼によって、食物と唾液(だえき)がよく混ざり合い、消化酵素が造られるので、栄養分の吸収は非常に良くなり、それにより、少食であっても空腹感に悩まされないのである。

 特に、胃腸の負担を軽くする事の意味は大きい。
 一般に考えられる消化と言うのは、食べた食物の分解作業を行っているのではなく、それより遥かに難事業である組み立て作業である「造血機能」を営んでいる。この重大な難事業を滞りなく遂行させる為には、胃腸に余計な負担をかけれはならないのである。

 だから50回以上、よく噛む必要があり、噛む事により、玄米穀物などの食物は唾液とよく混ざり合い、唾液に含まれるマルターゼやプチアリン(アミラーゼ)などの酵素が穀物の炭水化物を消化するのである。
 酵素はアルカリ環境に於てのみ働くので、酸性の胃では、澱粉は消化されない。したがって、口腔消化を「よく噛む」ことで補わなければならない。

 こうして「よく噛む」ことは、熱過ぎるものや、冷た過ぎるものを、体温に近付ける作業も課せられているので、食道やその粘膜を守る上で重要な役割をしているのである。熱い物を一気に流し込んだり、冷たい物を一気に貪る行為は、食道の粘膜を弱くして食道ガンや声帯ガンを誘発させる。
 特に熱いお茶、お茶漬け、味噌汁などは消化器粘膜に異常刺激を与え、炎症を起こし易くして、これは正常細胞を破壊してガン細胞へと変質する。

 だから「よく噛む」ことなのだ。最近の医学報告では、唾液にはニトロリアミンなどの発ガン性の毒性を消したり、減らすことができる分泌液が含まれているという事が分かって来た。更に唾液中には、酵素の他に、ビタミンもホルモンも含まれている事が分かって来た。そしてこれらは、総合的に働くと言う事も分かって来た。

 また、唾液中のホルモンには、老化を防ぐ作用もある。顎(あご)をよく動かせば、脳への適度な刺戟が与えられ、脳細胞も活性化するのである。更に、よく噛むことの咀嚼のリズムが、心に安定を図らせ、イライラなどの苛立ちを無くすのである。

海綿静脈洞(静脈洞を経由して、脳に至り、心臓に戻る血液の循環作用は、咀嚼によって促される。食物は噛めば噛むほど、頭脳明晰の状態を作り出し、噛めば噛むほど、「火水」になるのである。上顎は「火」であり、下顎は「水」である。これが噛むことにより交互されれば、まさに、火と水で「火水」であり、火水は「神」に通じるのである)

 頭脳と躰(からだ)の働きは、常に相関関係にある。知能指数の高さは、敏捷性(びんしょうせい)や運動神経と比例し、躰の固さは、頭の固さと比例する。
 躰造りをする為に、幾ら栄養価の高い食物を食べても、腸の吸収力が劣っている時は、体内に取り込むことが出来ない為に、大部分は消化不良のまま排泄されるか、腐敗物質となって腸内に宿便として停滞し、身につかない。これと同じように、脳が衰えると、人生経験や歴史上の教訓を分析して、これを栄養素にすると言う智慧
(ちえ)への変換は出来ず、ただの過ぎし日の経験として、教訓を安易に流してしまう。

 そしてこうした人は、何か困ったことが起こると、何か良い方法はないかと、占い師や職業祈祷師を尋ね歩いたりする。あるいは安易に、「開運」等と書かれた神社仏閣の御符(ごふ)を手に入れ、こうしたものを祀(まつ)り、神頼みを始める。

 こうしてせっかくの、自分の脳の働きを、ただの記憶や暗記のファイルに作り替えて、情報の蓄積のみに浪費している。人生を、ただ単に記憶の貯蔵庫に作り替えて、浪費をしている人は少なくない。その結果、頭は益々先入観と固定観念に覆(おお)われて、益々固くなり老朽化する。その為にも「よく噛む」ことは、人間の食事作法の中では、最も大切な行為となるのである。
 脳の働きを健全に保つことも、一種のサバイバルに通じるのである。


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